🌹女風土記🌹 岩手県盛岡市 「水沢女学苑」「水沢准看護婦学校」創立 伊藤 尚子 女史 / Founder of "Mizusawa Jogakuen" "Mizusawa Nurse Training School", Ms. Nahoko Ito

-「岩手県胆沢郡当面の人物」(斎藤太郎 著 岩手民友新聞社昭和4)
「香りも高き 白ゆりの われら乙女の 愛の手に 看取りし人に 幸あれと 病みし生命の 灯とならむ ああ戴帽の 誓いかな」
(水沢准看護婦学校 戴帽式の歌)
"The sweet fragrance of the white lily, Held in the loving hands of us maidens. May happiness be with those we care for, As we become the light for fading lives. Ah, this is our sacred vow, Upon receiving our nursing caps."
伊藤 尚子 女史
Ms. Nahoko Ito
1887 - 1971
岩手県盛岡市 生誕
Born in Morioka-city, Iwate-ken
伊藤 尚子 女史は「水沢女学苑」「水沢准看護婦学校(のち水沢学苑看護専門学校)」「水沢宝生会」を創設。女子教育はじめ、妊婦ならびに乳幼児の保健に貢献。曾孫に伊藤穣一、小山田圭吾。
Ms. Nahoko Ito established "Mizusawa Jogakuen," a private academy for girls, followed by "Mizusawa Nurse Training School", and "Mizusawa Hoseikai. She dedicated her life to pioneering women's education and improving maternal and child healthcare. She is the great-grandmother of Joichi Ito and Keigo Oyamada.
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「東北の貸金業」
明治の時代、九州の炭坑業に対して、東北で異彩を放つのは貸金業。全国多額納税額者は住友吉在衛門に次いで2位を占めるのは、越後の市島徳次郎にあらず、兵庫の伊藤長次郎にあらず、宮城県下の斎藤善右衛門。同人の資産は、失敗した地主また事業家、疲弊した小作人らから担保として収められた田地。仙台市に細谷徳治あり、武田常吉あり、瀬戸進三郎あり、吉田吉三郎あり。秋田市の加賀富岩太郎、湊彌七。米沢市の高野源五郎、そして水澤市の伊藤祐基。資産家の名あるいずれも貸金業者。金貸業の跋扈する東北において、旧南部家に仕える服部武溫の4女として尚子は生まれます。南部家42代当主・南部利祥公は陸軍士官学校を経て騎兵少尉となり、日露戦争に従軍。満州の地で勇猛に戦うものの、井口嶺の戦いにて24歳の若さで戦死。旧盛岡藩士であり立憲政友会幹部で内務大臣である原敬らが中心となり、銅像建設の寄付を募る際に明らかになった破綻寸前の南部家の財政改革が推し進められます。家宝(古美術品)や、東京・淀橋(現・新宿区付近)などに保有する広大な土地を売却し借金の返済に充て、原敬が信頼を置く人物を会計責任者として配置、近代的な会計制度を導入します。その過程で父・服部武溫は会計不手際を理由に解雇されるものの県民の信頼厚く、岩手県収税部水沢収税署長、胆沢江刺郡書記、盛岡中学校書記などを歴任します。
「お竹ごぜ」
