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ガルシア=マルケスの『百年の孤独』のサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダが好き


それから何ヶ月かたって銃殺隊の前に立つはめになったとき、アルカディオは、教室の中をうろうろする足音や腰掛けにつまずく物音、それから最後に、部屋の暗闇のなかでも感じられる濃い人影や自分のものではない心臓の鼓動を伝える空気の震えなどを思いだしたにちがいない。手を伸ばすと、一本の指にふたつも指輪をはめて、暗闇で溺れかけている別の手に出会った。翅脈のように走る血管と、わが身の不幸をかこつ脈拍に触れた。死神によって生命線が親指の付け根でたたれている、湿ったてのひらを感じた。そのときになって彼は、それが待っていた女ではないことに気づいた。

『百年の孤独』ガブリエル・ガルシア=マルケス/著 、鼓直/訳 新潮文庫 p.177-178

 

 死を前にしてアルカディオが思い出したに違いないもの。
 それはサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダとの出会いの場面。

 彼女は両親の小さな食べ物屋を手伝っていた幼い少女で、アルカディオの実母から頼まれ五十ペソと引き換えに彼の相手をすることになったのですが。
 彼女はこの後「マコンドでもっとも残忍な支配者」(同上p.165)になるアルカディオとの間に三人の子供を儲けブエンディア家を支えます。

 でも彼女。
「必要なとき以外はそこにいるのかいないのか、わからないような女」(p.178)と言われ、彼女自身が中心になって語られる事件はほとんどありません。

 ひっそりと、それでも逞しく生きる女性。
 そんな彼女が私は大好きです。


『百年の孤独』
ガブリエル・ガルシア=マルケス/著 、鼓直/訳 新潮文庫

 去年文庫化され、ハードカバーが苦手だった私はすぐに購入し、あまりにも面白くてとりあえず初読感想文を前後編で記事にしました。
 新潮文庫の皆様に心の底から感謝です。

 その時の記事の後編でサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダのお話をしたのですが、ネタバレ有りにしてしまったので未読の方におすすめするのは気が引けてしまって。
 そこで今回、ネタバレなしで再び彼女のお話をしようと思います。
 とはいえ推理小説ではないので何を持ってネタバレとするのかわからないのですが、人物の終わりや事件の結果には言及しないようにしました。

 それと多少内容が重複しますが、初読感想文を書き終えて改めて感じたことなども、前回より簡単にわかりやすくお話しできればいいなと思っています。

 こちらを読んでいただいて、興味を持ってくださったらぜひ前回の初読感想文前後編を読んでいただけると嬉しいです。

 ちょっと長いですが。
 いずれがっつり再読感想文を書きたいです。




1 私が好きな『百年の孤独』

 まずは公式サイトからあらすじを。

蜃気楼の村マコンドを開墾しながら、愛なき世界を生きる孤独な一族、その百年の物語。錬金術に魅了される家長。いとこでもある妻とその子供たち。そしてどこからか到来する文明の印……。目も眩むような不思議な出来事が延々と続くが、予言者が羊皮紙に書き残した謎が解読された時、一族の波乱に満ちた歴史は劇的な最後を迎えるのだった。世界的ベストセラーとなった20世紀文学屈指の傑作。

新潮社公式サイトから

 マコンドという架空の村を舞台にその創設者ホセ・アルカディオ・ブエンディアとその妻ウルスラ・イグアランから始まったブエンディア一族の百年の物語。
(ホセ・アルカディオ・ブエンディアはこの記事の冒頭で引用したアルカディオの祖父にあたります。別の人物です)

 村を訪れるジプシーから外の文化や錬金術がもたらされたり、革命や虐殺やバナナ工場などの史実にも関連しながら、家族とそれを取り巻くたくさんの登場人物たちの愛憎渦巻く物語が展開します。
 また現実とは思えない不思議な出来事が日常的に起きる魔術的リアリズムも魅力的。
 長く濃く不思議な物語です。

 さて私が好きなところは。


 ① 冒頭の象徴的な一文

 長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思い出したに違いない。

ガルシア・マルケス『百年の孤独』 新潮文庫 p.9

 この物語の冒頭は、いきなり「銃殺隊の前に立つはめに」という衝撃的な一文で始まります。
(アウレリャノ・ブエンディア大佐は先ほどの引用のアルカディオの叔父にに当たりますが彼も銃殺隊の前に立つことになります。)

