MSXマガジン各号の表紙絵の作者を分類してみた
歴代のMSXマガジンはアカシックライブラリーで無料で閲覧することができます。スキャンのままで汚れなどもありますが、貴重な情報が広く公開されているのはとてもありがたい事です。(でもヴューアーが古臭くていまいち使いずらい&とても読みづらいので、PDF販売などもしていただきたいなあ…有料でいいので。)
さてMSXマガジンは表示絵のクオリティがとても高かったと思っています。自分が読んでいたのはMSXマガジンの後期から末期だけですが、あらためてアカシックライブラリーで確認すると初期の表紙イラストのセンスの良い事良い事。そうなると描いている人が気になりますね。と言う事で各号をアーティストごとに分類したいと思います。狙っている読者層も見えてきて面白いのです。
創刊0号~1984年4月号 本田年一氏
創刊0号、1983年12月創刊号、1984年1月~4月号の合計6号の担当は本田年一(ホンダ トシカズ)氏の担当です。ウマの絵のやつですね。よいインパクトです。好きです。

あまり調べても情報が出てこないのですがブルーバックスの表紙なども手掛けてらっしゃいます。

雑誌は縦書き右開きですね。編集長の田口旬一氏はコンピューターらしさを感じない紙面にしたかったとの事。文化人や芸能人へのインタビューなども多くゲーマーではない一般の人々がターゲットだった事がわかります。文化的な雑誌として納得の絵柄です。このまま進化するMSXマガジンも見てみたかった気がします。
1984年5月号~ 1988年5月号 大野一興氏
長期49号にわたってMSXでCGを書かれたのは大野一興(オオノイッコウ)氏です。
自分はこの頃MSXマガジンを読んでいなかったので大野氏の存在を知ったのは永久保存版2の表紙絵からです。当時の事は知りませんが、大人も子供も読むコンピューター雑誌の表紙としてとてもマッチしていると思います。見ていて楽しいですし、買う人を選ばない感じが良いです。
サンヨーのMSX1とグラフィック拡張機器のMPC-XでCGを描いていたような情報もどこかで見かけたんですが、ガセだったでしょうか。

その永久保存版2のweb記事で以下のようなものがありました。
このほか、「MSX MAGAZINE」表紙CG作者の大野一興氏(今回の『MSX MAGAZINE 永久保存版2』でも表紙を担当)と元MSX MAGAZINE編集長田口旬一氏のトークショーが催された。内容は主に当時の裏話で、大野氏がCGに興味を持った頃CG環境を持つ施設がほとんどなく、人づてに聞き回った末にアメリカや日本国内の大学でやっと触れることができたこと、その中でCG機材を持っていたアスキーとの縁ができ「MSX MAGAZINE」表紙を担当することになった経緯などCG環境の貧弱な時代の苦労話が語られた。また、担当した当初はNEC「PC-100」でCGを製作していたものの、当時社長だった西氏に「MSXの雑誌だからMSXで描くべき」と指示され、スペックの向上した“MSX2”機でようやくそれが可能になったこと、MSXの仕様を超える解像度のイラストを描くため画面9枚に分けて描き、繋げて1枚にするという方法を取っていたこと、大野氏のリクエストでアスキー社内で多くのツールが製作されたことなど、思い出話を披露。
展示スペースでは『MSX MAGAZINE 永久保存版2』で受賞作が発表されたプログラムコンテストの授賞式、また大野一興氏によるMSX実機でのイラスト製作実演などのミニイベントも催された。
PC-100のスペックをよく知らないのですが、確かに初期のCGはMSXぽく無いです。

MSX2発売が1985年6月頃な事と、絵柄から察するとMSX2で描かれ始めたのはこの辺りからでしょうか?

