春が来るたびに
「よ!ちゃんと本読んでる?これ、追加の分ね」
彩春(さはる)は、今日も僕の病室にやってきた。
外から入る日差しは、春の柔らかな光を携え、彩春を柔らかに包み込む。
「まだ、読んでない本もあるから、こんなに持ってこられても。それに、毎日来るのは大変だろ?」
僕は、見舞いの品や本を整理している彩春の背中に向かって、声をかける。
「大丈夫よ。そんな事より、1日も早く記憶を取り戻さなきゃ」
記憶をなくしてしまった僕にとって、今では彼女は、なくてはならない人だ。
でも、その他にも何か、もっと、何か大切なものを忘れている気がする……。
「うっ、うー」
彩春は僕のうめき声に、あわてて振り返る。
「大丈夫?何か思い出したの?」
「うっ。……いや、何も…。でも、何か……大切な事…うー、頭が痛い……」
「無理しないで。慌てなくて良いから。ゆっくり思い出していこ」
彩春は、僕の背中を優しく撫でてくれる。
彼女の温もりに、身を委ねているうちに、なくした記憶を取り戻さなくても良いのではないかなんて、思い始めていた。
「じゃ、帰るね。本ちゃんと読むんだよ。先生も言ってたでしょ?記憶を取り戻すには、本を読んで、脳を活性化させれば良いって」
「はいはい。分かりましたよ」
僕は、去っていく彩春の背中に向かって、ひらひらと手を振った。
「本…ねぇ。字を追うだけでも、疲れるんだけどなぁ」
彩春が新たに置いていった本をペラペラとめくる。
何ページ目かに差し掛かった時、隙間からひらひらと何かが落ちてきた。
「……桜?」
僕は布団の上に落ちた、花びらをそっと手に取った。
その瞬間、ずっと失っていた記憶が、僕の脳内にドッと押し寄せる。
「……あっ、あの子は…」
花びらを持つ僕の手は、小刻みに震えていた。
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「今日も、駿太(しゅんた)の記憶は戻らなかったか…」
私は、この気持ちを悟られないように、振り返る事なく、彼の病室を後にした。
記憶を失ってからもう1年が経つ。
駿太の体は、随分と回復しているみたいだけど、強く頭を打ったせいで、記憶はまだ戻っていない。
「今日渡した本に、忍ばせておいたアレで、記憶を取り戻してくれると良いんだけど…。絶対、絶対駿太の記憶を取り戻すんだから!」
私は、決意を新たに、病院を後にした。
アパートに着いた時、スマホが鳴った。
ディスプレイを見ると、駿太が入院している病院からだった。
「もしもし…」
「あ、乃木田(のぎた)彩春さんのスマホでよろしいですか?」
駿太が入院している病棟の看護師からの着信だった。どうやら、駿太の記憶が戻ったらしい。
私は、急いで来た道を戻る。
「駿太!思い出したのね?」
病室のドアを開けると同時に、駿太に声をかける。
「さ、彩春。どうして…」
「どうしてって、看護師さんに、あなたの記憶が戻ったら、連絡をもらえるように、お願いしてあったもの」
駿太は、病室に掛けられていた時計をチラリと見る。
「だとしても、まだそんなに時間が……」
「記憶を取り戻した時、誰よりも早くあなたの元に来れるように、病院の近くのアパートを借りたのよ」
彩春は、冷たい笑みを駿太に向けた。
「ねぇ、記憶が戻ったのよね。つまり、あなたの罪も全て思い出したって、事よね?」
彩春は、一歩ずつ、捕らえた獲物をもて遊ぶ猫の様に、少しずつ駿太に近付く。
駿太は、無感情な笑みで近づいてくる彩春に、金縛りにでもあったかのように、身動きが取れない。
「じゃあ、私が今から何をするかも、全部思い出した?」
彩春は、かばんからキラリと光るアイスピックを取り出す。
「わ、悪かった。ぼ、僕が全て悪かった。だから…だからもう止めてくれ」
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「先生、先生来てください」
巡回に来た看護師は、駿太が血まみれでベッドに意識朦朧と横たわっているのを見つけ、直ぐに担当医を呼んだ。
「またか…」
駆けつけた医師は、深く傷ついた駿太の足を診て、ため息を漏らす。
処置室に運ばれていく駿太の手から、ひっそりと桜の花びらが落ちた。