 でもこれに続く文章はマコンド村の創始の物語で「銃殺隊の前」の詳細は一向に語られません。
 そして24ページ後(同上p.33)、この章の終わりで氷のことが、さらに200ページほど後(同上p.203)の、大体物語が三分の一ほど過ぎたあたりでようやく「銃殺隊の前」に立つ場面が描かれます。

 最初に読んだ時、これはもしかしたらジョン・アーヴィングと同じ手法かなと私は思ったのですが、読み進めたいくうちにちょっと違うかもと感じました。

 ジョン・アーヴィングの場合、例えば『ガープの世界』では。
 冒頭、衝撃的な事件を語る一文から一見無関係にも思えるエピソードが積み重ねられ、忘れた頃に事件の詳細へストンと戻ります。
 長い物語を読ませる仕掛けのような面白い効果があって私は大好きなのですが。
 
 一方『百年の孤独』は。
 冒頭の一文の前半は「銃殺隊の前」という言葉があって衝撃的ですが、後半は父のお供で幼い日に初めて見た氷、遠い日の午後の思い出という詩的な美しいイメージが現れます。
 そこから始まるのは村と家族の年代記。
 これは仕掛けではなく象徴かもしれないと思い直しました。

 アウレリャノ・ブエンディア大佐という人物はこんなふうに生まれ、こんな子供時代を過ごし、さまざまな経験をし、成人して、図らずも大佐になってしまい、暴力に満ちた人生を歩み、銃殺隊の前に立つことになる。
 けれども、死を前にして彼が思い浮かべるのは、他でもない幼い日に父と初めて見た氷。それは子供の頃夢中になった錬金術であり、発明であり、実験の日々であり、氷はそれらの始まりの象徴であって。
 彼はそんな人間であるのだ。と。


 ただし、彼が「銃殺隊の前に立つ」時についての文章はその後も時々登場します。

「何年かたって銃殺隊の前に立つはめになったとき、アルカディオが最後に思い出したのもレメディオスだった。」(同上p.142)とか。

「彼自身が、銃殺隊の前に立たされたときでさえ、一連の小さな、しかし取り返しのつかない偶然の出来事のせいでこうなったのだということを、十分に理解できなかったのではないか。」(同上p.152)とか。

 繰り返し登場するので、この辺りは象徴というより「仕掛け」感が強くなるかもしれません。


 ちなみにこれ。別の人物の描写でも時々あります。
 この記事の最初に引用したアルカディオのエピソードもそうですし。
 他には、例えば物語のちょうど真ん中あたりで始まる章の冒頭も(同上p.285)。

アウレリャノ・セグンドは長い月日をへた臨終の床で、初めての子を見に寝室へはいっていった、あの雨の降る六月の午後を思い出したにちがいない。

同上 p.285

 アウレリャノ・セグンドはアルカディオの息子ですが。
 臨終の床で彼が思い出したに違いないのは「初めての子を見に寝室へはいっていった、あの雨の降る六月の午後」のようです。

 これらの描写が時折登場することで、登場人物たちは皆、いずれ死に直面するのだと意識させられますし、同時にその時彼らが何を思い出し何を考えたのかを知ることになり、彼らの人となりに思いを馳せることができる。

 この感じ。私はかなり好きです。


 ② 止まらない流れ

 この物語を読み始めると、私はいつもページをめくる手を止めることができなくなります。それはもちろん、ブエンディア一族の百年にわたる栄枯盛衰の面白さ自体のためだとは思いますが。
 それを次々と語る独特の語り口の効果も大きいではないかなと思います。


 例えば11ページ中程から14ページまで、4ページほどの間は切れ目のない一つの段落になっていて全く改行がありません。

 ジプシーのメルキアデスがもたらす望遠鏡とか地図とか、ウルスラの金貨とか、ホセが火事を出しかけたり、ウルスラや子供たちが畑で汗水を垂らしていたり。そして最後にホセが一言「地球はな、いいかみんな、オレンジのように丸いんだぞ!」(同上p.14。)と叫んで終わりになりますが。

 小説全体が基本的にこんな感じで、たくさんのエピソードを改行無しで休むことなく淡々と語り切れ目なく続くので。

 これ。クセになります。
 止まりません。

 あるいはたった一日を数ページにわたって描く場合もあるのですが、こちらも改行はありません。
 例えば403ページから409ページまでの6ページほど。
 それはある人物のある一日をほとんど改行無しで丁寧に淡々と追っていくのですが。

