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【読書ノート】水道橋博士『藝人春秋』~博士が見た芸能界に棲息する大物たち~



達意の文章で綴る芸能人列伝


 お笑い芸人の水道橋博士 著『藝人春秋』(文春文庫)は、芸能界に棲息する超人・名人・怪人たちの人物像を「知の巨人(本好きの小人)」である博士氏の独自の目線と格別な愛情を込めて活写したルポルタージュ作品だ。

 豊富な読書経験をもとに書き綴った博士氏の文体はまるで三島由紀夫なのか、森鷗外なのかが判別がつかないほどの格調高い文章である。長年サブカル本の編集を担当してきたライターの目崎敬三氏が目をつけたのも納得できる。出版界に華を咲かせる書き手として、博士氏の作品は読書好きな芸能人をはじめとして大々的に広まったのも説明がつく。

 さて、本書の読みどころについて3人の大物たちを主として紹介することにしよう。


草野仁 大相撲の名解説に天晴れ!


 最初に取り上げるのはテレビ司会者の草野仁氏だ。ご存知の通り、TBSのご長寿番組『世界のふしぎ発見!』の名司会者として長年愛されてきた人物である。番組終了後も司会業を中心に活躍している。

 博士氏はある特番の企画のためスタッフとの会議を行っていた。その時に草野氏の名前を聞いたという。

< 『浅草キッドのルイ・おやじ王朝』と題した特番の持ち上げに、ボクたちとスタッフ一同でキャスティングの会議がもたれていた。
 この席でゲスト候補の一人として企画書に書かれていた「草野仁」の名前に目が止まった。
 「これって、あの草野仁さんのこと?」
 それはそうだろう。草野仁さんのパブリック・イメージと言えば、テレビ業界では草木もなびく超大物司会者の一人であり、東大出身、元・NHKのキャリアからも窺い知れる超堅物人間、そして、柔和な語り口で安定感ある司会、紳士の物腰が板についた「テレビ界の良心」とも認識されている。
 しかし、業界に噂される、草野仁のオルター・エゴ(分身)は全くの別人なのである。
 ”草の人”という草食系な名前からは想像もできない、肉食系「最強伝説」の逸話の数々は、都市伝説として漏れ聞こえている。
 実際、テレビ司会者には全く不必要とも思われる、その大胸筋の鎧の下には人知れず数々の”ふしぎ”が隠されているに違いない。この機会に我々自身が「ミステリーハンター」に成らんと名乗りを上げるのは、もはや宿命でもあった。>

水道橋博士『藝人春秋』文春文庫 p.84-85

 博士氏にとって草野氏への聞き込みは「宿命」だけでなく、偶然の賜物である。この機会を貴重なものと捉え、二人は彼への取材を敢行したのだった。

 私は草野氏の逸話が都市伝説ではないことを以前から知っていた。「世界ふしぎ発見!」を何度も拝見し、物腰の柔らかい人間味あふれる草野氏の司会ぶりは格別のものだった。後々インターネットで調べてみると、経歴は華やかだった。東大を卒業してNHKでアナウンサーを務めた経験の持ち主だ。その割に硬骨な肉体を誇っていることも何かの記事で見た事があった。

 よわい80を超えても、日々の肉体改造には事欠かない。TarzanのZのポストを見れば一目瞭然だ。ダンベルを持ち上げたトレーニングを映した写真に思わずハッとする。

 草野氏が筋トレに目覚めたのは40代を迎えてからだという。

< ウエートトレーニング好きで“脱いだらムキムキ”で知られる草野さんが筋トレを始めたのは40代の頃。

NHKを退局してフリーになり、運動不足で贅肉がついたので始めました。最初はジム通いでしたが、いつでもできるように自宅に機材を揃えた。加齢とともに心肺機能や筋肉が落ちるので、最低限のトレーニングは毎日必ずこなしています」  

 積み重ねてきたトレーニングが75才の壁を超え、81才のいまへ導いたのだろう。>

※太字は筆者強調

女性セブン プラス『草野仁さん(81才)が語る大きな病気をしない秘訣「“明日は今日よりも絶対いい日になる”と心に念じて睡眠に全集中しています」』2026年2月23日

