ナショナル・シアター・ライブ 映画「プライマ・フェイシィ」
何か言いたいのに、気持ちは溢れてくるのに、言葉が見つからない。
一年経った今でもまだそれを表現する言葉が見つからない。
それでも伝えたくて。
ナショナル・シアター・ライブ「プライマ・フェイシィ」
プライマ・フェイシイ Prima Facie
作=スージー・ミラー by Suzie Miller
公開日2022年7月21日
シアター ハロルド・ピンター劇場(ロンドン)
上映時間122分(休憩なし)
本作は元弁護士の劇作家スージー・ミラーが法制度における性的暴行事件の扱い方を追及したもので、2019年にオーストラリアのシドニーで初演。性的暴行を受けた若く有能な法廷弁護士テッサが、被害者として法廷に立つ姿を通し、家父長的な法の力や立証責任、モラルの境界線といった法律と社会が抱える矛盾を浮き彫りにし、翌年のオーストラリア脚本家組合賞の演劇部門を受賞するなど、高い評価を獲得しました。
この作品は、2022年にウエストエンドのハロルド・ピンター劇場で上演された舞台を映像作品にしたもので、ナショナル・シアター・ライブ in Japan 2024の第5弾として上映された作品だそうです。
ナショナル・シアター・ライブについては後述します。
私は去年の暮れ、家族に薦められ拝見しました。そしてすぐに感想を書かなければと思ったのですが気持ちの整理がつかず、結局一年が過ぎてしまいました。
今も言葉にすることがためらわれるのですが、この作品のことをできるだけ多くの方に伝えられればと思って、今回記事に取り上げさせていただきました。
一年前のことなので記憶が曖昧で正確でないところもあるかもしれません。劇場で販売していたパンフレットを参考にさせていただきます。作品に関しての引用等は全てパンフレットのものです。
1 一人芝居ということ
主人公テッサは若く正義感に燃える刑事裁判専門の法廷弁護士。法と対峙することに没頭し、自分が正しいと信じることのために報い、社会的正義感に満ちてもいる。彼女は社会的富裕層の出身でも、一流校の出身でもない。しかし、そんな不利な立場からロースクールを主席で卒業し、刑事裁判の道を選択。それは、常に依頼人の弁護のため、そして正義のため、検察と彼らの手口を戒しながら正々堂々と法の下で戦うという、チャレンジに満ちた道だった。
「清掃婦として働くシングルマザーに育てられた」主人公テッサ。彼女は努力の末に法廷弁護士になり活躍しています。
ウィッグ、白標、ガウンという衣装で身を固めたテッサは、法廷での駆け引きを競馬レース、言論ゲーム、決闘に見立て、レイプ容疑をかけられた男性の弁護も客を断れないタクシーに喩えて引き受け、その被害者である女性たちを尋問してきた。
性被害に遭ってしまった被害者の女性たちを相手に加害者の弁護を引き受け勝利を勝ち取ってきた彼女。そんな彼女があるとき性被害に遭ってしまいます。
法律の世界を知り尽くしていていた彼女は、立証することが極めて難しいと知りながら原告として刑事法院に立つことに。
この舞台は一人芝居です。
パンフレットのCAST PROFILEによりますと、演じるのはJODIE COMER/ジョディ・カマーさんという役者さんで、1993年、英・リバプール出身の方だそうです。幼い頃から地元の演劇学校に通い、その後役者としてたくさんの賞を受賞されています。
今回の舞台の演技も「並外れたガッツと豊かな演技」(イブニング・スタンダード紙)、「舞台を席巻した」(タイムズ紙)と絶賛されたそうです。(公式パンフレットから)
全て一人で、とても難しい役を演じられていて、本当に素晴らしい役者さんだと思いました。
物語の前半は裁判やそこでの有能な仕事ぶり、家族や友人との出来事など、彼女の充実した半生が描かれます。
場面も役割も次々に変わっていき、その演技力というか表現力がとにかく素晴らしいのですが。
中盤になって、彼女は突然、性被害に遭ってしまうのですが、その過程や心情も丁寧に細かに演じられます。
その時の彼女の驚き、戸惑い、苦痛、強い力に抗えない屈辱感。そして何よりも恐怖、突然自分の身に降りかかった恐ろしい暴力に対する恐怖に圧倒され、観ている事が本当に辛くて。
その後、雨に濡れる彼女の演技。
