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スタンリー・クラーク インタビュー(jam 1979年3月号 シンコーミュージック)

【読者のみなさまへ】

この記事は過去に発表されたものの再掲載です。当時執筆した内容をできる限り残しておりますが、一部は手を加えました。現在では不適切とされる表現や用語も、記事のオリジナル性と発表当時の時代背景を踏まえて掲載いたしました。人名などの固有名詞も当時のままにしてあります。時を経て、のちに明瞭になったこと、本人たちがインタビューで語って正確になったこと等々も、上書きはしておりません。どうかご理解ください。

アルバム・タイトルは『アルバム』と二重カギ括弧、シングル曲は「シングル」と統一してあります。


フィラデルフィアからやってきた、背の高い褐色のベーシストは、ジェフ・ベック・バンドのベース奏者という以上の強烈な印象を与えていった。黒人にして黒人にあらずという、きわめて淡々とした精神構造は彼独特のものなのだろうか、それとも、最近のフュージョン・ミュージシャンの一般的な傾向なのだろうか。ともあれ、スタンリー・クラークは黒人とか白人とかいった観念のモノサシでははかれない、スケールの大きいミュージシャンだ。ジャコ・パストリアスと並ぶその人気と実力は今、ロック・ファンの話題をさらっている。

手も足も標準以上に長い。その長い右手をアレンビック・ギターのカーブに沿ってまわし、手首だけギターの上に落ちてくる。そこにあるのが、黄金の5本の指だ。

ジェフ・ベックとのセッションの思い出からスタンリー・クラークを語りはじめるのも、すでに意味はないようだ。クロスオーバーとか、フュージョンということばの真実は、あの武道館の2時間に確かにあったのだ。

1951年6月30日、フィラデルフィアに生まれたスタンリーは、13歳の時にバイオリンを習いはじめ、ピアノやベースに親しみはじめる。17歳でフィラデルフィア・ミュージカル・アカデミーに入学し、将来はフィラデルフィア交響楽団でベースを弾くことを夢みていたという。同時にロック・バンドにも興味をもち、ウッドベースを弾きこなす。19歳の時、ニューヨークに出て、ホーレス・シルバー・クインテットとともに演奏していた。その時、ジャズ界の若手ピアニストとして話題を集めていたチック・コリアに認められ、「リターン・トゥ・フォーエバー」に迎えられる。今でも「リターン・トゥ・フォーエバー」というグループ名は、スタンリー・クラークが参加しないと使われないという。

クラシックの基礎の上に演奏されるベースはすばらしいスピード感をそなえており、音に対する瞬間のひらめきと判断力のすばやさで、天才の名前をほしいままにしている。「リターン・トゥ・フォーエバー」での活動とは別に、CBSの小会社、ネンペラーと契約し、『スタンリー・クラーク』『慈愛への旅路』『モダーン・マン』と3枚のソロ・アルバムを発表している。

ジェフ・ベックとの日本公演の最後の日、スタンリー・クラークは滞在中ただひとつというスペシャル・インタビューに応じてくれた。

良質の演奏であれば聴衆は感動してくれる。年齢や音楽のジャンルとは無関係にね。

――あなたはこれまで2度ほどリターン・トゥ・フォーエバーのメンバーとして来日していますが、今回のジェフ・ベックのコンサートに集まったファンの多くはロック・ファンだと思います。ミュージシャンの側からみて、今回のファンと、以前のコンサートのファンとの間に何か差違を感じましたか?

