見出し画像

発達障害と自己決定

こんにちは、りょーさんです。

ゆこさん、とらさんが「自己決定の大切さ」を自分の子育て結びつけて書いてました。ほんとそうだよなー、って思います。ぜひ読んでみてください。

今回は、自己決定と自己選択について、自己決定のサポートも大事だけど、日々の小さな選択の積み重ね、それ自体がとっても大事だよーってことを書こうと思っています。

自己決定は大事だー

自分の人生の大事なことは自分で決める=自己決定ってことにしましょう。
進学や就職、転居、結婚や出産、親の介護、別離、転職や独立、大きなライフイベントにおいて「自己決定」というのはとても大事なことだと考えています。

福祉の勉強をすると、「自己決定はその人の幸福度やQOL(生活の質)に影響する」ってことが幾度となく出てきます。だから福祉の支援者の大事なのは「本人中心」です。支援者中心ではなく、本人中心。

自己決定したから「納得」があり、そのプロセスや結果に対して正しく「責任」を持つことができて、次の大きな選択に対しても自分で決めることができる、それらの複合的なプロセスによって「幸福度」に影響を及ぼす。
この場合の幸福度って、「快楽の総量」っていうよりは、「自分の人生に対する納得度≒ウェルビーイング」ってイメージです。


でも自己決定って難しいよな

でも一方で、本人にとって大きな出来事、大きな決断ほど決めることが困難です。
不安だし、迷うし、葛藤するし、責任負いたくないし、、、エネルギーを必要とするし、正直疲れて「誰か決めてくれー」って思います。
思考停止して、楽な方に流れたい!って思います。
自分の人生の大事なことすべて自分で決めないとならぬとしたら? それはそれで酷な話です。残酷な自己責任論にも結びつく。

だから個別の状況に合わせて、サポートが必要です。
だから人は相談するし、される。部分的に背負ってもらったり、誰かに背中押してもらったりすることもある。
誰を頼るか、いつ頼るか、どのように頼るかも、可能であれば本人が選ぶ。
時に親であり、友達であり、パートナーであり、いろいろあるでしょう。


大きな自己決定は小さな自己選択の積み重ねから

考えてみると僕たちは日々、「決める」ってことをしています。
そして、決めた瞬間、決められなかった選択肢は捨てられます。

昼ごはん、ラーメン食べるって決めたら、カレーを食べる選択肢は捨てられる。
カレーも食べたかったなーって思うけど、「ラーメン食べるって決めたし、ラーメンうまいしまあいっか!」って納得するわけです。
あるいは「胃もたれ!カレーにしておけばよかった!」って後悔しても「ま、自分で選んだしな」って納得するわけです。

こういうちょっとした日々の選択のことを「自己選択」って呼ぶことにしましょう。

・数学勉強する?英語勉強する?それともどっちも??あるいは勉強しない?
・お風呂入る?入らない?入るとして何時から入る?
・ゲームする?それは何時まで?
・やらねばならぬことの優先順位はどーする?
・誰と遊ぶ?家に連れてきて遊ぶ?それとも外で遊ぶ?
・今日着る服はどーする? 
・学校を出る時間は何時?

日常の中で日々選択が必要で、ある見通しを立てて、「こういう判断をすればこうなる」ってことを経験的に捉え、自分で考えた上で、ベターな選択をする。
時にやらねばならぬことを先のばしして「失敗したなー」って思って次の行動に活かす。
こういう小さな選択とその結果を引き受けることの繰り返しによって、僕はたちは生活を成り立たせ、子どもたちは経験値を積み成長していくわけです。


「自己選択できない」と決めつけない

発達凸凹の子どもたち、この自己選択が苦手って子も多いです。
理由はいろいろあります。

・プラン立てたり見通し立てたり現実を検討する力が弱い。
・見通しを立てられないことへの不安が強い。
・選択肢を想定し、吟味する力が弱い。
・関心のないことや苦手なこと(先のことを考える等)ってことと向き合いたくない。
・「今」に集中したい(過集中)。
・選択するための思考に集中することができない(注意散漫)。

決めるのが苦手な子どもたちを見ていると、そして決めなくてはならない時が迫ってくると大人はしびれを切らします。
その子が「決められない子」だと大人が判断した場合、大人は「決めてあげる」ってことをしてしまいがち。
子どもの気持ちを忖度し、「これはできないだろうからやってあげる」と先回り、あるいは気持ちを無視しトップダウンで「決めてしまう」ってことをする。

たとえば、
子どもが「お腹が空いた」という前に、「お腹が空いたでしょ?」と先回りする。
子どもが寒いそぶりもしていないのに、「寒いでしょ?上着着なさい」と着させてしまう。
子どもが「Switch…」と言えば、「Swichならテーブルにおきっぱなししていたでしょ」と子どもが言い切る前に答えを言ってしまう。

意志を主張するチャンスを奪われた子どもは少しずつ「選ばない」「決めない」を学びます。


大人の関わりによって育む自己決定の力

リエゾン8巻にこんなエピソードがあります。
小学校で学校に行けなくなってしまった小学一年生。
発達の凸凹はありそうだけど、父も母も子どもに理解を示そうとし、一生懸命子育てしている。

でも、学校に行けない。

ドクター佐山は、両親が大変な状況の中で、子どもを支えよう一生懸命関わっているおかげで、「子どもが安心して過ごせている」ってことを丁寧に伝えた上で、声のかけ方や関わり方を工夫してみないかと提案します。

そこで、こういう例を示します。
「もう7時だから起きないと学校に遅れるよ」
こういう声かけだと、自分で考えて行動する余地が残っていない。

一見、選択を促すような声かけかもしれない(起きるの? 起きないの?)、答えは決まっている。「起きなければならず」「行かねばならない」のです。
そこで子どもが吟味し、葛藤し、選択をする機会を奪ってしまっている。

選択の機会を与える? そこで父は疑問を示します。
「宿題ひとつとっても言わないとやらない」と。

そこで佐山先生は、とても厳しいことをとても優しく言います(たぶん)。
「言わないとしない子どもに育ってしまったのです」
、、、と。うわー、厳しいー。

(そして関わりを変えた父母、その変化に対して子どもは、、、物語の結末はぜひリエゾンの8巻をどうぞ!)


自己選択からの自己決定へ

僕たちは、日々の中で子どもが考え、選択の余地を与えるような関わりをしているだろうか?
教育者や支援者になるとこの問いに内省的になることが不可欠だと思います。

そしてこの小さな選択の積み重ねこそが、将来の大きな自己決定に結びつくのです。
それは教育現場でももっと強調されるべきだし、発達障害で決めることが苦手な子どもたちにおいても同様です。ただ、より丁寧なサポートが必要。
だから発達障害の子どもたちの放課後デイ等での支援においても自己選択・自己決定のサポートっていうのは大事な支援だと考えています。
そして、その支援のベースは温かい安心の関係からの対話です。

間違っても「この子はできないからしてあげる」という姿勢で関わるデイの支援者にはなってはいけないし、そういうデイに通わせない方がいい、って思います。


最後まで読んでいただきありがとうございました。



いいなと思ったら応援しよう!