冷たくて寒くて惨めで悲しくて。
そして告発するまでのさらに苦しく長い道のり。
あまりにも辛すぎる裁判のやり取り。
見ていて本当に辛かった。
でもこのような役を演じることは、観ることと同じかそれ以上に辛いかもしれない。
そんなふうに思いました。
2 物語から考えたこと
法律のことには詳しくなくて難しいことはお話しできませんが、この物語から私が感じたことを少し。
国や法制度が異なることも考慮しなければなりませんが、それでも主人公テッサの置かれた状況から、性被害に遭ってしまった人たちの辛い状況や、「家父長的な法の力や立証責任、モラルの境界線といった法律と社会が抱える矛盾」が見えてくるように思いました。
原告として刑事法院に立つまでに約2年もかかってしまうことや、被害者自身が犯罪のあったことを立証しなければならないことなど、裁判を起こすだけでもとても難しく困難だと知り驚かされました。
さらに被害にあった人の心や脳の仕組みのために生じる困難さもあって。
被害者は事件を思い出すこと自体とても辛いわけですし、その上こういった暴力に遭ってしまうと、脳が傷つき、混乱して、物事を正確に思い出すことができなくなってしまうそうです。
思い出したくないけれど、必要だから思い出さなければいけない。でもひどい体験のせいで脳が傷ついてしまって思い出すことができない。
という状態に。
テッサは「女性が法廷でその暴行を証言することの不可能性を痛感」します。
そして「尊厳、自我、キャリアの展望、友人、心の安寧、性の喜び、何よりも法への信念」(公式パンフレット)など、たくさんのものを失ってしまいます。
それでも「毅然として声をあげる」(同上)ことはできるのだろうかと苦しみます。
でもこの物語には主人公に寄り添ってくれる人たちも登場します。
例えばテッサのお母さん。
苦労してテッサを育ててくれた女性で、事件が起きた時も仕事中にも関わらず遠くからできるだけ早く駆けつけてくれます。
負けるとしても戦い抜くのだと言って、ずっと裁判を見守ってくれるお母さんです。
他にも、裁判の時姉妹のように腕に触れてくれた、「男性の制服をきた女性警察官」とか。
確かシェイクスピアを演じている女性の友人などもいました。
それから同じ仕事に従事していてアドバイスをしてくれる男性もいます。
性別に関係なく寄り添ってくれる人の存在はとても嬉しく思いました。
そしてもう一人。
たくさんのものを失っても彼女が声を上げようとするのはある人物の存在のことが頭にあったから。
物語の前半で彼女が被告を弁護して勝利した相手、原告であり、性暴力の被害者である女性の存在。
自分が敗訴に追い込んだ女性は苦しい状況にあっても声を上げることをやめなかった。だから自分も声を上げなければならないと。
同じ状況になった時にそれができるのか、と主人公へ、また観客へ、問われているようにも思えます。
声を上げることは難しくて辛くて。
それでも声を上げなければ今の状況は変わらない。
だから行動しなければ。
そしてそういう人たちに対し、周りの人間はできる限りの理解を示し、寄り添うことができたら。
その結果法律や社会が少しでもより良いものに変えていけるなら。
私も今、できることをしなければ、と思いました。
3 辛い出来事を物語にすること
実際に起きた事件や社会的な問題を扱う物語に触れると、物語にすること、フィクションという形で語ること、の意味を考えてしまいます。
以前『百年の孤独』の初読感想文の記事でもお話ししましたが、ある問題があって、それを周りの人に伝えたいと思ったとしても、事実をそのままを語ることは実際にそのことに関わった人たちをより深く傷つけることになってしまうのではないかと不安になります。でも抽象的にしたり、象徴的な物語にすることでその痛みを軽減できれば、と思います。
同時に、当事者でない人たちに伝えるとき、その相手が、それをどこか遠い場所の自分とは直接関わりのない出来事だと感じていたとしても、物語という形で普遍性を帯びさせることができれば、同じ人間として自分にも起こりうることかもしれないと問題を自分に惹きつけ、受け取りやすくできるかもしれないとも思います。