これなんかはもうMSX2でしょうね。

(画像はすべてアカシックライブラリーより。クリックで販売ページに飛びます。大きい絵はそちらで。)ただ、表紙のCGって印刷されていてトリミングもされてたり、そもそもかなりエフェクトかけられたりしているので明確に判定することが難しいです。解像度もばらばらでPC100に戻ったりもしてたんではないかなあ…。このあたりについて、永久保存版2に何か書いてあったかもしれないですが、実家にまだあっただろうか。

1984年10月号からは一興氏の連載が始まっていました。まだ読んでません(アカシックライブラリーが読みずらい…)ので連載は全部読んでみようと思います。
下記動画は1987年にソニーからリリースされたThe Flying Luna Clipper(ザ・フライング・ルナクリッパー)です。MSX2で作られているそうです、時代を先駆けているというかなんというか。


いわゆるドット絵は興味関心が技術に寄りがちですが、キャンバスが大きくなって、元となるゲームやマンガやアニメのネタがない状態だと制作者自身のセンスが丸裸ででてくるわけです。とりあえずいえるのは大野氏のCGはCGである前にセンスが抜群にいいですね。もともとアーティスト活動されてた方なので言うまでもないのですが。
1988年6月号~1990年8月号 佐久間良一氏
全27号にわたって表紙を担当したのは佐久間良一(サクマリョウイチ)氏です。ビッグコミックスピリッツの表紙でおなじみでしょうか。


最近は水彩などで写実的な絵を描かれているようです。
イラストは安定のクオリティで、明るく、とても賑やかです。同時にターゲットユーザー層がゲーマー少年に移ったのだろうなと言う事がうかがい知れます。
佐久間氏は表紙だけでなく雑誌内のいろいろなイラストも描かれてますね。




1990年9月号~1991年10月号 加藤直之氏
14号の間表紙を飾ったのはSFの大御所加藤直之(カトウナオユキ)氏のイラストです。

大御所です!



当時、自分は突然ダークになったイラストに不満を持ちました。前の佐久間氏のイラストの方がMSXぽくてよかったなと。しかし今見ると抜群にかっこいいですね。大変に好みです。この辺の急なコンセプトの変化はは編集長の編集方針とか、ユーザー層の年齢が上がったとか、ターボRに合わせたとかまあ色々あるんでしょう。しかし絵柄も濃厚で手間もかかってそうで当時のMSXの状況を考えるとギャラが負担でなかったのか気になります。
1990年9月号にインタービュー記事もありました。詳細はリンク先でどうぞ。P80です。 https://akasik-libraries.jp/modules/booklist/bookinfo.php?id=616&lastlimit=8&laststart=16



さて下記のイラストなんですが、この絵の印象が当時かなりありまして

最近まで表紙を見直すまで、横山宏氏がイラスト描いていたのかと勘違いしていました。ちょっとMa.k.ぽく無いですか? そしてこの頃のMSXマガジンのクレジットに横山宏って書いてあるんですよね。どこのイラストを担当していたのだろう…。

1991年11月号~1992年5月号 奥平イラ氏
月刊の最後の7号の表紙を担当されていたのは奥平イラ(オクダイラ イラ)氏です。

シュールなような現実的であるような不思議な作風な印象でした。最近も様々なアート活動をされているようです。
最終2号はクレジットが伊野栄秀氏と連名になっていました。映画監督に同姓同名の方がいらっしゃいますが、詳細不明です。
1992年7月summer号 岩村実樹氏
永久保存版を含めない最終号の表紙を飾ったのは岩村実樹(イワムラミキ)氏のビニールアートです。

岩村氏は別の号でもイラストを担当していらっしゃいます。

このPOPなイラストに見覚えがありますね。
色々なアート職を経験されたのちに現在はフリーランスとして活動されているそうです。
追記 大野氏担当のビッグコミックスピリッツ表紙

佐久間氏の前、大野氏もスピリッツの表紙を担当されていたそうです。
(1981年7月から1986年4月まで?)上の画像はその最後の担当号ではないかと思われます。つまりMマガの表紙はスピリッツの表紙を意識していたのかもしれませんね。
もしMSXマガジンが現在も発行されていたら、現在のスピリッツのようにグラビアアイドルが表紙を飾っていたかもしれません?下記は雑にnanoBananaに作らせた画像ですがどうぞ。ありそうありそう。

次回?
実は今回のnote記事は大野氏のCGとアートについて調べて記事を書こうとしている過程で、せっかくだから表紙イラストを全部調べてみようという経緯で書かれたものです。大野氏のそれぞれのCGと制作工程についてはまた別途記事に出来たらいいなと思います。
