外伝|あの初夏、二人がすこし近づいた日
EP1|白い廊下の角で
初夏の気配がじわっと漂いはじめた午後。
学校が終わると、主人公は急いで病院へ向かった。
おばあちゃんの肺に“影”が見つかり、検査入院になったのだ。
病室の窓から差し込む光は強く、薄いカーテンがふわりと揺れている。
だけど、いつもおしゃべりなおばあちゃんはほとんど喋らなかった。
笑わない。
目が合わない。
布団の端をつまんだまま、ぼんやり外を見ている。
主人公の胸の奥が、ヒュッと細くなった。
(……死んでしまうんちゃうか)
そんな考えがじわっと広がり、たまらなくなって病室を出た瞬間、視界が滲んだ。
廊下の角に差しかかったとき、白衣のポケットに手を入れた佳織とぶつかりそうになった。
「あ、ごめん。大丈夫?」
初夏の光を背にした佳織の声は、不思議と涼しかった。
主人公は俯いたまま、小さくもらした。
「……大丈夫じゃない」
佳織は少ししゃがんで、目線を合わせてくれる。
「おばあちゃん、心配なんやね。でもね、検査の結果は落ち着いとるし、呼吸も安定しとるよ。さっき私も見たけど、ちゃんと元気戻っとったよ」
胸の奥のきつい輪が、すっとゆるんだ。
「……ほんま?」
「ほんま」
佳織が笑うと、廊下の白さが少し明るく見えた。
主人公は深呼吸して、「ありがとう」とだけ言った。
その一言に、佳織の表情がやわらかくほどけた。
EP2|病院裏のベンチで
数日後。
初夏の日差しは日ごとに強くなり、病院裏の中庭の草も一気に伸びていた。
校長が学校で草取りしていた頃と同じで、ここも緑がもこもこと広がっている。
主人公は、おばあちゃんの退院が近いことを伝えに来た帰り、中庭の方をのぞいた。
そこに、紙コップを両手で持ってベンチに座る佳織の姿があった。
日陰にいるのに、少し疲れた顔をしている。
主人公は外に出て、わざと明るい声で呼びかけた。
「……なんで、そんな顔して座っとるん?」
佳織は驚いたあと、苦笑した。
「隠せてなかった? 私」
主人公は横に腰を下ろした。
風に乗って、初夏の草の匂いがふわりと揺れる。
少しの沈黙のあと、佳織がぽつりとつぶやいた。
「……さっきね、担当しとった患者さんが亡くなったんよ。覚悟はしとったつもりなんやけど……初めてで、ちょっと……しんどかった」
主人公は足元の草を見つめたまま、小さく息を吸った。
そして、少し照れくさそうに言った。
「なんか…うまく言えんけど、佳織さんの気持ち、ちゃんと届いとったと思うよ」
佳織はゆっくり顔を上げた。
「……届いとった、かな」
「うん。俺、おばあちゃんが元気なかったとき、佳織さんに声かけてもらって、ほんまに安心したんよ。
そばにおるだけで、ちょっと楽になることってあるんやと思う。佳織さんも……その人のそばにおったんやろ?」
主人公は言ったあと、照れくさくて目をそらした。
佳織はしばらく息を整えて、初夏の風にかき消されそうな声で笑った。
「…ありがとう。ほんま、救われる言葉やね」
その笑顔は、強い夏の光に少し影を薄められながらも、確かにやさしく輝いていた。