また、『ピローマン』という舞台の観劇感想文でもお話ししたのですが、辛い出来事や、暴力というものを物語の中でどこまでどのように表現するべきかということも考えてしまいます。
今回の舞台でも、どの程度暴力を表現したらいいのか難しいと思いましたが、一人芝居という形をとったので、実際に暴力を振るう演技をする役者さんを登場させることがなく、暴力を直接的に可視化せずに語ることを可能にしていると感じました。
それでも役者さんが丁寧に被害者の心情を演じることで苦しみは十分に伝わってきますし、むしろ被害者の辛い気持ちをより深く丁寧に表現することにもなって、暴力の恐ろしさや理不尽さを強く訴えることになったのではないかと思いました。
こういった難しいテーマを扱う作品を成立させるには、まず何よりも「それでも伝えたい。」という制作者の強い思いがあるからこそだとも思いました。
パンフレットの冒頭に書かれた文章の中でとても印象に残った部分を引用します。
鑑賞中、つらいと思う場面があるかもしれません。しかし、性的暴行の被害者が経験するプロセスを追体験することで気付くこと、考えるべきことがきっとあるはず。ぜひ勇気をもってご覧ください。
辛いけれど勇気を持って。
もしまたこのような作品があることを知ったらぜひ鑑賞させていただき、もっとたくさんのことを学び、考え、できる限り伝えていけたら、と思います。
4 脚本家と演出家と音楽と
スタッフの方々のこともパンフレットのSTAFF PROFILEから少し。
脚本家のスージー・ミラー氏はメルボルンで生まれ、学校で法律や科学を勉強した後、人権弁護士および子どものための権利弁護士として活躍された方だそうです。
その後ロンドンへ移住したのを機に法律の仕事から離れ、作家・脚本家となり、現在はイギリス、アメリカ、オーストラリアで演劇やテレビドラマなどの企画を展開しているそうです。
不正を洗い出すその作風で「勇気ある作家」と評されていらっしゃるとか。
確か映画の初めに脚本家と役者と法律家で対談する様子の映像があったと思うのですが、その時に法律の見直しだけでなく、教育が重要というお話をされていていました。
(ごめんなさい。記憶が曖昧で正確ではありません)
舞台作品の企画や脚本のほかにも実際に苦しい立場にある人たちの助けになるような行動をされているようです。お話を伺って、問題に向き合う姿勢などを知り、とても勉強になりました。
演出はジャスティン・マーティン氏。
代表作の「フランス北部カレーの難民キャンプを舞台にした体験型演劇作品『The Jungle』(ダルドリーとの共同演出/17年)」や、コロナ禍で関係性を見直す不仲夫婦を描いた「Together」(ダルドリートの共同監/21年)などがあるそうです。
音楽はレベッカ・ルーシー・テイラー氏。
「性差別の問題について積極的に発言するなど、歯に衣着せぬアーティストとして知られる」方だそうです。『プライマ・フェイシイ』もご自身のアルバムに通じるものがあって引き受けられたとか。
ウエストエンドのミュージカル『キャバレー』でサリー・ボウルズ役を務めた経験もあるそうです。
そして年末に、この制作チームの新作舞台がナショナルシアターライブで見られるそうです。
「インター・エイリア」という作品で年末12月26日から公開予定です。
残念ながら音楽担当は別の方のようですね。
でもぜひ、拝見したいと思っています。
5 ナショナル・シアター・ライブについて
演劇は映画よりも、題材や観客を狭い範囲に絞ることができるというか、その分自由な感じもするのですが、多くの人に見ていただくことが難しい点もあると思います。
そう考えると「ナショナル・シアター・ライブ」という存在はありがたい企画だと思います。
公式サイトを見るとたくさんの素晴らしい舞台を映像化されているようです。
こちらのサイトだとラインナップしかわからなかったのですが、「ナショナル・シアター・ライブ(NTLive)」については、長年上映したきてくださったシネ・リーブル池袋という映画館の公式サイトに紹介文があったので引用させていただきますね。
【ナショナル・シアター・ライブ(NTLive)とは】