 運動不足と加齢に伴う筋肉の衰えは40代以降になって相当堪えるようになることがよくわかる。いわゆるフレイルだ。その予防対策として毎日自宅で筋トレを行うことを日課にしている。ただ、高齢により負荷をかける筋トレは行わない。かえって血流が悪くなり、体調を崩しやすくなるからだ。

 本書の話に戻すと、草野氏の学生時代に取り組んで相撲の話を聞いて、博士氏は思わず目を丸くした。説明がまるでNHK大相撲解説と重なるようだったという。草野氏は自身の家庭教育と学生時代にハマった出来事について丁寧に話していただけた。

< 「わたくしの家は、いわゆる教育一家なのです。兄二人は真面目に勉強して東京大学の理科に入りました。ところが、わたくしだけは勉強は、もう大嫌いでしてね、とにかく外で遊び廻っているばかりなんですね。その頃、昭和20年代の後半ぐらいですから、お相撲が栃錦・若乃花の全盛時代になっている頃で、子供の遊びは校庭にヤカンの水で土俵を書いて、お相撲をとっていたんですね」
 さすがにその語り口は懸河《けんが》の弁、ストーリーに巧みにTPOを織り込む術に、我々もいつのまにか半世紀以上も前の草野さんの故郷、長崎で草相撲に興じる少年時代へとタイムスリップした。
 「それで、わたくしは勝手に自分の好きな力士の四股名を使っていまして、当時、もみ上げが濃い、先代の朝潮が大好きで、その朝潮を名乗って、仲間の中では一番強かったんです。その強さは中学になっても高校になっても続いていまして、田舎のサークルでは『あいつは相撲が強い』と評判になっていたんです」
 「でも、それは運動部でもないし、草相撲レベルですよぇ?」
 「自分でも、そう思っていたんです。それが同郷の出身で大相撲の世界に入られまして、十両で終わったんですけど、雲仙山という四股名の力士がいらして、この方が親戚みたいに我が家によく出入りしていたんですね。それで丁度、わたくしが大学4年生の折ですから昭和41年のときですが……」
 「大学生って、草野さんが東大生の時ですか?」
 「そうです。雲仙山さんが地元の島原で、国体予選をかねた相撲大会を開催するので選手が足りないから『おまえ来い』って話になりまして……」>

前掲書 p.89-90

 教育一家に生まれ、兄弟が理系の大学に進学して学問に励む一方、青年時代の草野氏は勉強にさほど身が入らなかった。身体を動かすことを好むだけにスポーツへの熱心さは人一倍強かった。殊に相撲に造詣が深く、栃錦・若乃花時代の相撲の記憶が鮮明だった。第46代横綱の朝潮太郎のことだ。
 ゲジゲジの太い眉毛と屈強な肉体を誇る力士で優勝5回の賜杯を飾る強者だった。鹿児島県の徳之島町出身で鹿児島県内の中学・高校の相撲部で才能を開花させ、相撲大会でも力を発揮したのだろう。しなやかな肉体とクールなスタイルにすっかり魅了され、その出来事が相撲好きになったきっかけとなった。

 もう一人外せないのが雲仙山だ。長崎県の加津佐町(現・南島原市)出身の力士だ。度々草野宅に出入りし、親戚のように世話を焼かれたという。結局、十両止まりで土俵人生に幕を下ろしたが、同郷に生まれた者として誇らしく思ったらしい。