スタンリー:5年くらい前までなら、ロック・ファンとジャズ・ファンの相違点は確かにあった。が、今はそんなことを考えるほうがおかしい。音楽を聴くファンが成長し、より広い目で世界を見ようとしている姿勢が、ステージで演奏している僕にも伝わってくる。僕たちがさまざまな過程を経てプロとよばれるミュージシャンになり、それにさらに努力を重ね、よりすぐれたミュージシャンになっていくように、聴き手も成長しているわけだ。

――そうですね。けれど武道館にジェフ・ベックとあなたの共演を見にきたファンのほとんどは16〜18歳くらいの若い人で、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルなどを聴いて育った人たちです。そんな彼らにとって、長年のヒーローであるジェフ・ベックがあなたのようにジャズ畑からやってきたベーシストと組み、演奏するのを聞くのは、非常に新鮮な体験のはずですよ。

スタンリー:アメリカでもジャズの観客が若がえる傾向にあるし、特に白人でこれまでロックしか聞かなかった若者がフュージョンのコンサートに来ている。ひとつだけはっきりしているのは、良い演奏さえすれば観客はいつも来てくれるってことだ。聴衆の年齢の高低は、僕たちには関係ないことだ。もし、僕が15歳で初めて誰かのコンサートを見に行ったとするだろ。それが真にすばらしいものであれば、ロックだろうがジャズだろうが感動するし、必ず好きになるはずだ。音楽に感動するのには年齢なんて関係ないと僕は思うよ。

――あなたのベースに関してですが、最近の演奏はかなりシンプルな傾向にあるように思えます。つまり、ベーシストとしての最高峰をきわめたということなんでしょうか。

スタンリー:そうかもしれない。ギターはたくさんの音を使って弾くだけが妙味じゃないし、おもしろ味も薄れていく。時にはシンプルに音楽をエンジョイしたいし、その方が気分がいい時もあるよ。

――あなたの使用しているアレンビックのベースにはファンの関心が集中していますが、日本ではあまり知られていないメーカーなので、ちょっと紹介してください。

水上はるこ
アレンビック社はスタンリー・クラークのシグネーチャーモデルを出している

スタンリー:アレンビックは、グレートフル・デッドの機材を担当していた僕の友人の紹介で知ったんだ。もともとサンフランシスコのミュージシャンたちのために仲間どうして作った会社で、ベースやギター、スピーカー・キャビネットなどを手づくりで生産しはじめた。ベースは最初に5〜6台作って、僕とジョン・エントウィッスル(ザ・フー)、ジャック・キャサディ(ホット・ツナ)、グレッグ・レイク(ELP)といった人たちが愛用しているはずだ。僕が持っているのは、そのごく初期の1本だ。

すべてカスタム・メイドでそれぞれ違った個性をもっている。ベース・ギタリストが求めるすべての音、新しい音を完璧に再現できる最高のギターだ。友人にも推選しているけど値段が高いのが難といえば難で、最初のころでさえ1600ドルもした。それも5~6年前の一番安かった時の話で、今は2000ドルから2300ドルもする。

しかし不当に高いわけじゃなく、ハンドメイドで丁寧に作られているし、材料の木も特別に厳選されたものだ。部品も正確で、ネックも細く、もちろんサウンド面でも申し分ない。僕にとっては特別なベースだ。

――手づくりというと、何となく繊細でこわれやすい印象を与えるのですが、あなたの力強い奏法に十分耐えるだけ頑丈でしょうか?(笑)

スタンリー:もちろん。すごくがっちり、堅牢にできている。固い木が使われているし、ブリッジ、ナットなどの部分は真鍮でできているしね。僕の手くらいではビクともしない。空手でギターを弾いているわけじゃないし(笑)。

黒人だからリズム感が秀れているわけじゃない。要はパーソナリティーなのさ。

――半年前にジャコ・パストリアスが来日した折り、彼は”俺こそ世界で一番のベーシストだ〟と豪語したものですけれど、それに対してあなたから何か言いたいことはありますか?