「盛岡一の美人が西洋館の前で三味線をひいているハンテ、見てオンデァンセや」せいが低く、色黒で、眼と鼻と口がクシャッと手で握ったような、下あごがしゃくれた美人が、こざっぱりした浴衣を着て、髪は水色のてがらをかけたいちょう返しをして、三味線を弾いて通りを流しているのを、大人と子供が大勢取り巻きます。いつ見てもひょうきんで嫌味がないので大変な人気者。知事や市長の名前を知らなくとも「お竹ごぜ」の名を知らない人はいないくらいで、外出から帰った盛岡の人たちは「おたけごぜ」にあったことを面白おかしく話題にします。盛岡の新小路に住まう尚子は、隣の貴族院議員・村井弥兵衛の別宅で八万吉田屋のごぜ名妓・こよみがやってきて「お竹ごぜ」の真似をするのを垣間見ます。是清の一節を歌って「兜のシコロを引っ掴み」のところであごをぐいっとしゃくり出すのが妙。お茶を出されると、大きな顔を撫でまわしながら「お桜も咲けばナッス。明治橋ナッス。歩がれんシェゼナモ。それ、お代わりモツモレァモセ。」そう言われた3尺くらいの紐でつながれた10歳くらいの男の子は、トウキミやカキなど何か食べながら、こよみを手引きして水たまりでも馬フンでもお構いなく道を歩いて行きます。早速、尚子は自分の部屋でぺちゃんこに座って箒を三味線かわりにつまびき顔をくしゃくしゃにしゃくって歌う練習をします。何度も繰り返してやってみて自信をつけると、母また姉妹を大笑いさせます。「お竹ごぜ」のかくし芸を身に付けた尚子は、盛岡高等女学校から高等師範女子部に進学。盛岡市城南尋常小学校に奉職すると、女子職員たちの中で思いっきりやって見せてみんなが笑い転げるのを見て得意がります。
「水澤の南北」
岩手の水沢は政爭の激しい処としても有名で、そこに銀行が2つでき、何といつても算盤から撥出された利害関係は怖ろしいもの、明治中年より大正・昭和前半に及ぶ約70余年間にわたり、南北の二つに分れて、互に鏑を削ります。北は立憲政友会、南は反政友会である進歩党のち立憲國民党。銀行も水沢銀行と水沢貯蓄銀行の2つ、電灯会社も水沢電燈と胆沢川電燈の2つ、劇場も2つ。道路敷設や学校設立の計画を立てようにも揉めに揉めて補助金を県に返上する始末。その水澤町から多額納税者、学習院教授、デトロイト大学副学長などの名士を輩出する水澤町日高小路の貸金業・伊藤祐基の長男・伊藤祐吾と尚子は結婚します。夫・祐吾は、広島高等師範学校を卒業して、乃木希典院長のもと学習院教授となり、父親の逝去後に郷里に戻り伊藤製粉所を経営しながら、自宅に「黎明館」を作り、自費で地方靑年の思想善導ならびに体育の向上に努めます。さらに南北の政爭に飽きた町內の有力者資產家の青壮年を網羅する社交団体「水沢倶樂部」を創設(会長は伊藤祐吾、副会長は辻山安太郞)。全町融和親交の会合を取り持ちながら、電灯会社でさえ10~25万年の資本金で済む時代に、資本金50万円を集めて「水沢鑄造鉄工株式会社」を創立。地方產業の振興に努めるものの、不幸にも会社創立3年目に急性肺炎で急逝。翌年、工場より出火し建物半分と器具多数を消失し整理解散のやむなきに到ります。尚子は残された夫の事業を引き継ぎながら、義弟義妹ならびに愛娘3人の教育に尽くし、生前の夫と一緒に謡曲の稽古に通っていた水沢緯度観測所初代所長・木村栄博士の力添えのもと「水沢宝生会」を設立。木村栄博士は南北両半球で合致する「z項」発見に伴い、多くの皇族貴顯学者名士等の視察を迎える傍ら、観測所官舎に東京から仕舞謡曲の瀬尾要師、小鼓太鼓の令弟潔師ならびに令弟乃武師、太鼓の佐藤順造師、笛の三谷良馬師、狂言小謡の和泉流狂言野村一家の諸先生方を稽古に招いていました。尚子は町の行事や敬老会などで「水沢宝生会」の謡曲・仕舞・お囃子を披露したり、盛岡、花巻、北上、一ノ関の流友たちと謡会等を開催します。また、私立清明女学校教師を嘱託しながら、水澤町女子青年団ならびに膽澤郡総合女子青年団の副会長を務めます。
「乳幼児死亡率全国一」
「・・・あなたの上のそらはいちめん そらはいちめん かがやくかがやく猩々緋です」「あの人の白い足ばかりみていて、あと何もお話ししませんでした」宮沢賢治と義妹・ちゑの見合いをまとめ損ねた義弟・七雄は、農芸学校計画半ばで療養中の伊豆大島で逝去。まもなく草野心平の尽力により宮沢賢治の遺作が次々と刊行され話題となる頃、鹿児島市から陸軍少尉・伊藤清武を長女ツル子の入り婿に迎え町長に据えた尚子は、東京で瀬尾要師のち林(弘)師について本格的に謡と仕舞の稽古を始めます。長い産婆生活ののち晩婚で日本建築の大邸宅に住んで裏庭で金魚の養殖をする刀自、女子大出のオールドミスのきびしい先生、徳川義恕夫人、会社重役夫人などそうそうたる流友たちと7・8年間切磋琢磨した後、太平洋戦争勃発と共に東京を引揚げて郷里に帰ります。