 続けて、草野氏の相撲にまつわる語り口はまるで解説者のような論理的説明で明解な内容に圧倒されたと博士氏は驚愕した。

< 「それで、これは相撲も他の格闘技もそうですけど、対人競技っていうのは向かい合った瞬間に相手の力量が分かるんです。相撲でいえばマワシを取ったときがそうです。その決勝戦でも立ち合いから、まともにバンっと右四つになった、その瞬間に『あぁ、これは力負けしないな』と思いまして」
 「それは、もはや達人の域ですよォ」
 「それで、グッと寄って行って土俵際で投げの打ち合い、両者、体ごと飛び出し……。勝ったと思ったんですが、審判は相手方の前田さんに軍配を上げたんです。その時、さきほど申し上げた雲仙山さんが審判長をやっておられまして『違う!もう一丁とれ!』という話になりまして」
 「ほぉ!もう一番!」
 ロケバスの中だということを忘れ、今や手に汗握り、まるで目の前で差し違えがあったかのように、声を上げる。
 「それで、もう一番となり、その時思ったんですね。これは力負けしないで真正面から行っても勝てるだろうけど、しかし、ここで自分なりに『技術を使ってやってみよう!』と。44代横綱の栃錦さんの相撲がパァーンと立ち当たって、ちょっと変わりながら右上手を取って出し投げ、寄り切りというスタイルだった人です。よし、この作戦で行ってみようと思いましてね。」
 まるで『大相撲ダイジェスト』の親方の解説ぶりである。>

前掲書 p.90-91

 この話を聞く限り、相撲の魅力が存分に伝わってくる。NHK大相撲の解説者を担当しても面白味のある内容になると思う。
 そうなると、NHK大相撲解説でおなじみの舞の海秀平氏に引けを取らないほどの語りを披露できるだろう。実演した時にどちらの方の解説が面白く感じられるだろうか。
 舞の海氏は相撲解説よりも書き手としての才能に恵まれた。そちらに軍配が上がるようだ。巷では名文家として読書界で名を馳せている。一方で保守論客としての顔を持つため、気に食わない人々もいる。


古舘伊知郎 圧巻のプロレス解説


 名司会者として知られるアナウンサーの古舘伊知郎氏にまつわるエピソードは秀逸だ。

 博士氏の言うように、古舘氏は公の場で喋り過ぎてしまい周囲を困惑させるほどのワンマンショーを展開した。

< 古館さんがライフワークと公言し、たった一人で2時間を超え、ワンステージで3万語以上を喋りきる”舌先のトライアスロン”『トーキングブルース』は、今年(2000年)で13年目を迎える一人芸の舞台である。
 ひとりきりの舞台には過剰すぎる言葉の数、観客の感想や批評が追いつかないほどの言葉の量。
 こういう舞台を見せられると「漫才」も同じ板に立つ喋り芸であるだけに息苦しいほどに圧倒される。>

前掲書 p.120

 一人きりの舞台では思う存分喋り倒すことができるから、古館氏にとってはさぞかし気持ちがスカッとする場なのだろう。今でさえ考えられないことだ。令和時代を迎えてコスパ・タイパ意識が芽生えている中で古館氏の語りを聞く人が一体どれほどいるのだろうか。

 博士氏が何より驚きを隠せなかったことはプロレスの実況中継だ。「もう、二度と聞くことはない。」と断言するほどの情と理を織り交ぜた実況ぶりは目を見張るものがあった。今でも忘れられない1998年4月4日のプロレス実況の記憶を見事に活字化に成功している。

< 1998年4月4日——。古舘伊知郎の二度と聞けないと思ったプロレス実況が蘇った。
 この日は我らがアントニオ猪木の引退試合であった。
 2日後の4月6日に放送されたテレビ朝日の引退特番では、東京ドーム場内に響き渡った古館実況がカットインされていた。
 再現してみると——。

