大当たりだったのは籤《くじ》ではなくて【なんのはなしです珈】
(3489字)
それは、ひとつの種だった。
あれは平成の初め頃であったと記憶している。
私が友と呼ぶ中で最も古株である(中学の頃からの付き合いになるので、幼なじみには一歩及ばない。私は小学校を5回転校しているので、その辺りは難しい。ちなみに友も同様に転勤族一家であった。それはまた別の記事で)旧友が、パートナーの仕事の関係で渡米することになった。
日本にいる内に1度会いたい。こちらは田舎だが、遊びに来てくれないか。
そう誘われたのである。
彼女と私。共に人付き合いには淡泊な質である。「来る者拒まず去る者追わず」で長年過ごしてきた。転勤族の処世術でもある。
ゆえに、彼女から「会いたいから来てくれ」はラブコールに近い。非常に珍しい。国を隔てるのだから当然かもしれぬが、何にしても滅多に起きないことである。
御託は止めよう。
かくして、私は(北海道在住である)海を泳ぐエイのような形をした我が道内、その南部横断をすることとなった。と言えば大袈裟に過ぎる。実際のところは、渡島半島の付け根あたりを都市間バスで横断し、彼女の家を訪問、2泊させてもらうこととなったのである。
彼女は待ち合わせの場所に指定したバス停留所に、少し遅れてやってきた。遅刻というわけではない。田舎の常、バスは定時に到着しないのだ。その日はいつもより道路が空いていて、彼女の予測よりも早い時刻にバスが到着したという具合である。流石の彼女も「申し訳ない、予想より早かった」と私に向かって合掌ポーズを向けてきた。「長距離バスの常だから仕方ない。それより行こうか」とこちらも答え、私たちは並んで田舎道を歩き出した。
「あ。忘れてた。お久しぶりです、ご主人のご栄転おめでとうございます」
「ありがとうございます。主人もお待ちしています。仕事で余り会えないのが申し訳ないと言っていました。……固くない?」
「いや、けじめだからさ。けじめ、大事」
「そっか。そうだよね」
拝むのはやめて。こそばゆいから。「ゴメン」でいいんだよ、私には。
それこそケジメでしょ、ケジメ。
田舎道で夫婦漫才のような会話を交わしながら。
「ちょうどよかった。実家から送られてきたばかりなんですよ。昨日開封したんです」
「自家焙煎ですか。良い香りですね、ブラジルかな?これは」
「流石詳しいな。そうです、父が卸業者から直接購入しているのを分けてもらったんですよ」
彼女の家に到着、ご主人も当直前のひとときを自宅で過ごされていて、夕食前にコーヒーで一息入れようかという話になった。ご主人のお父様が焙煎直後のブラジルを送ってくださったとのこと、友はコーヒー豆をミルで挽き、三人分のコーヒーを淹れるためにシンクへと足を向けた。その間、ご主人は話題を探しながら私の相手をしてくれたのだった。
ご主人は「偶然」と言ったが、恐らく私の来訪に合わせて頼んでくれたのだろう。その御礼は帰宅してからお礼状と共にせねばなるまい。ともあれ、この場は話をそのまま進めた。
「こいつ、中学の頃って、どんな女子だったんです?」
「そうですね……。と言っても残念ながら期待に応える思い出話はできないんですよ」
私たちのやりとりを聞いて「ちょっと、何の話してるのよー?」と彼女が声をあげ、「別に。通常会話」と私が受け流す。
「変わらないです。中学からこんな感じ」
「こんな感じですか」
「ミドルティーンの頃は今より正義感が強かった位ですね、違いといえば」
「そうかぁ。なるほど……」
それを聞いて、ご主人と私の間で自分がコーヒーのお供にされるのを止めるように「お待たせしました、どうぞ」と、彼女はコーヒーカップに満たしたブラジルをサーブしてくれた。
「褒められてるの?それともけなしてるの?」
「事実を冷静客観的に告げただけ」
「……納得いかない。自分だって変わらないくせに」
我々は、照れ屋なことが一番の共通項であるらしい。ブラジルの香りを楽しみながらご主人が私に告げたところによると。
「そう言えば、私が最初にレギュラーコーヒー飲んだの、ムゥーさん家だったんだよね」(実際には本名をもじったあだ名で私を呼んでいた)
「へぇ、そうなんだ。じゃ、中2の時か。ゴメン、あれ苦かったでしょ」
「ううん。少し苦かったけど、香りが良くて甘味もあった。あれから私もレギュラー飲むようになったんだよ」
意外なところで懐かしい思い出が、友の口をついて出た。中2のあの時、とは、調理実習でクッキーを作り、自宅でも再現したいということになり、私がアイスボックスクッキーのレシピを渡すついでに仲の良かったクラスメートを自宅に招き、手製のクッキーを振る舞ったときのことである。