スタンリー:いや、別にないよ(笑)。世界で一番ということは、地球以外の惑星にもベーシストがいて、そのベーシストがジャコこそナンバー・ワンだと言わなきゃ意味がない。そうしたら、ポール・マッカートニーが一番ってことになるかもしれない(笑)。それでもまだ宇宙の一部でしかない。つまりジャコの自信は自信ですばらしいと思うけど、そういう結論に達するには早急すぎると思うね。ジャコといえば7月に東京で開催されるライブ・アンダー・ザ・スカイ"というフェスティバルに僕も誘われていて、その時ジャコやロン・カーターなんかとの共演プログラムがあるんだ。僕としてはぜひやってみたいジャム・セッションさ。誰が一番か確かめたいファンも多いことだろうし(笑)。勝利者は僕だろうけどね(笑)。

ジャコの例を出すまでもなく、ベースは今や単にリード・ギターをサポートするだけの楽器ではなく、もっと重要な役割を果たすようになってきている。5年前だったら、ベースはベース以外の何ものでもなく、僕らの行動範囲はバンドによって制約されていた。だが現在は、ジャコやアルフォンソ・ジョンソン、リチャード・デイヴィス、ロン・カーターといったベーシストがどんどん脚光を浴びてきていて、地味をモットーとしてきたベース奏者としてはうれしいことだ。僕はつねに、ベースを主張をもっ楽器にしようと、アグレッシヴに努力してきたひとりだ。だからジャコのようなスター・プレイヤーが、ロック・ファンの注目も集めているのはうれしい。ジャコは僕の一番好きなベーシストだし、今以上に有名になってほしいくらいだ。そのことがより僕を刺激するからね。

アルフォンソもすごい奴だと思う。ジャコやアルフォンソのベース・プレイが、ベーシストを目ざす若い連中に、どのように自分の感動を音楽に投影するとか、いかにそれをベースで表現するかとかってことを教えてくれるいい教師になるだろう。

例をあげれば、10年前に僕はあるスウィング・バンドにいたけれど、トランペッターが先頭にかっこよく並んで、ベースやドラムは後ろでひかえ目に演奏していた。ところが前にずらりといる連中の誰ひとりとして、音楽のなんたるかをわかっちゃいなかった。そのとき僕は思ったけど、演奏する楽器の種類など問題じゃない。むしろ、演奏者自身が、いったい何を知っているかが重要なのさ。

――ロックの世界でも同じような現象がおこりつつあります。あなたも気づいているでしょうが、ロック・バンドのベーシストたちが、今やベーシスト以上の存在としてクローズ・アップされつつあります。それに、ドゥービー・ブラザーズとかリトル・フィートなど、黒人のベーシストをメンバーに迎える傾向も特に顕著ですし。

スタンリー:よく、黒人だからリズム感覚が秀でているとか言われるけど、僕にもわからないなあ。黒人にも不器用な奴は多いぜ(笑)。それに白人だって抜群のリズム感をもっているミュージシャンもいる。僕の好きなスティーヴ・ガッド(スタッフ)も白人だ。あいつのドラムには惚れぼれする。確かにロック・バンドにも黒人のベーシストは多いけど、その理由は黒人だからというよりも、むしろパーソナリティとかによるんじゃないかな。誰だってすぐれたリズム感をもっているし、それをひき出せるか眠らせておくかで大きな差が出る。

――たとえばジェフ・ベックとあなたがやっているような音楽は、ロックでもあるしフュージョンとも呼ばれているんです。あなたのことばではそれを何と呼びますか?

スタンリー:フュージョンには違いないと思う。あらゆる音楽がミックスされたものという意味においてね。もっと僕なりのいい方をすれば、フュージョン・ミュージック、コンテンポラリー・ミュージック、ニュー・ミュージックといえるだろうな。

――ニュー・ミュージックに対する、あなたのイメージするオールド・ミュージックは何ですか?

スタンリー:5年前に録音された僕のレコード。これは僕のオールド・ミュージックだ。自分でもそれらを聞くことは今は皆無に近い。現在の僕のレコードだって、5年過ぎれば誰も聞かなくなるだろう。ロックやジャズが持てる生命なんてそんなものだと思う。僕は現在、人生という長い線の上の一点を歩いているわけで、その線はもしかしたらベースの弦かもしれない(笑)。点は線を構成する一部でしかないよ。

ジェフとの共演はハッピーな体験だ。が、シリアスな人生の悲哀も表現してみたい。

――ずい分身長があるようですが、背丈はどのくらいありますか?

スタンリー:6フィート4インチ(190センチ)くらいかな。

――背が高すぎてクラシックの演奏家になるのを諦めたという話を聞いていますが、本当ですか?

