槿花一朝(きんかいっちょう)の夢
【種まき】
その昔、人間世界の直ぐ側には、妖怪の世界が存在しておりました。
いえ、むしろ妖怪世界の隣に人間世界があったといえるくらい、妖怪世界は大きく幅を利かせておりました。
人間世界が江戸と呼ばれていた頃までは…。
しかし、文明開化というものがそのバランスを大きく変えていきました。
それまで、夜の闇を灯す明かりといえば、提灯や行灯といった、蝋燭を主とした心許ないものであったのが、電気というものが発明され、それが闇夜を奪いました。
それにより、我らは住まう場所を失い、僅かに残る闇の中で身を潜めて生きる事を強いられたのです。
でも、だからといって、それに屈するだけの我らではありません。先代の社長は、我々に生きる術を与えてくれました。それが形態模写です。
“鏡”は、その前に立ったものを写す特性があります。先代は、そこに目をつけました。我々の影に溶け込む力を使い、鏡に入り込み持ち主の模写をする仕事を思いついたのです。
幸い鏡は、明治の頃から爆発的に普及して、今では至るところにあります。それに伴い我が社では、未曾有の妖怪不足となっております。
ですからどうか、貴方がたの若い力で、我が社を救ってください。
元は僧侶の中で一番偉い阿闍梨であった鉄鼠(てっそ)社長は、妖怪日本大学の学生達を前に頭を下げた。
「社長、妖日大の子ども達、我が社を選んでくれるでしょうか?」
秘書である野狐(やこ)は、鉄鼠の半歩後ろから声をかけた。
「分からない。一応、我が社を受けたくなるように、術は掛けておいたが…。どれだけの妖(やつ)がそれに掛かってくれたか」
鉄鼠は、普段は着けないネクタイを苦しそうに解き、野狐に渡した。
【発芽】
4月。鉄鼠社長の演説のおかげかそれとも、掛けた術のおかげか。ともかく今年の新入社員は、これまでの倍近くの採用があった。
鉄鼠社長は、新入社員を前にスピーチを始めた。
「皆さん、ようこそ我が『株式会社妖怪ミラー社』へ。ここは先代が150年前に1代で作り上げた会社です」
鉄鼠は、マイクを持ち演台前に進むと、ステージ上を右から左へ左から右とゆっくりと歩き始めた。
「皆さんは、エントランスやオフィスに、所狭しと鏡が置かれているのを見ましたか?あれらは、日本中の人間の鏡と繋がっています。人間が鏡を覗くたび、こちら側で模写をする」
その言葉と共に、ステージ上の大きなスクリーンには会社の鏡と人間の鏡が繋がっているイメージ図が写し出され、歩き回る社長の体にも、その映像が投影された。
「それが、我が社の主な仕事であり、最も重要な仕事でもあります。それを未来溢れる君達に託したい!」
鉄鼠社長は、ちょうど中央で立ち止まり前を向くと、片手を新入社員に向け差し出した。
それを見た新入社員達は、社長の熱のこもったスピーチに拍手喝采で、自分は良い会社に入ったのだと、その選択を誇らしく思っていた。
ステージ横で見守っていた野狐は、小さな小さな声で「社長、昨日徹夜で練習した甲斐がありましたね」とひっそり拍手を送った。
***
ミラー社の花形部署と呼ばれる、丸の内オフィスの女子トイレに配属されたのは、のっぺらぼう、七尋女房(ななひろにょうぼ)、ぬらりひょん、化け猫、天邪鬼、ろくろ首の6人だった。
新入社員の自己紹介が終わった後、ぬらりひょんが恐る恐る手を挙げる。
それを見て教育係の河童が、「どうしたんだ?」と話しかけた。
「あのー、女子トイレって…私らは男の妖怪ですが、コンプライアンス的に大丈夫なのでしょうか?」
河童は、少し驚いた顔をしたが、すぐにけろけろと笑い出した。
「そんな事は気にしなくて大丈夫だよ。初日でその気配り。こりゃ、有望な新人が入ったもんだ。」