クッキーのお供はコーヒー。私としてはコーヒーがメインなのだが、そこは女子中学生、逆が普通だろう。私は縁者の関係で、小学校時代からレギュラーをペーパーフィルターで淹れる小生意気な子供であったのだ。
あの時は、グラニュー糖の消費が半端なかった。やっぱり苦かったか、ココアにすればよかったと後悔したのを今でも覚えている。
だから、友が「おいしかった」と言ってくれたのは意外だったし、ましてや私の一杯が彼女のはじめてだったとは、嬉しい逸話であった。
さて。最後に冒頭で記した「種」とは #なんのはなしですか という問いを投げたい方が、ご閲覧の方々の中には少なからずおられるだろう。
種=コーヒー というネタも若干あるが、本質は違う。本質は以下の通りである。
訪問した地は、北海道南部の港街。漁業と温泉観光が主な産業の街である。その日の夕食に食前を飾ったのは新鮮なイワシ、友の自宅横にある小さな家庭菜園で採れた野菜たちを使ったサラダや炒め物であった。
件の種は、ここで登場する。
イワシのシソ巻き磯辺揚げ。その付け合わせはシシトウガラシの素揚げだった。
「……あ」
「……うっ」
「あーっ!ご、ゴメン!!ゴメンなさい、すごく辛いこれ。残して?食べなくていいから」
シシトウは種が辛い。調理前には種を外すのが普通である。市販のものならさした辛さではないのだが、正真正銘「露地物」、しっかりと太陽を浴びて丸々と太ったシシトウガラシの種にぬかりはなかった。
東南アジアの人ならば何ともなかろうが、我々は日本人。私は辛味に強いのだが、この強敵は三本が限界だった。ご主人はまともな味蕾をしているので、一本の半分でギブアップしていた。ちなみに、意地を張った友は5本完食、その後は悶絶していた。
5年振りの逢瀬、やはり我々は漫才めいている。
「めずらしいミスだね。……焦った?」
「うん。慌ててたかも。緊張するんだよ、おいしくなかったら、どうしようって」
「食べるの、私だよ?」
「ムゥーさんだからだよ」
翌日、残ったシシトウを佃煮にしようということになり、種抜きを手伝った私と友が、並んで台所にて交わした会話は上記のようなものである。
彼女の家に宿泊したのは秋、翌年の春に友人夫妻は渡米し、現地で二年滞在することとなる。その間はエアメールのやりとりをし、時には「鶴の折紙」などを忍ばせてアメリカへと郵送、返信に現地のミニカレンダーを送られるなど、小さな文化交流を経て、帰国した友を日本の地で出迎える。帰国後も、私たちの付かず離れずは、彼女が北海道の地を離れるまで続いた。
いや、離れて後も、私が業務の関係で上京する際には、数時間を過ごしたこともある。彼女が住まう閑静な住宅地にあるカフェでコーヒーを飲みながら。
そうして時は流れ、ひとつに留まることはない。
ブラジルコーヒーとシシトウとイワシ。
妙な組み合わせだが、そのどれかを味わうとき、昔なじみの友を思い出す。今では都心に居を構えた彼女と変わらず北海道民である私。インターネットが整備された後の方が(年賀状を私が「卒業」したこともあり)疎遠になっていくのは皮肉でもあり、時の流れと年齢のなせる業ともいえよう。
だが、流れのままに、と思う。
確信がある。
しっかり者の友のことだ。私よりもずっと堅実な人生を送っているだろう。時間が許してくれるならば消息が分かり、邂逅できるときにはできよう、と。
たとえ今世で直接会えなくとも、息災ならそれでいい。
きっと、友も同じことを思うだろう。
離れた場所で、もしかしたら同じコーヒー豆を挽いて淹れ、味わいながら、同じ思いを。コーヒー豆を一粒、指でつまんでよく見れば、思いのほか輝きをもつ粒であることに気付く。
コーヒーはバラ科の植物。私たちが飲むコーヒー豆は元来その種子だ。白い花、時には薄桃色の花を付ける木を、私も友も、またどこかで見つけるだろう。
【Fin】
補足:ここから以下は本文ではなく補記とお考えくださいませ。
この話は、筆者の体験(経験)を元にした創作であり、フィクションを含みます。2023年に1度記事にした企画参加の内容を元にして、#なんのはなしです珈 参加のため、新たに書き起こしたものです。
イメージ画をAI画像生成にて。

最後に蛇足のお願いを。「今更▲■さん呼びするのは違和感があるから、このままの呼び方で通そう」と旧友と約束したことが(私は知人の中で唯一彼女だけを「呼び捨て」しています)私のあだ名が耳に残った方、どうぞ御心の中に留めてくださいませ=呼ばれるのは彼女だけに、と願っておりますので。
こちらに、ひっそりと参加いたします(*ᴗˬᴗ)⁾⁾
#なんのはなしです珈
#エッセイ風小説
#コーヒーにまつわる思い出
#私のコーヒー時間
© 2023-2025 Harunaga Mutsuki
いいなと思ったら応援しよう!
拙稿をお心のどこかに置いて頂ければ、これ以上の喜びはありません。ありがとうございます。