 初めのうちは気が付かなくて、でもそのうち予感がして。
 ああ、いよいよその時が来たのかと。
 この場面は圧巻でした。

 あるいはまた、ある人物が自分の死の準備をする、その数ヶ月間の心理を丁寧に追う数ページなどもあります。こちらも素晴らしかった。


 小さなエピソードにあふれる日常の物語も、一人の人物の意識の流れを追う一日も、死を覚悟して準備をする人の数ヶ月も。
 ほとんど全て、出来事の大小に関わらず、改行もせず、感情の起伏も抑え、淡々とした語り口で積み重ねられていく物語。

 全てはただそこにあり、ただ語られるだけ。
 繋がり、連なり、その流れは止められない。
 人の生き死にのように、太古から続く時間の流れのように。
 止められないのだ、と。

 そんな気持ちになってしまう文体。

 これにハマってしまうと読む側の私も次から次へと途切れなく終わりまで読み続けるしかなく、手を止めることができなくなって。

 良いです。


 ③ 魔術的リアリズムの効果

 このお話は、ちょっと不思議な出来事が、日常的で散文的な描写の間に同じ文脈で語られ、物語全体に不思議な印象を残します。

日常的な現実性と非日常的な幻想性の混和もしくは共存、という足して二で割る式の定義

巻末「改訂新装版のための訳者あとがき」から p.651-652

 だそうです。
 いわゆる「魔術的リアリズム」という手法で、私は大好きなのですが、本書の場合、魔術というよりおとぎ話的な楽しさもあるように思いました。

 例えば眠れなくなる病が村に蔓延するお話とか。
 天に昇る美しい女性のお話とか。

 子供の頃に聞いた御伽噺の楽しさがあるなと思いました。


 印象的なエピソードは208ページの、先ほど引用した大佐の、兄ホセ・アルカディオが謎の死を遂げた時のこと。

ひと筋の血の流れがドアの下から洩れ、広間を横切り、通りへ出た。でこぼこの歩道をまっすぐに進み、階段を上り下りし、手すりを這いあがった。トルコ人街を通りぬけ、角で右に、さらに左に曲がり、ブエンディア家の正面で直角に向きを変えた。閉まっていた扉の下をくぐり、敷物を汚さないように壁ぎわに沿って客間を横切り、さらにひとつの広間を渡った。大きな曲線を描いて食堂のテーブルを避け、ベゴニアの鉢の並んだ廊下を進んだ。アウレリャノ・ホセに算術を教えていたアマランタの椅子の下をこっそり通りすぎて、穀物部屋へしのび込み、ウルスラがパンを作るために三十六個の卵を割ろうとしていた台所にあらわれた。

『百年の孤独』新潮文庫 p.208

 この不思議な現象に、ホセ・アルカディオの母ウルスラは驚き、その血の元来た道を辿り、その先に倒れている息子を発見するのですが。
 
 流れる血が敷物を汚さないように気をつけているのは母への気遣いでしょうか?
 それでも、母の元へ帰りたい気持ちや自分の死を知らせたい気持ち、母に対する息子の思いがこんな不思議な現象を引き起こしたのだろうかと考えると恐ろしい場面のはずなのに切なく、静かな愛情に溢れているような、妙に心惹かれる不思議な出来事に思えます。


 御伽噺的表現の力。

 私はかなり好きです。


2 「英雄」と「母」と「サンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダ」

 百年にわたる一族の歴史の物語。
 たくさんの登場人物はいずれも魅力的なのですが、初読感想文では特に私が好きな人を三人上げて紹介しました。
 今回はネタバレなしで簡単に。
 未読の方も安心して読んでいただければいいなと思います。

 既読の方は初読感想文の方でネタバレありで詳しくお話ししているのでそちらを読んでいただけると嬉しいです。
 

 ① 預言者で英雄 メルキアデス

 物語の初めの頃から何度か村を訪れたジプシーです。
 ブエンディア家の初代、ホセ・アルカディオ・ブエンディアに錬金術やさまざまな技術を紹介し、大きな影響を与えた人でもあります。
 彼は「正直者のメルキアデス」(同上 p.10)。
 ホセに対しても親切で、勝手な思い込みで実験をしてしまうホセにアドバイスを与え、便宜を図ってくれます。いい人です。

 私が好きなのは村の不眠症騒動の顛末で彼が果たした役割。
 ある日突然ブエンディア一家を訪れた少女レベーカからもたらされた不眠の病。次第に村に広まり、村中誰も眠れなくなり、その病は忘却を招くことに気づいたあたりで村は大騒ぎに。
 そこで彼が果たした役割。

