「ママがいい!」という勲章の裏側。それは愛の証明か、それとも重い呪縛か?
我が家の壁には、子どもたちが書いた手紙や絵がたくさん貼ってあります。
中でもひときわ目立つのは、長女がようやく字を書けるようになった頃に書いた一枚です。
A4の紙いっぱいに、「あい あい あい あい……(仮名)」と、私の名前が無数に書き連ねてあります。
当時これを見た夫は、目を細めて嬉しそうに私に報告し、一番目立つ場所に貼ってくれました。
でも、その時の私は、どうしても喜べなかった。
娘の真っ直ぐで純粋な愛情が、その時の私には、とても、とても重かったからです。
松居和さんの著書『ママがいい!』を手に取ったとき、真っ先に思い出したのはその光景でした。
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突きつけられる「世界のすべて」という重み
この本では、0歳から3歳までの乳幼児にとって、母親がいかに絶対的な存在であるかが綴られています。
現場の保育士さんたちの声を通して語られるのは、早期の母子分離が子どもたちの心に落とす影。
今の保育政策は「早く預けて働きなさい」と言わんばかりに長時間保育を推進しているけれど、それで本当に子どもたちの「愛着形成」は大丈夫なの?という切実な問いかけです。
正直に言って、本の内容には納得しかありませんでした。
脳科学的に見ても、この時期のふれあいは情緒を安定させるオキシトシンの分泌に不可欠です。
でも、読み進めるほどに、あの「あい」という文字で埋め尽くされた紙を見たときのような、胸が詰まる思いがしました。
「ママがいい!」という言葉は、母親にとって最高の勲章。
けれど、社会に逃げ場がない中でその言葉を突きつけられるとき、それは自分を縛り付ける呪縛に変わってしまう気がしたのです。
社会学と脳科学から見えてきた「二面性」
なぜ、こんなに苦しいんだろう。その理由を自分なりに紐解いてみました。
社会学の視点で考えれば、日本には「3歳児神話」が形を変えて今も根深く残っています。
「ママじゃないとダメ」という言葉が、いつの間にか「だから母親がしっかりと育てるべきだ」という、育児の責任を一人に押し付ける免罪符に使われている側面も感じます。
一方で、教育学や脳科学が説く「母親の重要性」は、決して「母親一人の自己犠牲」を求めているわけではないはずです。
子どもが「ママ!」と求めるのは、生物としての生存本能であり、純粋な愛着の表現。
それ自体はとても尊い「勲章」です。
けれど、少なくとも昔の私は、
その純粋な欲求を受け止められるだけの「心の余白」を持つことができませんでした。
追い詰められた私たちが、前を向くために
子どもと一緒にいたいけれど、働かなければ生活が立ち行かない。
あるいは、24時間子どもと向き合い続ける孤独と責任に、心が悲鳴をあげている。
もし今、あなたがかつての私のように、子どもの愛を「重い」と感じてしまっているなら。
それはあなたが冷たい人間だからではなく、
それほどまでに「ママ」という重責を誠実に全うしようと、たった独りで戦っている証拠だと思います。
では、私たちが笑顔になるためにできることは、何でしょうか。
まず、小さな「余白」を作ってみる
「ママがいい!」と泣いてくれるその声は、
私たちがこれまで注いできた愛情が、ちゃんと届いている証拠です。
その勲章を、少しだけ誇りに思ってみる。
そして、その重荷をときどき隣の人に預けてみませんか。
私は、休日の数時間、夫に子どもをお願いしてカフェで一人で過ごす時間をもらっています。
「今日はもう頑張らない」と決めて、レトルト食品に頼る日もあります。
最初は、「こんなことをしたら母親失格だ」「きっと夫や子どもから責められる」と思っていました。
でも、夫は可愛い娘たちをひとりじめできてとても嬉しそうですし、
子どもたちも、レトルトカレーやインスタントラーメンの方が、逆に楽しんでいたりします。
小さな「逃げ場」を準備してあげることが、
結果として私にも家族にも笑顔をもたらしてくれることに気付いたのです。
母親は、幼い子どもの「世界のすべて」かもしれない。
でも、その世界を維持するために、母親が無理を重ねる必要はない。
そこから逃げることを、許してあげていいのです。
自分で自分を大切にできるようになった今、
私にとっては、壁に貼られた「あい」の文字が、
良き母になるためのプレッシャーではなく、
自分を褒めてあげるための勲章になっています。
◆今日のひとこと処方箋
「ママがいい!」は最高の勲章。
でも、時にはそれを、下ろしてもいいのです。
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