スタンリー:それは違うよ(笑)。一番の理由は、自分で演奏する曲は自分で作っていきたかったからだ。クラシックは他人が作った古い曲を指揮者に従って演奏するだけだ。つまらないよ、そんなの。

学生当時は、有名なオーケストラにはいりたいと考えていた。フィラデルフィア交響楽団とか。しかし黒人の楽団員は雇用しないという話を聞いて、気のりがしなくなった。それも原因で、フィラデルフィアからニューヨークにやってきた。僕はそれほど気にはしなかったけどね。

キミは僕がウッドベースを弾くのをみたことがある?

――いいえ、残念ながらエレクトリック・ベースだけ。

スタンリー:エレキ・ベースは僕のほんの一部で、僕は結局何をやってもクラシックの人間だってことが自分でもいやになるほどわかる。本当に僕が青春を賭けたのはクラシックだ。フィラデルフィア時代には弓を使ってコントラバスを弾いていたし、大学では念入りにもバッハやベートーベンやモーツァルトも勉強した(笑)。

ニューヨークに出てきて、あらゆる種類のジャズ・ミュージシャンとセッションを重ねた。僕にとってジャズ・シーンは相当厳しいものだった。その頃、エレキ・ベースに出会ってね、最初はおもちゃみたいな感じだった。今でも時々、そう思うけど。僕の手は人並みはずれて大きいし、最初はおもしろいベースがあるなあ、という遊びの感覚でいじっていた。野球やゴルフを楽しむのに似てるよ(笑)。つまり、何をやっても僕の心にはクラシックへの未練があった。本当に真剣に望んでいたのはクラシックだけだった。ところが、アメリカではクラシック演奏家はお金とは無縁というのが相場だ。今の僕がクラシック奏者としてコントラバスを演奏すると、みんな笑いころげると思うんだ(笑)。今さらステージでクラシックを演奏しようとは思わないが、家にいる時はクラシックを聴いている。少し前から親しい友人のミュージシャンを集めて、予告なしにクラブでコンサートを開いてるんだ。つい2週間前も、チック・コリアとロサンゼルスで小さなコンサートをやったばかりだ。これまでレコーディングもされていない、誰も聞いたことがないような曲を演奏した。クラシックともジャズともつかない、なんていったらいいのか、『特別な音楽』としかいいようがない。

――もし、あなたが今言ったような音楽こそすばらしいと思っているのだったら、ジェフ・ベックと一緒にやっている音楽は決して満足はしていない、ということですか?

スタンリー:そんなことはないさ。ジェフとの共演は、僕にとってもうひとつのハッピーな瞬間だった。武道館に一万人の観客を集めて、ジェフと一緒にプレイできることはすばらしい。しかし時に、ミュージシャンはもっとシリアスに人生の悲しみを表現したいと願うことがある。それは個人的な次元でなされるべきものでもあるんだ。数百人の観客たちと、お互いの精神をコミュニケイトさせながら演奏するのも音楽として魅力的だが、武道館のような会場で1万人のファンのために演奏する時は、万人と分かちあえる情感を表現しなければならないし、ジェフを聴きにきた人たちにも僕のベースを楽しんでもらいたい。

僕の背景を知っていれば、クラシックもジャズもロックも、すべて僕だということをわかってくれるはずだ。僕はベース奏者には相違ないが、ピアニストやヴォーカリストと同じ地平で音楽を捉えていきたい。

――ところで、今更ですがジェフ・ベックと出会った経緯を教えてください。

スタンリー:3年前だったか、ニューヨークに住んでいた僕をジェフが訪ねてきた。その頃の僕の「パワー」という曲が気にいったらしく、ジェフのライヴ・パフォーマンスのレパートリーになっていたそうだ。僕とジェフはそれ以来、ずっとよき友人さ。プレイしたりレコーディングしたり、そしてツアーも一緒だし、お互いの秘密まで知っている仲さ(笑)。

――日本に来るまでは、ジェフとツアーをしたことはなかったのですか?

