「知らなかっただけ」のこと
SNSを流し見していたある日、目に留まった投稿があった。「夫が料理を作ってくれたのは嬉しかったけど、使ったフライパンが傷だらけになってしまった」。クスッと笑える、どこかほっこりするエピソードだ。でも、この投稿を読んだ瞬間、私は以前の職場で起きたある出来事を思い出した。
当時、私は福祉施設で働いていた。そこではスタッフが交代で利用者さんの食事を作っていた。新人が数人入ってきた年のことだ。ある日、キッチンで炒め物をしていた新卒のスタッフが、調理用のシリコン製フライ返しやお玉がすぐそばにあるにもかかわらず、食事用のステンレスフォークでフライパンの中をかき混ぜていた。
使っていたのは、施設で新しく購入したばかりのフッ素加工のフライパン。炒め終わった後、案の定、フライパンの底は傷だらけ。見るも無惨な姿になっていた。施設の備品はそう簡単に買い替えられるものではない。「うわ、これはちょっと…」と、正直がっくりきた。
でも、ふと気づいた。「あの子、たぶん知らなかっただけなんだ」と。
《知らなかったことの「当たり前」》
調理器具には相性がある。フッ素加工のフライパンに金属製の器具を使うと、表面のコーティングが傷つき、剥がれてしまう。すると、焦げつきやすくなり、料理の仕上がりにも影響が出る。でも、料理に慣れていない人や自炊の経験が少ない人にとって、これは必ずしも「常識」ではない。
その新人スタッフは、きっと悪気があったわけではない。ただ、フライパンの扱い方を知らなかっただけだ。彼女にとっては、フォークでかき混ぜることが「普通」だったのかもしれない。
この出来事をきっかけに、翌年からは新人マニュアルに「キッチンではシリコン製の調理器具を使うこと」と明記された。たった一文を加えるだけで、同じ失敗は防げる。伝えればいいだけの、シンプルなことだった。
でも、ちょっと気になって、後日そのスタッフに話を聞いてみた。
「普段、家で料理ってする?」
「しますよ!」と彼女は元気に答えた。軽食はあまり作らないけど、パスタはよく茹でるらしい。
「へえ、じゃあ、家で使ってるフライパンってどんなの?」
「職場のとだいたい同じ、フッ素加工のやつです」
「で、かき混ぜるのに使ってるのは…やっぱり、フォーク?」
「そうですね、いつも食事用のフォークです」
ここまでは予想通りだった。でも、次の質問で驚くことになる。
「フライパン、傷つかない?」
彼女は少し笑いながら、こう答えた。
「はい、傷つきます。それで、だいたい3ヶ月〜5ヶ月くらいで買い替えてます」
《3ヶ月で買い替え!?》
……ええー!? となったのは、言うまでもない。
新品のフライパンを数ヶ月で買い替えるなんて、なんてもったいない! それに、使い捨て前提で道具を扱っていたら、料理の楽しさだって半減してしまうんじゃないかと心配になった。彼女にとっては、それが「当たり前」の使い方だったのだ。
でも、よく考えれば、これも「知らなかっただけ」の話だ。誰かに教わる機会がなかったか、自分のやり方が正しいと思っていただけかもしれない。それは、料理に限らず、誰にでもあることだ。
私は彼女に、「職場で一つ学べてよかったね」と声をかけた。彼女は「ほんとですね!」と素直に笑った。このやりとりで、なんだかほっとした気持ちになった。めでたし、めでたし。
ー読み疲れたら休憩☕️をどうぞー
《「知らなかっただけ」のことは、たくさんある》
この出来事から、あらためて思う。「知らなかっただけ」のことって、実はすごく多い。
誰かがミスをしたとき、「なんでそんなことするの?」とイラッとする瞬間は誰にでもある。でも、自分にとっての「常識」が、相手にとっては「初めて」のことかもしれない。新人さんが職場で戸惑う姿を見たとき、つい「そんなのも知らないの?」と思ってしまうかもしれないけど、ちょっと待ってほしい。知らなかっただけかもしれないのだ。
だからこそ、伝えることは大事だ。教えるときは、相手を責めたり、恥をかかせたりしないように、丁寧に伝えられたらいい。マニュアルに一文を加える、ちょっとした声かけをする。それだけで、誰かの「知らなかった」を「知った」に変えられる。
逆に、自分が「知らなかった側」だったときも同じだ。誰かに指摘されて「あ、そうだったのか!」と気づく瞬間。恥ずかしさを感じるよりも、「教えてくれてありがとう」と思えたら、その後の自分が少し楽になる。新しい知識を得られたことは、むしろラッキーなことだ。
《小さな気づきの積み重ね》
件のSNSの投稿には、続きがあった。「夫が使ったフライパン、ボロボロにはなったけど、本人はすごく楽しそうだったから、まぁいっかって思いました」。そんなふうに結ばれていたのが、なんだか嬉しかった。
きっとそのご夫婦は、その後で「次からはシリコン製のフライ返しを使ってみようね」と話したかもしれない。あるいは、「傷ついても、まぁいいか」と笑い合っているかもしれない。どちらにせよ、夫婦の日常に小さな変化が生まれたはずだ。
知らなかったことを知っていく。それは、日常の中で何度も起きている小さな奇跡だ。新人スタッフがフライパンの使い方を学んだように、夫が料理の楽しさに気づいたように。誰かが「知らなかった」ことを「知る」瞬間は、ほんの小さな一歩かもしれない。でも、その一歩が積み重なって、私たちは少しずつ成長していく。
《失敗は、知るためのきっかけ》
「知らなかっただけ」のことは、誰かを責める理由にはならない。むしろ、知るチャンスを得られたこと自体が、成長の第一歩だ。誰かの失敗を見たとき、「なんで?」と思う前に、「知らなかっただけかも」と考える癖をつけたい。そこから、相手にとっても自分にとっても、優しいコミュニケーションが生まれる。
私自身、過去に「知らなかった」ことで失敗した経験は数え切れない。たとえば、初めての職場で書類の書き方を間違えたり、友達との会話で知らずに失礼なことを言ってしまったり。でも、そのたびに誰かが教えてくれて、気づけたから今がある。恥ずかしかった記憶も、今では「知るきっかけ」をくれた出来事として、感謝に変わっている。
《日常の中の「知る」喜び》
あの新人スタッフは、今頃どうしているだろう。もしかしたら、シリコン製のフライ返しを愛用しながら、傷つかないフライパンで美味しいパスタを作っているかもしれない。あるいは、誰かに「フライパンはこうやって使うんだよ」と教える側になっているかもしれない。
知らなかったことを知る。そのシンプルなプロセスが、日常を少しずつ豊かにしてくれる。誰かの小さなミスも、自分の小さな失敗も、実は「知る」ための大切な一歩だ。そこに気づけたとき、日常の小さな出来事が、なんだか愛おしく思えてくる。
あのSNSの投稿の夫婦も、新人スタッフも、そして私自身も。みんな「知らなかっただけ」のことを、ひとつずつ知っていく。それが、生きていく中で繰り返される、ささやかな奇跡なのかもしれない。