戦時下で大日本婦人会岩手県副支部長に就任した尚子が改めて郷里を見回してみると、水澤町付近膽澤郡下の乳幼児死亡率は、乳幼児死亡率日本一の岩手県下で一番。それというのも、膽澤郡は岩手県でも良質で量も多い米の生産地。人手の足らぬところへ昔からの習慣で嫁の受け持つ仕事も多く、田植え時また刈り入れ時には朝3時に起床して炊事にかかり、田んぼに出ると手の見える限りは田んぼで働いて帰って夕食の支度。妊娠中でも変わりはなく、出産後3~5日目には再び働き始めます。乳飲み子には朝に乳をやった後にイズコ(藁製揺り籠)に入れて田んぼに行き、午前午後の休みと昼食の時に決して抱き上げることなく乳をあげます。冬は山が遠いので薪が少ない上に、暖炉や囲炉裏には嫁は近寄らないことになっているので、この時期には流産・死産が目立って多い。しかも女性の結婚年齢は17・8歳で20歳は稀、出産は5・6人は少ない方で10人以上が多いものの、育て上げられるのは半数以下で死亡原因や病名も曖昧なまま。
「水沢女学苑と水沢准看護婦学校」
「少し痩せたからお粥を気を付けて下さい」「あせもが見えるから先日あげた打ち粉を度々つけてあげてください」尚子は自費で「母子厚生の会」を作り、保健婦たちと同道して北下幅部落88戸の妊婦衛生・乳幼児保健・育児また生活改善について調査また指導して廻ります。農家の嫁の過労防止運動として、姑を対象として再教育座談会を開催し、女子青年団員らに手伝ってもらって乳幼児まで預かる託児所を開設します。「農村へ町の娘さんの派手な風を持ち込まれては困る」抵抗されるものの、立派な仕事を成し遂げようと振るい立って押し切って始めます。「泣いてもけっして抱いてくれるな。家に帰ってから下に居らないで困る。」朝に乳をあげてイズコに入れられて届けられる乳幼児たちを、お湯を沸かして行水させ、しっかり栄養を摂らせるので、目に見えてあせもは直り肥っていきます。赤ちゃんを連れてくる人が1日1日と増えていきます。「奥さんがもっと早く生まれてきてくれたら良かった」いよいよ戦争は熾烈となり敗戦を迎えると、荒れ果てた国土と貧困の中で、戦争動員され学ぶ事の出来なかった水沢の娘達が尚子のもとに集まります。「何でもいいから学びたい」残された伊藤家の全邸宅1000坪を解放し校舎として私学塾「水沢女学苑」を開校(昭和21/1946年)。「畳と机があれば何とか学ぶことが出来るんだ」という乙女たちの一途な発想。20畳に80人が集まって、若さで熱気が溢れる二階のたった一つの教室。机を持ち寄って自分達の教室を作り、一つ一つみんなで考えて、ひたむきに学びます。一言も聞き漏らすまいとする輝くような女生徒達の目に答えて、水沢在住の文化人また中央から疎開して来た先生達は、英語・国語・社会科・数学・理科・和裁・洋裁・美学・天文学など10科目以上を講義します。自らも教鞭を執る傍らで尚子は上京、新築の水道橋能楽堂に師匠や流友たちを訪ねて稽古魂に心打たれるものの、まもなく眼の手当を受け稽古を断念します。緑内障で失明しながらも、地元の医師達の強い要望を受けて獅子奮迅して「水沢准看護婦学校(のち水沢学苑看護専門学校)」を設立(昭和38/1963年)。まっしぐらに女子教育に取り組みながら心筋梗塞により83歳で他界。
「国際地球村」
「長男は35年間、長女は25年間海外生活をし、国際的な場で活動しております関係上、ライシャワー氏を初め内外の知識人達の理想の国際交流の場を岩手に設けたいとのご要請にこたえて、当財団がお引き受けすることになり目下陸前高田市広田に「国際地球村」の設置を企画進行中でございます。」東京にいた尚子の長女・ツル子が新理事長に就任、改革を推し進め「水沢女学苑高等看護学校」またゼロ歳児専門保育所「白ゆり乳児苑」を設立します。それから半世紀、「エプスタイン氏とのあらゆるやり取りにおいて、私は彼が告発されたような恐ろしい行為に一切関与しておらず、彼がそのような行為について話しているのを聞いたことも、その証拠を目にしたことも一度もありません。」