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私の描写の原点にあったものは

初めて長編小説に挑戦し、2026年の創作大賞に応募して気づいたことを書いています。

前回の「あさりの味噌汁と妄想キャスティング」に続き、
今回は推敲のプロセスで見えてきた私の創作の原点についてお話ししたいと思います。

主人公を私の見たい景色へと旅立たせ、書き進めていくうちに、途中からは登場人物たちがそれぞれの人生を歩み始めました。

最初は、私が見たい景色を描写していたので、詳しいガイドブックになってしまいました。
私は、細かいことまで伝えたいタチなので。

友達との近況報告やエッセイならそれでも良いかもしれませんが、小説となると違いますよね。
私が読者なら、読み飛ばします。
そこで、バッサリバッサリ削る作業へ。

次に、「登場人物たちの気持ちを伝えたい」となる。
人の感情は、言葉にしきれないのに説明になってしまう。
説明をやめて、仕草で表現しようとすると、それさえも余計なことに思えてきました。
推敲しても推敲しても、削るところだらけ。


バッサリ削る作業。

残す作業。

細かく推敲。

読者としての視点、作品としての視点から推敲を数え切れないほど繰り返すうちに、あることに気がつきました。

「私の描写の原点は、俳句なのだな」


小学生の娘との日常を残したく始めた俳句。
こちらのnoteの企画にも楽しく参加させていただきました。

noteの俳句企画が終わった後、句会などに参加するようになり、初心者講座なども受講しました。

私が俳句を始めたきっかけは、娘との毎日を残したいから。それゆえに、ただの出来事の報告になってしまう「報告俳句」にとどまることが多く、講座では写実や写生について厳しく言われました。

「好きに詠ませてくれよ」と思い、途中でやめたくなったほどです。
でも、句会は自由な雰囲気だったので、「こちらでは詠みたいように詠みます」と、息抜きのように参加させていただいていました。

そうしたら、句会でも「茉叶さん、俳句が変わったね」と言われるようになり、選んでくださる方も多くなり驚きました。


俳句は、詠んだ(作った)人のものではなく、読んだ(鑑賞した)人のものになる。
詠んだ人の思惑を超えて、たった十七音から読み手が自由に鑑賞する。


それは小説も同じで、最後は読んでいる人に委ねられます。
そのため今回の小説では、実際に存在する場所については写真等を見て描写に徹底したものの、その後に削りに削り、フィクションだからこそ、読んでくださるそれぞれの方々が想像できる「余白」を意識しました。

ぜひ、みなさま、想像力を膨らませながら楽しんでいただけたら嬉しいです。

妄想キャスティングも楽しいですよ!
コメント欄などでシェアしていただけたら嬉しいです。




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