 かっこいいです。
 私ににとって英雄です。
 
 彼の「預言者」としてのあり方もいいですね。


 ② 母の強さと孤独 ウルスラ

 ブエンディア一族で最も頼りになる力強い母。
 商売上手、健全で実際的な逞しさ、不屈の精神、家族への深い愛情。
 この人も私にとっては英雄です。

 好きなエピソードは孫のアルカディオが「マコンドでもっとも残忍な支配者」(同上p.165)になったときのこと。彼の暴虐ぶりに対して。

「やれるものならやってごらん、この人殺し!」彼女は叫びつづけた。「ろくでなし! 殺すんだったら、わたしもやっとくれ。そうすれば、お前みたいな化けものを育てて恥ずかしがることも、こうやって泣くこともなくなるから」。

同上 p.166

 彼女は祖母として家族としてアルカディオを叱責し、その後彼の代わりに町を建て直します。
 たくましいです。

 でも哀れな彷徨える夫との関係の寂しさとか。
 息子のアウレリャノ・ブエンディア大佐に対する無力感とか。

 寂しく悲しい面も。
 彼女の強さと孤独に胸が痛みます。

 大好きです。


 ③ 「ひっそりと、逞しく」 サンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダ。

 初読からずっとこの人が一番好きかもしれません。

 妙な縁で「マコンドでもっとも残忍な支配者」との間に三人の子どもを儲けることになる女性。美貌の小町娘レメディオスの母でもあります。
 でも彼女自身がどんな人なのかわかる描写は少なくて。

「母親の清楚な美貌を受け継いだレメディオス」(p.232)とか。
「もの静かで思いやりがあって、息子たちにさえ逆らわない」(p.275)とか。
 少ない描写から、たぶん優しく美しい人なのだろうと推測はできますが。

「必要なとき以外はそこにいるのかいないのか、わからないような女」(p.178)とも言われていて、彼女が中心になって語られる出来事はほとんどありません。

 異常なくらい活発な、癖のあるブエンディア家の面々。
 その誰かの行動に伴うだけで、彼女自身が主語になる出来事はほとんどなく、いつも他の人たちの添え物のように彼女の描写は一言で終わります。
 
 例えば。
 ウルスラは(彼女の)「手を借りながらではあったが、ふたたび菓子屋の商売に精出し(p.232)」た、とか。
 小町娘のレメディオスは「この世の存在ではなかった(p.309)」ので思春期を過ぎても、(彼女が)「風呂に入れ、着替えさせ(p,309)」なければならかった、とか。
 フェルナンダは「アマランタ・ウルスラの世話をいっさい(p.453)」(彼女に)任せた、とか。

 括弧内の「彼女」のところにサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダの名前が入ります。
 これ、彼女がなくても文章は成立してしまいますよね。

 そんな存在。

 彼女は常に、目立たないところからブエンディア一族の面倒をみて、家事とか、自分の子供だけでなく誰の子供でも引き受けて たまに事件の目撃者的な、色々なことに気づく立場になったりするだけ。
 でも彼女自身の事件は起こりません。

 彼女自身について詳しく描かれるのは、彼女が物語から退場する時の540ページから543ページまでの改行なしの三ページ分。

 この終わりの場面に来てようやく、ああ、そんな人だったのかと。

 退場の仕方もあっぱれでかっこいい。
 大好きです。

 でも一番印象的なエピソードは。
 実は私が初読感想文を書いたのはその話がしたかったためだと言っても過言ではないというほどの、私の心の中に強烈に印象を残したエピソード。
 読後もしばらくはそのことが頭から離れなかったほどで。

 彼女は三人の子供の母親です。
 そのうちの一人はホセ・アルカディオ・セグンド。
 彼は幼い頃銃殺刑を見て、まだ生きているように見えるのに埋められてしまう人を目撃してしまいます。
 それが彼の恐ろしい記憶となって、銃殺よりも生き埋めになることを恐れるようになりました。
 そこで彼は母に言います。

ただひとつ、今もまだ、気にかかるのは、生き埋めにされないかということだった。毎日そこへ食事を運んでくるサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダにその話をすると、精いっぱい長生きをして、ちゃんと死んでから埋葬されるのを見届けてやるよ、と約束してくれた。