("My Apology Regarding Jeffrey Epstein" by Joi Ito, MIT Media Lab Aug.15, 2019)尚子の曾孫・伊藤穣一が、児童売春斡旋で服役した後に未成年者の性的人身売買の容疑で勾留中に死亡したエプスタインから寄付85万ドルを受けた問題でMITメディアラボ所長とMIT教授を辞任します(2019年)。「うん。もう人の道に反してること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを喰わしたりさ。ウンコ喰わした上にバックドロップしたりさ」「だけど僕が直接やるわけじゃないんだよ、僕はアイディアを提供するだけで(笑)」(「小山田圭吾、生い立ちを語る20000字インタヴュー」『ROCKIN'ON JAPAN (ロッキング・オン・ジャパン)』1994年1月号)尚子の2人目の曾孫・小山田圭吾が、学生時代の障害者いじめを武勇伝のように複数の雑誌に公表していた問題で東京五輪開会式楽曲担当を辞任します(2021年)。
-「岩手県胆沢郡当面の人物」(斎藤太郎 著 岩手民友新聞社昭和4)
-「嬰児・妊婦の温き母 -伊藤尚子刀自 / 土屋文明」(「日本の母」日本文学報国会 編 春陽堂書店, 昭和18)
-「水沢市史 4 (近代 1)」(水沢市史編纂委員会 編 水沢市史刊行会1985.11)
-「凡人非凡人」(横山源之助 著 新潮社, 明44.7)
-「校本宮沢賢治全集 第14巻」(筑摩書房, 1977.10)
-「宮沢賢治年譜」(堀尾青史 編 筑摩書房, 1991.2)
-「賢治研究 (74)」(宮沢賢治研究会1997-12)
-「不来方の泉 : ばん茶せん茶選集」(岩手日報社 編 岩手日報社, 1972)
-「時局雑誌 1(5月號)」(改造社1942-05)
-「原敬関係文書 別巻」(原敬文書研究会 編 日本放送出版協会1989.8)
-「職員録 明治28年1月現在 乙」(印刷局, 明治28)
-「岩手県教育史資料 第36集」(岩手県立教育センター, 1973)
-「水沢市史 4 (近代 1)」(水沢市史編纂委員会 編 水沢市史刊行会, 1985.11)
-「岩手県南近世時事物語」(斎藤太郎 編 斎藤太郎, 1954)
-「北日本相互銀行二十年史 下巻」(森嘉兵衛 著 北日本相互銀行二十年史編纂委員会1972)
-「教育愛は不滅 : 情熱を燃した千田国夫の生涯」(千田国夫追悼集刊行会1986.8)
-「宝生 9(12)(366)」(わんや書店, 1960-12)
-「宝生 20(11)(495)」(わんや書店, 1971-11)
-「回想四十年」(国際教育交流財団水沢学苑 編 国際教育交流財団水沢学苑, 1986.6)
-水沢学苑看護専門学校
-"The Family Business" Joi's Diary Aug 29, 2002
-"Blogging with Cornelius"Joi's Diary Oct 13, 2002
-"My Apology Regarding Jeffrey Epstein" by Joi Ito, MIT Media Lab Aug.15, 2019
-"Epstein’s ties with MIT further revealed in latest DOJ document release -MIT named a third contingent beneficiary in Epstein’s 2014 Trust" The Tech News Feb. 2, 2026
-山崎洋一郎「小山田圭吾、生い立ちを語る20000字インタヴュー」(『ROCKIN'ON JAPAN (ロッキング・オン・ジャパン)』1994年1月号)
-村上清「村上清の”いじめ紀行”第1回・ゲスト小山田圭吾(コーネリアス)」(『Quick Japan(クイックジャパン)』1995年8月号)
-「カスタム・ギター大作戦 コーネリアス ギターヒストリー」(『GiGS(ギグス)』1996年2月号)

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