スタンリー:CBSのコンベンションで一度セッションをやっただけだ。それまでの僕は自分のバンド、スクールデイズでアメリカをツアーしていた。その後、ジェフと電話で話して、サイモン(ドラマー)やトニー(キーボード)にも電話して、今回のこのツアーが実現したんだ。再びこのメンバーが顔を揃えることは望み薄だし、僕もジェフも計画性がないほうだから、どうなるかは成り行きまかせだ(笑)。

考えてみるとジェフは長い音楽活動中、とてもいいメンバーに恵まれ続けてきたと思う。今回だってキーボードのトニーは、一見静かなる男って印象だが、音楽を非常によく知っている。彼が内面に包含しているものは、既成の音楽のスケールでははかれないほどすごいものだ。

グループは持続力だけが至上のものではない。瞬間燃焼もミュージシャンの幸運となりうる。

――強烈な個性の人間が集まって結成されたグループは、持続しないというのが定説ですが。

スタンリー: それはそれで幸運なことだ。グループが一瞬の燃焼力しかもち得ず、すぐに解散しても、ミュージシャンの側からみれば決して不幸ではない。僕たちの活動半径はそんなに小さなものではないはずだ。とはいうものの、いいグループでなおかつ継続できればすごいよ。ビートルズみたいにね。ジャズの歴史をみても、ロン・カーター、ハービー・ハンコック、トニー・ウィリアムス、ウェイン・ショーター、それに、マイルス・デイヴィスのクィンテットは最高の役者が揃っていた。ファンの僕としては、もっと長く続いてほしかったけど。ジェフと僕のコンビも、いつまで続くかってことに関してはなんともいえない。アメリカ的な表現でいえば、〝One way or another"(どっちにしろ)って答えるしかない。

――バンドってある意味では結婚のようなものですね。結婚の場合は女性が個性を殺して従順だと長続きするけど、女性が強すぎるとうまくいかないとか・・・

スタンリー:ハッハッハツ。そのとおり。それについては僕にも言い分がまだまだあるけどね。でも正直なところ、僕は自分に匹敵するくらい強い女性が好きなんだ(笑)。僕のように個性を尊重するミュージシャンは、強い性格の女性とでないとうまくいかない。ロック・ミュージシャンだって同様のはずだ。

――じゃあ、男性に献身することが美徳とされている日本の女性はあなたとは合わないかもしれませんね。

スタンリー:ウン、日本でまさに日本的な、従順な女性に会ったことがあるけど、彼女たちはそれをもうひとつの武器と心得ている。つまり男とゲームをしているようなもので、女としてのか弱さをみごとに演出し、売りものにしている。それはそれで結構だが、僕の興味をひくのはやはり強力なパーソナリティをもっていて、自己の存在の意味を認識している女性。時には僕と対等に、男と女ではなく人間と人間として拮抗できるようなね。ベッドの中では僕に献身してほしいけどね(笑)。

――ここで、少しベース・ギターに関する専門的な質問をしたいのですが、ベースの弦の音を4弦で区別しているようですがどうしてですか?

スタンリー:プラグを変えてスタンダードなベース・タイプと、何か組みかえていきたいんだ。たとえばノートによる演奏を分けて弾いている。プラグを変化させることで、弾いたノートの音を大きくもソフトにも、細くにもバリエーションをつけることが可能だ。僕の演奏を聴いているとそれがわかるはずだ。アレンビックのベースは音のレンジが広いので、使い方によっては50種類以上の変化に富んだサウンドが出せる。とてもおもしろい。

コンサートで観客を日常の束縛から解放すること。それが一番の目標だね。

――ポール・チェンバースを尊敬していると聞きましたが、彼に関しての思い出などあれば聞かせてください。

スタンリー:ポールは僕にとって初めての、ベース・ソロをとるプレイヤーだった。それ以前にもさまざまのベースを聞いてきた。ジミー・ブラットン、スコット・ラファロ、チャーリー・ミンガス。みんなすばらしいけど、ポールのベースを聞いた時は、完全にノックアウトされた。彼のソロのとり方は天才的だ。それに彼は僕の出身地のフィラデルフィアでずっとプレイしていたことも手伝って、格別な親近感もあるんだ。フィラデルフィアは多くのベース・プレイヤーを輩出している。あの街はベース・プレイヤーズ・タウンなんだ(笑)。アルフオンソ・ジョンソンもそうさ。