 「闘う旅人・アントニオ猪木……。今、相手のいないリングに猪木はたった一人でたたずんでいます。思えば38年に及ぶプロレス人生、旅から旅への連続であり、そして猪木の精神も旅の連続であった。安住の場所を嫌い、突き進んでは出口を求め、飛び出しては次なる場所に歩を進め、ドン底からの新日旗揚げ、世界王者とのストロングマッチ、大物日本人対決、格闘技世界一決定戦、IWGP、巌流島、人質解放、国会に卍固め、魔性のスリーパー……決して人生に保険をかけることなく、その刹那、刹那を燃やし続ければよいという生きざま。
 猪木は、このあとの舵をどの方向にとろうというのか。一人ひとりのファンの胸には今、どんな闘いの情景が映し出されているか。猪木は、全ての人間が内包している闘う魂をリング上で代演する宿命にあった。我々は猪木が闘いの果てに見せる表情、己自身を投影させてきたのだ。しかし、この瞬間をもって猪木はこのリングから姿を消す。我々はどうやって火をともしていけばいいのか。
 物質に恵まれた世紀末、商業主義に踊る世紀末、情報が豊かで心が貧しい世の中、ひとりで闘うことを忘れかけた人々……もう我々は、闘魂に癒されながら時代の砂漠をさまよってはいられない。我々は今日をもって猪木から自立しなければならない。闘魂のかけらを携えて今度は我々が旅に出る番だ。闘魂は連鎖する!!
 1943年2月20日、鶴見に生まれしひとりの男の子。姓名・猪木寛至、闘魂の火種。貴方を見続けることができたことを光栄に思います。燃える闘魂に感謝!ありがとう アントニオ猪木!」

 この口調、このストーリー性。
 まさにアントニオ猪木の全盛時代と共に身震いし熱狂した古館節の再現であった。>

前掲書 p.121-123

 古館節が炸裂したプロレス実況である。語りを文字で見る限り、元プロレスラーのアントニオ猪木氏(故人)を熱狂的視線で応援するファンの姿が目に浮かぶものだ。絶望の淵から叩き上げで登り詰め、プロレス界を牽引してきた猪木氏の闘魂物語は博士氏をはじめとするプロレスファンたちを魅了させた。栄光と挫折を経験し尽くした男の花道は日本のスポーツの歴史において長く語り継がれることだろう。

(当時の中継記録は残されていませんでしたが、古舘氏は自身のYouTubeチャンネルで1988年8月8日のプロレスの試合の実況について語っていますので以下の動画をアップします。)

 博士氏も猪木氏の影響力によりプロレスに興味を抱いたと思う。「プロレス博士」と呼称されるくらいの広範囲にわたる知識を有し、芸人仲間や旧友の作家たちからも共鳴され、雑談の輪が広がっていった。
 さて、アントニオ猪木に匹敵する闘魂を持った次世代のプロレスラーはかくして登場するだろうか。ファンにとっては大いなる期待を寄せていることであろう。


三又又三 博士もタジタジの破天荒男


 水道橋博士氏にとって誰よりも身近な存在である一人の人間がいる。お笑い芸人の三又又三氏だ。長年旧交を温めてきた後輩芸人であるが、三又氏の破天荒ぶりに翻弄されてしまうのは玉に瑕だ。
 例えば、作家の司馬遼太郎(故人)が著した『燃えよ剣』の芝居を観て感化された三又氏と博士氏のやり取りは面白い。

< ある日、風間杜夫が準主役の『燃えよ剣』という芝居を見て、舞台そのものより風間杜夫に魅せられてしまったという。
 「へぇ。あれは原作がいいもんなぁ」
 「原作?」
 「オマエ『燃えよ剣』の原作くらい知ってんだろ?司馬遼太郎の……」
 「いや、そういうのは全然知らないです!」
 「……じゃあ『竜馬がゆく』は?」
 「それはもちろん知ってますけどぉ……」
 そりゃあ、そうだろう。やや安心すると、
 「ただ、知ってるだけで読んでませんよ!」
 キレ気味にキッパリと言い切る。>

前掲書 p.139-140

 どうやら三又氏は俳優の風間杜夫氏の演技に惚れ惚れとしたものの、『燃えよ剣』の中身をまるで知らなかったようだった。原作はおろか、司馬遼太郎作品を一度たりとも読んだことがない。ここは素直な面が出ただろう。

 博士氏は司馬文学を読んだことがない人間に出会ったことで内心許せなかったのではないか。司馬遼太郎作品は日本人にとって知っておくべき歴史小説であることを。「話が通じないなあ。」と一瞬思ったのだろう。それでも、司馬文学を読んだことがない日本人は少なからずいるはずだが。