ぬらりひょんは、「どうも」と返事をしたが、河童が体を揺らして笑うたびに、ピチャピチャと跳ねる頭の皿の水がこぼれるんじゃないかと、そればかり気になっていた。
「じゃあ、今日から一年間は、研修期間だから。その間に完全な模写をマスターしてね」
河童はそういうと、一人一枚の姿見を渡した。
「あの、これは?」
七尋女房が質問すると、もう一人の教育係である青白い顔をした女性の妖怪が「遅れてごめん」と慌ててやってきた。
「さぶ!」
天邪鬼は、急に冷えた部屋の空気に辺りを見回しながら、思わず呟いた。
河童は、「お疲れ」と労いの言葉をかけた後、七尋女房に向き直り質問に答える。
「この鏡は、妖怪の存在に気付き、協力を買って出てくれた人間の鏡と繋がっている。鏡の横に名前が貼ってあるだろ?それが相手の名前だ」
七尋女房が名前を見ると、『ゆめか』と書かれていた。隣の化け猫の鏡を見ると『まな』と書いたテープが張られていた。
七尋女房の視線に気付いた化け猫は、こっそりと「なんか急に寒くない?」
と話すと、それを聞いた天邪鬼も「だよな?あの青白い女の人が来てからだよ」と、話に入ってきた。
それを察したのか、河童は「そうだった」と、白々しく声を上げ、新入社員全員の注目を集めた。
「後から来たこの人も教育係ね。自己紹介しとく?」
河童が女の妖怪に話を振ると、「そうね」と頷き、新入社員に向き直る。
「仕事が立て込んじゃって。遅れてごめんなさいね。私も河童さんと共に教育係をします、雪女です。よろしくね」
この時、新入社員全員が空気が寒くなった理由にひどく納得した。
***
午後から就業時間までは、実践練習となった。
人間界の協力者達は、相手が新卒のルーキーであっても、容赦なく普段の生活を送る。
実は、これは人間の協力のもと普段の生活を録画してもらったものを鏡風ののスクリーンに映した映像なのだが、それを知ると、緊張感が薄れるためルーキー達には内緒にされている。
どんなタイミングで、どの様な角度でどんな動きをするのか、初めての体験に全く予想がつかないルーキー6人は、ミスばかり。
映像とは知らないルーキー達は、ミスする度に会社に不利益をもたらしているのではないかと、自分の不甲斐なさに苛立ちを募らせる。
「もう!なんでそのタイミングで顔を近づけてくるのよ!」
ろくろ首が苛立ちを爆発させると、すかさず雪女から「首を伸ばさないで」と優しい声がかかる。
声も顔も穏やかではあるが、雪女がルーキーを注意するたび、少しだけひんやりとした空気が辺りを占める。
「天邪鬼さん。人間と反対の事はしないでくださいね」
雪女のやんわりとした一言で、更にフロア一帯の空気が冷え込む。
「おい、河童!注意はお前がしろ!」
フロアの向こうで、ようやくつかの間の休憩をとっていた先輩妖怪の怒号が飛んだ。
その言葉に寒さでガタガタ震えていたルーキー達も、心の中で大きく頷いた。
【芽生え】
人間の協力者による研修が終わった後は、AIによる研修が始まる。
「いいか?これまでは、人間の動きを知る期間でもあったから、多少動きがズレていても、人間(向こう)も気にしていなかったけど」
河童は、少し言葉を切ってルーキー達を見回した。
「今日から行うAIを使った研修では、画面に映し出される映像と寸分たがわぬ動きをしない限り、次には進めないからな」
そういうと、河童は映し出される映像の前に立ち、ピッタリ一致した動きを真似する。
『ブー』という不快な音と共に、人魂が赤く光る。
「えっ!」
河童は、人魂に顔を寄せ何やらゴニョゴニョと話している。しかし人魂は、左右にゆらゆらと揺れる。
「えーっと、あれだ。今オイラが見せたのは悪い例だ。お前達には寸分違わぬ動きに見えただろうが、人魂さんの目は誤魔化せない。コンマ1秒でも動きが遅ければ、失格となり、今みたいに人魂さんが赤く光る」