もっとおかしなことには、僕がフィラデルフィアでコンサートをやると必ず、あのジャコ・パストリアスの家族がやってくるんだ。僕はジャコの父親とも親しいんだけど、いつも楽屋まで訪ねてきてくれる。ジャコ自身は今、フロリダに居を構えているけど、彼も確かフィラデルフィアの出身だ。それからコルトレーンやレジー・ワークマンと演奏していたベーシストも、マックス・ローチのところにいたジミー・マリオットも、フィラデルフィア出身だ。それに、僕が最高のスタジオ・ミュージシャンだと思っているアンソニー・ジャクソンもそのはずだ。彼もおかしな奴で、インタビューすると必ず、「おれが一番のベーシストさ」とくる(笑)。でもそんなに自信たっぷりの奴であればあるほど、僕は好きだね。自分が世界で一番と思っていれば、決して努力を怠るような真似はしないはずだ。

――ええ、私は世界一の雑誌の編集長ですから・・・(汗)

スタンリー:オーライト!(笑)。その意気でなけりゃ。そんな風に考えている人間にしか明日は見えないぜ。自分を卑下する必要はどこにもないさ。2番にも3番にもなるつもりはない。ジャコだってそう言えるような男だってことだけで好きだし、ロン・カーターだってジャック・ブルースだってナンバー・ワンだと信じているはずだ(笑)。

僕も一時"賞"のようなものにこだわっていたことがあった。かなり偏執狂的に権威ある評価ってやつにしがみついていたんだ。4~5年前から、『ダウン・ビート』や『プレイヤー・マガジン』なんかの賞が僕のもとにどっと集まりはじめた。すると、なんか、固執していた自分が滑稽になってきて、今ではほかの誰かにゆずってやりたい気分さ。多分、年をとったせいかな。

Downbeat Magazine

――ミュージシャンとしての最終的な目標はなんですか?

スタンリー:答は簡単さ。人々をハッピーにすること、それが僕の目標だ。そこまでいかなくても、何か日常と違った感覚を感じてくれればいい。コンサートの前とあとで、精神状態に相違があればいいと思う。

――どちらかといえば楽観的な性格のようですね?

スタンリー:単純な考え方や生き方のほうが好きだ。人生に必要な事柄はただ5つのこと、おいしい食べ物、速い車、いい音楽、気のきいた会話、最後にすてきな女性、それだけだ(笑)。

――車は何をもっていますか。

スタンリー:12気筒のジャガーで、スピードにかけては誇っていいね。130マイルでフッ飛ばしたことがある。

――130マイルといえば約200キロですから新幹線と同じ程度のスピードですよ。

スタンリー:僕はスピード狂だから、速い乗りものには目がない。新幹線も日本に来るたびに乗っているけど大好きさ。でもジャガーで200キロ出した時は、さすがに怖かった。

――このツアーが終わったあとのスケジュールはどうなっていますか?

スタンリー:ニュー・アルバムのミックスにとりかかる。ニューといっても2枚組の僕の自叙伝的性格のアルバムで、過去3枚のソロ・アルバムからのベスト・セレクションと、スタジオ録音の新作を加えて制作中だ。それが終ったら、少し休みたい。フィラデルフィアの家族のもとに帰って、日本で買った時計やカメラをプレゼントするんだ(笑)。そのあとは、またいつもの生活のくりかえしさ。

当時インタビューでニューアルバムとして話題にしていた『プレイ・フォー・ユー』(1979)