 三又氏は風間杜夫の名演技に魅せられ、演劇に目覚めるようになった。そこから劇団に入門することになるのだが、その理由も自身のミスによる発作的行動であると博士氏は強調する。次のやり取りも断然面白い会話だ。三又氏が劇団に入門するためにビートたけし氏の名を借りて申請したという疑惑が浮上したことから始まった。

< 「それってさ、うちの事務所(オフィス北野)を通してお願いしたの?まさかオマエ、勝手に殿の名前を出してお願いしたんじゃ……」
 「チョ、チョット待ってください博士ぇ、違いますよぉ!あくまで新人の役者としての入門でぇ、今ぁ若い連中と一緒に週2回、肉体訓練からやってますよぉ!」
 「……わかった、オマエ小西真奈美の記事を読んだんだろ!」
 トップモデルから、つか劇団へ入門、転身以来、グイグイと頭角を現した今や誰もが知る新進気鋭の女優の名をあげた。
 「誰ですかぁ?それ?」
 どうやら、この劇団志願も、いつものミスの発作的行動のようだ。
 しかし無知で無鉄砲でありながら、その行動力は龍馬的だ。
 「でぇ、博士にお願いがあるんですけどぉ……」
 「なんだよぉ?」
 「その、つかこうへいの本って今まで一度も読んだことがないんで貸していただけますか?」
 「ええええ!!!オマエ一度も読んだこと無くて入門したの?」
 事程左様に、普通の人ならアナルがあったら入りたくなるほどの恥ずかしい不見識ぶりでも、三又の場合、思い立ったら意気込みだけで即ケツし、事を成してからシリませんでしたと言ってはばからない。
 一々選ぶのも面倒だったので本棚にあった『幕末純情伝 ~龍馬を斬った女』を持たせて帰した。

 とにかく三又という男、肛門無恥とでも言い替えたい程、いい意味で厚顔無恥、やたらと多方面に顔が広いのだ。>

前掲書 p.140-141

 一人の俳優に感化され演劇を始めた三又氏。入団したつかこうへい劇団を主宰するつかこうへい氏のことすら知らず、本すら手に取ったことがない。顔が広く豊富な人脈を持つだけにそそっかしい面が否めず、博士氏も翻弄されてしまう。それでも憎めないのが三又又三という人間なのだ。
 呆れてものを言えなかったのか、博士氏は「アナルがあったら入りたい」を「穴があったら入りたい」と言い間違えていた。恥辱ぶりに辟易しながらも愛嬌のある人柄だから許してしまう。それが博士氏の寛容な心の持ち主であり、懐の深さであり、温情味溢れる人柄だと言えまいか。

 去年(2025年)に放映された映画『選挙と鬱』で博士氏が選挙活動中に途中で乱入し、応援に駆けつけてくれた、はずだった。折しもB'zのライブ会場前で演説中に突如登場した。その後、ステージに立ち、「さあ、頑張ろうぜ!♪」と歌に乗せて会場を盛り上げようとしたが、結果として一人リサイタルとなった。B'zの曲「Ultra Soul」の歌詞「そして、輝く Ultra Soul! Hey! Ultra Soul! Hey!」をパクリ、選挙応援の道具に使われたことで後々ネット上の炎上騒動に発展するなど世間の顰蹙を買った。

 そんな三又氏は本業の芸人の傍ら、千葉県船橋市にある不動産会社に就職した。コロナ禍を経て収入が激減したため、生活資金を確保することが目的だ。

 不動産会社で営業マンとして奮闘努力していることであろう。
 博士氏も20代の頃に宅建の資格を取得している。不動産についても知悉している。仲が良いんだか悪いんだかは分からないが、不動産事業で生計を立てつつ元気に暮らしていることに安堵感を覚えるはずだ。
 今後の二人の関わり方はどうなっていくのか。少し気になる。

 本書で紹介されている芸能人たちの素顔は目から鱗が落ちる話であり、博士氏の情愛も込められている。読み応えたっぷりの作品だ。

 水道橋博士氏のファンのみならず、エンタメの世界に関心がある読者の方々に、是非とも手にとっていただきたい。


<参考文献>


水道橋博士『藝人春秋』文春文庫 2015


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