昨日、繁忙の3連勤を無事に終え、夜はシャーベットに癒された話
昨日は、怒涛の週末3連勤の最終日。月曜なので、通常は土日ほどの繁忙にはならないのだが、いまは夏休み中。お盆休みも近い。そして連日の暑さもあって、カフェは朝から、なかなかの盛況ぶりだった。
アイスコーヒーは昼から追加の仕込をし、サンドイッチも昼過ぎに完売。昨日、体調不良で早退したスタッフが、急きょ今日も休むことになったため、他店からヘルプの方が来てくださった。慣れない店舗で、途切れることのないお客様の行列にもひるむことなく、テキパキと笑顔で接客される。
「今日は急な要請に対応下さって、ほんとにありがとうございます!」
「いえいえ、こういうのはお互い様ですから。手際が悪くてすみませんね…」
すごい人ほど謙虚、というのは本当だ。謙遜ぶっているのではなく、本心からそう言われているように感じた。聞くと、休日返上で来てくださったらしい。もしかすると、どこかへ遊びにいく計画がおありだったかもしれない。ご家族との約束をキャンセルされた可能性もある。前夜20時の応援要請。簡単ではなかったはずだ。
確かに「社員さん」は、こういう対応を求められる立場。それに見合う対価ももらわれているのだろう(そのはず…)が、背後にある本当の動機は何なのだろうか。会社への忠誠心、仕事自体への愛着、報酬最優先という割り切り…熱心に働くその姿は、迷いがないように見えるが、実際には心の中に、色々あるのではないか。
以前は、他人のそういうのがすごく気になった。機会があれば話を聞いてみたい気持ちが、常にあった。今はある意味、どうでもいい。逆に、あまり聞きたくないと思っている。特に職場の人たちとは「仕事の内容」で繋がっていれば十分。それ以上の情報の分かち合いは、親しさの度合いによって調整している。
子供の頃、仕事の愚痴や私的な悩みを、相手を選ばず、何でもかんでもペラペラ喋る大人たちに囲まれて育った。「すべてを分かち合う」のが、良い人間関係を築く必須条件だと、長らく思っていた。
今は、誠実に人と関わるためには、自分と他人との境界線をしっかり持つことが必要だと思っている。そしてそのためには、「ひとりで立てる自分」であることも。聖書通読4日目。今のところ順調に進んでいる。創世記12〜15章。アブラム(のちのアブラハム)が出てきた。
晩御飯は久しぶりに縞ほっけを焼いた。食後には牛乳シャーベット。キンキンに冷えた氷のお菓子が、躊躇なくここまで美味しく食べられるのは、酷暑のおかげだ。お腹の調子もほぼ元に戻った
今日は待ちに待った休日。
ゆっくり腰を休めよう。