映画『ロッキー』で有名になったフィラデルフィアは、彼の育った街だ。思い出すセンチメンタルな気分にはなるが、もうあそこに住むつもりはないと、スタンリーは快活に笑う。ウエスト・コーストが好きなんだ、と最後に付けたすと、あの長い手をタバコにのばした。目の前のしなやかな指と、アレンビックを弾く黄金の指とが、私の頭の中で重なりひとつになった。

2025年、親友だったジェフやチック・コリアを見送ったが、黄金の指は健在だ

ジェフ・ベックとの2大巨頭によるコンサートは、今も日本の音楽ファンに語り継がれる名演だった。彼がコメントしているように

>>コンサートの前とあとで、精神状態に相違があればいいと思う。

武道館を出る時、足元がぐらついているのを感じたのは私だけではあるまい。この来日時にインタビューができたのは、私が創刊時にかかわり、この記事が掲載された「jam誌」だけである。ジャズ誌からのインタビューの求めもあったそうだが、レコード会社はあえてロック雑誌に取材をアレンジしてくださった。

スタンリーは非常に頭の切れる、自分の音楽に自信をもっているミュージシャンで、このインタビューも2時間近く音楽談義が続いた。明るく、社交的だという印象を受けたが、これには後日談がある。

1979年、私はローリング・ストーンズのロン・ウッドとインタビューをした。ロン、キース・リチャーズ、スタンリーらが結成したプロジェクト・バンド、ニュー・バーバリアンズ(The New Barbarians)に話しが及んだ時、ロン・ウッドは興味深い話をしてくれた。

「私は78年にスタンリーとインタビューしました」と言うと、ロンはこう続けた。「今、また彼に会うと、きっと前とは違った印象を受けると思う。彼は派手なベース奏法とは裏腹に、とても謙虚な男で、スター・ミュージシャンとしてのダイナミックさにもうひとつ欠けていた。それで僕は、彼の精神に大改革をほどこした。むしろ図図しいに人前に出ろ、インタビューにはもっと気軽に応じろとか。ステージでもできるだけ彼を前面に押し出し、長いベース・ソロを弾かせたりした。それが観客や評論家たちにも受けて、彼もまんざらでもないようすだ。今のスタンリーは、一年前に比べて、ずっとオープンマインドな男になったと思う」
(引用元 jam誌 1979年10月号)

1979年にニュー・バーバリアンズのコンサートをイギリス見た。ジャズとロックの『幸せな結婚』とはこのことを指すのだろうと感じた。

ジェフ・ベックの項でも書いたが、このインタビューのあと、スタンリーに誘われてジェフと食事に出かけた。その時の話はプライベートなので書かないが、ロサンゼルスに行った時、マネージメントにメッセージを残しておいたら、折り返し電話をもらったことがある。残念なことに、彼はマイアミにいて再会することはかなわなかった。

2005年、アル・ディメオラ、ジャン・リュック・ポンティ、スタンリーとのトリオが住んでいたアメリカの近くの町でコンサートを行った。そこにいたのは、相変わらず背が高く、美しく年齢を重ねて、ウッドベースを弾くかつての熱血ベーシストだった。1978年、1979年、ロック・ミュージシャンたちとおこなった壮大な実験音楽は、ロック史にもジャズ史にも燦然と輝いている。

1978年 ジェフ・ベック and スタンリー・クラーク来日メンバー

ジェフ・ベック(ギター&ギター・シンセサイザー)、スタンリー・クラーク(ベース)、サイモン・フィリップス(ドラムス)、トニー・ハイマス(キーボード、シンセサイザー)

1979年 ニュー・バーバリアンズのメンバー

ロン・ウッド(ギター)、キース・リチャーズ(ギター)、スタンリー・クラーク(ベース)、イアン・マクレガン(キーボード)、ジガブー・モデリスト(ドラムス)Zigaboo Modelisute (ミーターズのメンバー)

リターン・トゥ・フォーエヴァーのオリジナル・メンバー

チック・コリア(ピアノ、キーボード)、スタンリー・クラーク(エレキベース、ウッドベース)、ジョー・ファレル(サックス、フルート)、アイアート・モレイラ(ドラムス)、フローラ・プリム(ヴォーカル、パーカッション)


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