舞台の本場、英国のナショナル・シアターが英国で上演された話題の舞台を厳選し、世界の映画館で上映する企画です。こだわりの撮影技術により、舞台上の空気感と鮮度はそのままに、臨場感あふれる映像でスクリーンへお届けします。感情の揺らぎをとらえるクローズアップから、趣向を凝らした美術セットを隈なく楽しめる舞台のワイドショットまで、NTLiveなら映画館のお客様の誰もが現地の劇場のベストシートでご鑑賞いただく観劇体験が可能です。
ということで、英国の舞台を世界の映画館で見ることができるのですが。
シネ・リーヴル池袋さんは来年1月に閉館されるそうです。残念です。
でも《フェアウェル上映 x NTLive》を年末年始に開催してくださるそうです。
フェアウェル上映のラインナップを拝見して驚きました。
オープニングの『フランケンシュタイン』はミステリドラマ好きな方はぜひ観たいのでは? と思います。
イギリス・BBC製作のテレビドラマ『SHERLOCK(シャーロック)』のベネディクト・カンバーバッチ氏と、やはりシャーロック・ホームズをもとに作られたアメリカ・CBS制作のドラマ『エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY』のジョニー・リー・ミラー氏のダブル主演。
「イギリス演劇界最高峰のオリヴィエ賞主演男優賞をベネディクト・カンバーバッチとジョニー・リー・ミラーがW受賞したNTLive史上、最も人気作の1本。」(シネ・リーヴル池袋公式サイト)だそうです。
そしてサイトには
「12/26(金)『フランケンシュタイン』 JLM怪物版
12/27(土)『フランケンシュタイン』 BC怪物版 」
とあるので、役を入れ替えたお二人の演技が見られそうですね。
さらに12月28日はカンバーバッチ氏主演の『ハムレット』です。
こちらは、「彼特有の個性を評価されながら、同時に歴代の「ハムレット」俳優に匹敵する名演が賞賛された。」(同上)とか。
先ほどお話しした「インター・エイリア」の上映もありますね。
役者さんはもちろんですが、舞台として素晴らしい作品ばかり。
「なお、12/26〜12/31までの上映作品は上映権利も12/31までの作品となりますので、これが日本最終上映となります。お見逃しないように!」(同上)
とありますので、ぜひ拝見したいと思っています。
さて今回はここまでになります。
読んでくださってありがとうございました。
次回は年明けの1月6日の火曜日を予定しています。
新年初回は恒例の(と言っても2回目ですが)
『志の輔らくご in PARCO 2025』観劇感想文です。
2026年に2025年のお話をすることになってしまいますが、毎年1月、志の輔師匠はPARCOで公演をされていてるので、それに合わせてお話しできればと思って。
新年の初めは明るく楽しくという気持ちもありますが、師匠の舞台は楽しいだけではなく、人間について鋭く深い観察に基づいた物語とその表現があって、倹しく生きる人々たちへの眼差しは優しくて。
落語で「語る」ことへの師匠の厳しい態度なども素晴らしくて。
そんな舞台の魅力を新年の始まりに少しでもお伝えできればと思っています。
おかげさまで『志の輔らくご in PARCO 2026』のチケットも購入させていただきました。
ありがたいです。
そちらのお話は、多分また、一年後になってしまうと思いますが。
それから映画「デリカテッセン」のお話は来年の課題に。
再読感想文も再開できればと思っています。
アーヴィングもドストエフスキーもクリスティーもまだまだお話ししたい作品がたくさんありますし、『百年の孤独』の再読感想文も改めてできればと思っています。
それから私が時折再読するもう一つの長編小説、トールキンの『指輪物語』のお話も。
本年もあと少しですね。
いつも読んでくださる皆様に深く感謝いたします。
あたたかいコメントをいただいたり、そこで言葉を交わすことができたりなど、とても楽しく、大変励まされた一年になりました。
ありがとうございました。
来年もお付き合いいただけると嬉しいです。
最後になりますが。
新しい年が、世界が、少しでも穏やかになりますように。
心から祈っています。
そして少しでもその一助となりますように。
精進します。
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