河童は、いかにも自分はわざと失敗しましたという体で話し始めた。むしろ少し胸を反らし威厳を持たせてーー。
(顔がなくてよかったわい)
のっぺらぼうは、その様子を見て盛大にニヤニヤする。
「おい、のっぺらぼう。顔がなくてもニヤニヤしてるの分かるからな。肩の揺すり方が既に笑ってるんだよ」
河童は、のっぺらぼうを指さし、厳しい声を上げる。
「よし!分かった。本来、1日でクリアしなければならない映像ノルマは10件だけど、のっぺらぼう、お前のせいで、今日は15な」
そう言い捨て、河童はプリプリと怒りながら自分の席に座った。
この直後、のっぺらぼうの顔めがけて、ろくろ首の恨めしそうな顔がにゅっと近づいてくる。後ずさるのっぺらぼうの後ろから、化け猫の尖った爪が、喉元を冷たく撫でる。どのメンバーを見ても、その表情には怒気が孕んでいた。
みんなが放つ不穏なオーラの恐怖で、のっぺらぼうの視線は彷徨ったーー。が、メンバーにはのっぺらぼうの目がどこにあるか分からない。
(顔がなくてよかったわい)
のっぺらぼうは、心の底からそう思った。
***
「おい!もっと小さくなってくれよ。お前が動く度に手足がぶつかるから、人魂が赤になるんだよ」
ぬらりひょんは、大きな体の七尋女房(ななひろにょうぼ)にクレームをいれる。
「あら、私これでも2メートルも縮めてるんですよ」
七尋女房は、口を尖らせて言い返す。
「おいおい、どこに10メートルもある人間がいるんだよ」
七尋女房の返事に思わずのっぺらぼうが吹き出す。それにつられて笑い出した化け猫に、キッと睨みの視線を向けた七尋女房が食ってかかる。
「尻尾が生えたままの人間姿の人に、笑われる筋合いはないと思いますけどね」
「ニャンだと!」
化け猫の黒目が、スッと縦に細くなり、手足の爪が鋭利なものへと変わる。四人が発する不穏な空気に、天邪鬼とろくろ首はオロオロとするばかり。この時間を監督していた河童は、胡瓜を片手にゆったりと椅子に腰掛け、その様子を相撲でも観るかの様に面白がっていた。
「あら、新人さん達は喧嘩ですか?河童さんはこの状況で何をしていますの?」
自分の仕事を終え、疲れた表情で戻ってきた雪女は、いつにも増して冷ややかな空気を引き連れ言葉を発する。
「あ、いやオイラは今からコイツらを止めようと思ってたところだよ」
長年、雪女と同僚として過ごしてきた河童は、彼女が放つ冷気が、自分の皿の水が薄氷を張らせた事で、怒りの度合いを察知する。
「ほ、ほらお前らも。喧嘩なんかしてないで、まじめに取り組まないと、残業確定になっちゃうぞ」
河童は、手にしていた胡瓜をほっぽりだして、取り繕うように四人の喧嘩を止めに入る。
「河童さん、監督という仕事に、後輩たちの喧嘩を面白がって観戦するっていう仕事は、ないですからね」
雪女は、河童の頬に添えた手を頭まで沿わせ、皿の水をチョンと人差し指で揺らした。
その仕草に、河童のみならずルーキー全員が、全身に鳥肌を立てた。
【開花】
ようやく1年が経ち、それぞれが独り立ちをする頃。ルーキーと呼ばれた6人は、一様に顔色が悪く覇気の欠片も無くなっていた。
その1年で、鏡に映る人間を模写する事の大変さとミラー社の過酷な労働が骨の髄まで染み渡り、この先の未来を憂いてエスケープを考えていた。
***
ミラー社の朝。いつもは、社員が少しでもリラックスできるようにと、館内全体に、鵺(ぬえ)の「ヒョーヒョー」という生演奏が鳴り響いている。
しかし今朝は、その演奏の代わりに「ウウン。あーあー」というマイクテストをする声が響いた。
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