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生成AIと、ひとりで向き合わない――仲間と考える授業づくり

最近、授業づくりに生成AIを使う先生が増えてきた。

教材の整理。
発問の案出し。
導入の言葉。
評価の観点。

どれも、少し聞けば、それなりの形で返ってくる。

便利だ。
正直、かなり助かる。

私自身も、よく使っている。

だからこそ、最近、少し気になることがある。

それは——
「みんな、一人でAIと向き合っている」ということだ。

職員室で、
スマホやパソコンに向かって、
黙々とプロンプトを打ち、
黙々と案を読む。

相談しているようで、
実は誰とも話していない。

そんな光景を、よく見る。


生成AIは、優秀な“壁打ち相手”だ。

こちらが投げれば、
必ず返してくる。

文句も言わない。
忙しい顔もしない。

だから、つい頼りすぎてしまう。

でも、あるとき、ふと思った。

「これって、ずっと一人でやっていたら、
 結構しんどくならないか?」

と。


AIは、答えをくれる。

でも、「それでいいのか」は教えてくれない。

この導入で、子どもは動くのか。
この発問で、考えは深まるのか。
この構成で、本当に学びになるのか。

そこまでは、保証してくれない。

最終的に判断するのは、
いつも教師だ。

しかも、その判断を、
一人で背負うことになる。


だから、私は最近、強く思う。

生成AIの時代だからこそ、
「ひとりで向き合わない」ことが大事だ、と。


ここで言いたいのは、
「みんなで仲良くやりましょう」という話ではない。

そうではなくて、

授業づくりやAI活用をめぐって、
互いの「観」を問い直し続ける関係。

そういう関係——専門的には「実践共同体」と呼ばれるものが、
これからますます重要になる、ということだ。


たとえば。

AIが出してきた授業案を見て、

「この流れ、きれいだけど、
 うちのクラスだと、途中で止まりそうだよね」

「ここ、ちょっと説明が多すぎない?」

「私は、ここを削って、
 子どもに任せたいかな」

そんなやりとりが生まれる場。

正解を決める場ではなく、
考えを揺らす場。

そこに価値がある。


ちなみに、私自身も、大事な授業の前には、
できるだけ信頼できる現場の先生に相談するようにしている。

「これ、どう思う?」
「ズレてないかな?」
「ここ、重すぎない?」

そんな短いやりとりをするだけで、
頭の中が一度、整理される。

判断を一人で抱え込まないための、
小さな工夫だ。


実践共同体があると、
不思議なことが起きる。

まず、判断が分散される。

「自分だけが決めたわけじゃない」
という感覚が生まれる。

これは、甘えではない。

長く続けるための、技術だ。


もう一つ、大きいのは、
視点が増えることだ。

自分では思いつかなかった見方。
気づかなかった違和感。
無意識の思い込み。

仲間は、さりげなく教えてくれる。

それが、あとから効いてくる。


そして何より、
暴走しにくくなる。

AIを使っていると、
「なんか、できる人」になった気がしてくる。

でも、それは錯覚だ。

誰にも見せない思考は、
だいたい偏る。

実践共同体は、
そのブレーキになる。


研修でも、ゼミでも、校内でもいい。

形は何でもいい。

大事なのは、
「一緒に考える回路」があることだ。

単発の研修で終わらせない。
一度きりの発表会にしない。

続く関係にする。


これからの教師に求められるのは、
「一人で完成度の高い授業をつくる力」ではない。

「仲間と一緒に、
 迷いながら、育てていく力」だと思う。


生成AIは、便利な道具だ。

でも、道具は、
使い方を間違えると、人を疲れさせる。

ひとりで抱え込むために使うのではなく、
つながるために使う。

そのほうが、
たぶん、長く続く。


もし、いま、

AIを使いながら、
どこかで少し疲れている先生がいたら。

まずは、こんな一言からでいい。

「このAIの案、どう思う?」
「ちょっと見てもらっていい?」

その一言から、
実践共同体は始まる。

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