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友人の死と鬱

皆さん、こんにちは!モグです。


​※今回の記事には、私の過去の鬱時代における心理描写が一部含まれています。今、心が少し疲れ気味の方や、そういった表現が苦手な方は無理をせず、体調が良いときに読むか、読まないでください。








実は友人が鬱で亡くなりました。とても悔しいです。優しくて可愛くて可憐でとても美しい人でどこをどう思い出してもいつも笑顔だったのしか思い出せません。あんなに素敵な人がもうこの世にいないなんて寂しくて堪らないです。

私自身も昔は鬱に悩みこの病気に非常に苦しんだので当時の思考の捻れや歪みを書いておこうと思います。

カーニボアになっていかに当時の自分が病んでいたか、思考が歪められていたかを再認識する事となり、鬱という病気の症状を少しでも表せたらいいなと思います。

先ずは、私も外ではいつも元気で明るい働き者でした。常に笑顔で元気いっぱい、なるべく気遣いして他人を不快にしないように頑張りました。完璧主義でもありました。なので、何か頭で決めて、その通りにいかないと過度に落ち込んだりストレスを抱えて辛かったのも覚えています。

どんなに褒められても成果を出しても、終いにはパートナーに対してさえも私は常に120%出しきってやっとまともであって、今の自分は本当の自分ではない。きっと少しでも手を抜いたら私はレベル低すぎてゴミなのに……嘘の姿を認めてもらって愛してもらって本当に申し訳ない=なんとか保ってるうちに逝きたいとかガチで思ってました。いやー自分の思考なのに、こうやって書き出してみると歪んでて今、非常に驚きました。

そして、一番歪んでいたなと思うのは常に「どうやったら上手く逝けるか?」を模索し計画し、想定して準備していました。いつならいいかな?とか、あ、今はあれがあるからまだかも?あそことか良さそうかも?とか常に基準が逝く為のタイミングや方法とかなんです。

もちろん、恐怖だってあるし家族の事も考えるけど、なんか謎に私なんかいない方がいいんだしとか、ここまでこんなに頑張ったんだから最期に1つくらい我が儘したっていいよね?みたいな狂った感じなんです。

一時期、身の回りの物もかなり片付けて殆ど着る物もなくて、写真とかも思い出すツールが少ない方がいいよね?とか考えて自分が写ってる物を捨ててました。ちゃんと、家族に気付かれないようにこっそりやってました。

それでも、波があって何やってるんだろう?こんなのおかしいし変!って気付く瞬間もあるんです。なんとかしなきゃって。でも、これって今思うと本当に体調の波で何かショックな事が起きてる訳じゃないんですよ。常に昔の嫌な記憶の反芻や自分の中で起こる事なんです。

つまり、体調が良くなればこの反芻も止まるし、波が来ても執着しなくなるので思考が歪まなくなるんです。

じゃあ、どうやったら?
私の場合は、本当に単純で食べ物でした。
もちろん急にカーニボアダイエットしろなんて言いません。危険です。

先ずは、低シュウ酸ダイエットから始めて、徐々に糖質や植物性食品を減らして動物性食品を増やしていくステップです。

そんな事言ったって、それが出来ないから大変なんだよーって思うんですが、これも何かの縁で私のnoteに出会ったんだし、少しずつでもチャレンジしてもらえたら非常に嬉しいです。

では、また!


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