映画「豹変と沈黙」(2)沈黙の道
金城信隆のシーンで使っている沖縄・国頭村の道のカット。これは沈黙の象徴である。
信隆が中国・上海の東亜同文書院大学に進学する前、国頭村の実家で暮らしていた頃によく通った道。それは、信隆の帰りを待ち続けた道でもある。
日中戦争の時代、さらには日本が米国を中心とする連合国との戦いに突き進んだ時代。母・トミは、上海にいる息子の無事を日々案じていたはずだ。道のカットはそんな母の眼差しでもある。決して一方通行の道であってはならず、信隆には卒業し、故郷沖縄に戻ってくる道行きがあった。しかし信隆にとって、卒業後は日本軍への入隊が既定路線であった。学徒出陣が決まった1943年に信隆は大学3年次。卒業が繰り上がり、彼は徴兵される。
信隆もまた、沖縄にいる母の無事を祈っていたことは日記に書かれている。「死なれては困る人」として「お母さんと、姉さんと」と記し、「こんなさびしい、恥ずかしい」と続けた。なぜ恥ずかしいのか。家族の心配など、いずれ日本兵になる身には望ましくないことと考えたのだろうか。
母への思慕を捨てなければ歩めない日本兵としての受難の道行きから、信隆は逃れられなかった。不在の道のカットが物語るのは、そんな信隆と母の近くて遠い距離感である。
忘れてならないのは、信隆がウチナーンチュ(沖縄人)であること。「俺の、書院にきた日本人としての…」と彼は書いている。時をさかのぼれば、独立国であった琉球は日本に侵略併合された地であり、『日本人』の道行きを強制されたことは信隆を二重三重に苦しめた。それらの帰結は何であったか。誰もいない夜道には、沖縄が国を失った被害地であるという、忘れてはならない歴史が通奏低音として重く響いている。