同上 p.474

 この時の彼女の答えもなかなかすごいと思うのですが。

 その結果はずっと後のほんの二行だけの描写で語られます。
 さらりと描かれているので、もしかしたら見逃してしまうかも。
 そのくらいさりげなく書かれた一文なのですが。

 でも私は彼女の行動に驚愕しました。

 そんなことができるのだろうか?
 いやきっと私にはできない、と。

 それをやってのけるサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダ。
「そこにいるのかいないのかわからないような女」と言われた女性。
 彼女の、息子に対する愛情は密やかで強い。

 未読の方はぜひ読んでいただければ。
 既読の方は初読感想文後編でネタバレで詳しくお話ししているのでそちらもぜひ。



 というわけで『百年の孤独』は私にとって大好きな一冊になりました。
 そのうちきっと再読感想文を書きたいと思っています。

 ちなみにその後気になってきているのは大佐の妹アマランタと、サンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダの息子に嫁いだフェルナンダ・デル=カルピオ。
 いつか再読感想文を書くことになったら、この二人のお話もしたいと思います。それから大佐のことも。



3 そのほかの作品のこと

 ガルシア=マルケスのそのほかの作品のことも少しだけ。

 ① 『予告された殺人の記録』

 私が最初に読んだガルシア=マルケスは『予告された殺人の記録』でした。
 前述の「冒頭の一文の仕掛け」があるらしいと噂を聞いて読んでみようと思ったのですが。

『予告された殺人の記録』
ガブリエル・ガルシア=マルケス/著 、野谷文昭/訳、新潮社


 果たして冒頭の一文は。

 自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、司教が船で着くのを待つために、朝、五時半に起きた。彼は、やわらかな雨が降るイゲロン樹の森を通り抜ける夢を見た。──中略──「あの子は、樹の夢ばかり見てましたよ」と、彼の母親、プラシダ・リネロは、二十七年後、あの忌わしい月曜日のことをあれこれ想い出しながら、わたしに言った。

ガルシア=マルケス「予告された殺人の記録」 新潮文庫 p.8

 「自分が殺される日」という衝撃的な言葉の後、彼が見た夢、その解釈をする母親の証言へと続きます。
「やわらかな雨の降るイゲロン樹の森を通り抜ける夢」とか夢の解釈とか幻想的で美し表現が続き象徴的な感じがしますが、肝心の「自分が殺される日」の詳細はずっと後に描かれます。
 そしてそこに関わる人たちや、時間や場所が異なる場面など、短い章ごとにゼロ時間へ向けて進むように語られます。
 実際にあった事件を元に書かれたものだと聞きましたが、小説なのにちょっとルポルタージュのような面白さがあって。
 
 アーヴィングとはまた違った、「物語を牽引する仕掛け」が感じられて面白いです。
 
『百年の孤独』が発表されたのは1967年。
『予告された殺人の記録』は数年後の1981年。

 二つの物語の仕掛けを比較して読んでみるのも楽しいと思います。

 私はどちらも好きです。


 ② 『族長の秋』も少し

 『百年の孤独』の後にこちらも文庫化されました。もちろんすぐに購入して・・・と思ったのですが。

『族長の秋』
ガブリエル・ガルシア=マルケス/著 、鼓直/訳、新潮社

 公式サイトにあらすじが載っていますがここには載せません。怖いので。
 今更と思われるかもしれませんが、残酷な描写とか本当に苦手で。まだ読むのをためらっています。

 でも先日本屋さんでちょっとページを開いてしまって。ちょうど大統領が病気の母親の世話をする場面だったのですが、読み出したら止まらなくなってしまいました。『百年の孤独』の魅力は健在で。すごく面白くて。
 
 多分そのうち誘惑に負けて読むことになりそうです。
 そして初読感想文をあげたいと思います。
 


 今回はここまでになります。
 読んでくださった方に感謝です。

 さて、次回ですが。
 アーヴィング、ドストエフスキー、ガルシア=マルケスと来たのでやはりもう一人、私の好きな作家クリスティーのお話をしたいと思っています。

 以前、再読感想文全31回を書いて改めて考えたこととか、ちょっと趣向を変えて、「叙述」とか「人物造形」とか「映像化作品」とかのカテゴリーごとの私が好きなベスト3とかお話ししてもいいかもとか、検討中です。

 ミステリーに詳しくない私ですが、物語として楽しんでもクリスティーは素晴らしいというお話をしたいと思っているので、ミステリーを読まない方にもぜひ読んでいただければと思っています。

 もちろんミステリー好きの方たちも。

 


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