感覚と能力
私は感覚が悪いと自覚している。
これは五感に関してもそうだし、第六感にしてもそう。
五感はすごく簡単で、特に味。妹は家のお米を変えたらすぐに気づいて美味しいだのいまいちだの言うのだけれど私には全くわからない。苦目の珈琲とか酸味があるとかも全くわからないし、小学生の頃は腐った味噌汁を飲んでも分からなかったくらい。高めのご飯を食べて楽しむのは雰囲気だと割り切ってしまう方がいいくらいには鈍感。
体操をやっていた時の空間感覚とか、普通の生活の土地感覚とかも全くない。
第六感というと何を指すのかはよく分からないけれど、文章を読んで何かを感じる力とか、なんとなくこれがいいんじゃないかって信じて決断する力とか、そういうのを察する力が著しく低い。
だからこそ、なぜその判断をしたのか、とかなぜその文章がいいと思ったのか、とかをなんとなくで終わらせる人が苦手で、全てに言語化、数値化を求めてしまう節がある。
そんな感じではあるんだけれどこの間長期インターン先で褒められた感覚があったの。それが、自己を俯瞰する感覚(能力?)。
インドに行った話をした時に、用意されたレールの上で縛られている感覚を就職前にできるだけ切り離して将来を考えることが目的だと話した。その、縛られている感覚を持つ人は少ないらしく(?)そういうものがどこでどう生まれたかを考えるきっかけになった。
インターン先はすごくいい場所で、私以上に言語化することを大切にしている人ばかりなので全部に理由をくれるからいやすいなって感じた。し、このくらい言語化できるのであれば第六感がなくてもなんとかなるのかも、と思った。
(ただこの人たちは皆言語化できるが感覚自体もすごくいい人なので感覚が先行している可能性も否定はできない)
この第六感って経営者とか成功者にはめちゃくちゃ大切な素質だと思ってる。
だからこそ、自分にはこういう世界、向いてないのかな〜〜とかよくキャリア考える時に考えてる。
そう思うと、大手でバリバリ働いたほうがなんやかんや社会に合うのでは?と思ったり。でもそれって、自分の真の能力を上げる行為ではなく社会でうまく生き残っていく術を身につけるだけだよなぁとか思ったり。
あとは最近思ってるのは、能力の身につけ方。
私の中では、感覚はその人が生まれながらに持つもの、あるいは環境によって自然と身につくものなんだけど能力はその人が意識、あるいは努力して身につけるものだと思ってる。
私は感覚はないけど能力は比較的高いと思っている。勉強、雑務、思考、言語化などに関して。
結論多分それは高校大学生活で部活とかだけじゃなくて自ら外に出て行った結果なのだろうと思っている。
特に外に出ている時にはかなり色々意識していたのでそれによっていろいろ繋がっているのだろうと信じているし、能力は社会で支配を受ける側としては非常に大切なのだろうと思う。大手であればあるほど感覚よりもこの側面が重要視される傾向にはあるのでは?と思っている。
そういった自身のポテンシャルで向いていることと、自分がよりワクワクすることが少し離れているからこそ、色々迷うし、どちらかが飛び抜けているわけでもないから社会の中で微妙な場所にしか位置付けられないんです。難しいね。
私はかなり人を勝手に見てる人間なので、話してる中で、この人感覚いいな〜とかこの人私と全然違う感覚かも、とか能力と感覚の総合値を測ってしまう傾向にあるのだけれど、完璧な人間には出会ったことがありません。やっぱり完璧超人人間って存在しないのかな。
最近のわたし→過眠気味。
がんばっていること→研究室(プログラミング)、就活
がんばる予定→わくわくすることを探す、長期インターン、進路決める
4月の水曜日は後半3週連続で東京です。美術館と古本屋行きたい。
