生きること 委ねること
田舎の施設で暮らす母とは、三カ月ぶりの再会だった。
猛暑に追われる日々は不安定で慌ただしく、記憶に残らない速さで過ぎていく。
目まぐるしい日常が、私の背中を突き動かしていた。
一方、施設では打って変わって、ゆったりとした時間が流れていた。
母は、こちらが案じていたのが拍子抜けするほど元気そうで、和やかだった。
毎月のように、創作やふれあい、買い物や外出レクなど、工夫を凝らしたイベントが行われていて、いつも広報から楽しそうな様子が伺える。
その日はちょうど流しそうめんのイベントがあったらしく、スタッフの方々の活気ある声が響いていた。
その賑やかで温かな空気に包まれて、母の表情は余所行きのシャンとした、気遣いの顔つきになっていた。
「楽しそうに麺をすくいながら、召し上がってましたよ」 そうスタッフの方から声をかけられ、母の顔がぱっとほころぶ。
お礼とご挨拶を交わした後、共にお部屋に戻ると、母の顔からそれまでの緊張がふっと解け、安堵の表情へと緩んでいた。
「暑くはなかった?」「はい、これ(お土産の)お饅頭」
そう言って手渡すと、母は遠慮しながらも嬉しそうに受け取った。
お腹がいっぱいだと言いながらも中身を取り出して大切そうに手元に置いている。
「こし餡が好きなんよ。ありがとうね。あとで食べるけぇ」「貰ってええの?皆さんに分けなくていいの?」すぐに神妙な面持ちで周りを伺う。
「まぁ、何もおかまいせんと」「これ、良かったらどうぞ」
私たちと向き合うと、今度は自分のお土産をこちらに勧めてくれる気遣いも、やはり母らしい。
「元気よ。ここにおったら(気温も)ちょうどええし。リモコンは何処にあるんかね?」「遠くからわざわざ、ありがとうね」
前回の面会では、私のことも、夫や孫のこともすぐには思い出せなかった。
会話を重ねるうちにようやく記憶の糸がつながり、「家族」として認識してくれた。
けれど今回は違っている。
初っ端から私たちと気がつき、体調のこと、夫の仕事や孫の資格勉強、毎日の猛暑から通勤(学)の大変さ、ご縁や、人と関わることの大切さまで――。何かと気遣ってくれて嬉しかった。
もちろん、今いる場所や時間の感覚がふいに遠のいて、記憶の断片がちぐはぐになり、書き換わっていくこともある。
この炎天下、坂道を上がってくるのは酷だろうと私たちを労いつつ、「もう下の商店街まで買い物に降りるのはきついから」と遠い目をして語り、「生協さんも毎日汗だくよ」と、かつての日常を、今起こったことのように口にする。
会話には、亡くなった父や伯母も、相変わらず登場している。
母の中では、彼らも共に今を生きているのだろう。
その反面、認知症を患ってはいるけれど、母の感覚は時折、驚くほど研ぎ澄まされる。
「テストされるんよ。点数があってね(認知症の査定か)」「一番上の人が来るとね、みんなぴしってなるけえね」
普段から、誰かが場を仕切り、誰かが支えているのか。
目に見えない役割のわずかな違いをも、言葉を手繰り寄せながら教えてくれる。
周囲の会話にそっと耳を傾け、不穏な空気を敏感に察する鋭さも、変わらない母の一面だった。
会話の端々に、家を心配する言葉も変わらず混じっている。
けれど、それと同時に「もうここで生きていくのだ」という静かな覚悟のようなものが、以前よりも強く感じられた。
実は、実家の片付けは思うように進んではいない。
それでも、母に心配かけまいと「そのままにしとるけえね、いつか帰れたらええけど、ぼちぼち観てきてるから大丈夫」と伝えた。
母の中で、今の暮らしへの受容が静かに始まっているのかもしれない。
そんな母の姿を見て、久しぶりに心を楽にして会話ができたように思う。
以前は何もしないでいることが落ち着かず、常に父と一緒に、懐かしい家に帰ることだけを望んで動いていた母だった。
けれど今は、誰かに何かをしてもらえることを心からありがたいと感じているようだった。
十分やってきた、90年近くも踏ん張って生きてきた。
だから今はもうゆっくりしていいのだ、頼ってもいいのだと。
ありのままの現状を素直に受け入れようとするその姿に、母の、かつての葛藤が消え去り、安らぎへと向かう変化が滲んでいた。
離れて暮らす母への心配は尽きないけれど、今の場所で生きていく覚悟を決めたような母の横顔を見て、私の心もようやく重荷を下ろせたような気がしていた。
そこには、申し訳なさや切なさを通り越した、穏やかな安心感が満ちていた。
物理的な距離や時間、日々の暮らしのやりくりなど、越えるべき壁は少なくない。
けれど、それらが許す限り、条件が奇跡のように重なるタイミングを縫って、これからもずっと母のもとへ通い続けようと思う。
母を温かく迎え入れ、日々の営みを支えてくださる施設の方々には、感謝の念が絶えない。
その優しさを信頼し、母を委ねること。
それは決して諦めではなく、私自身も自分の人生を懸命に生きていくために必要な、前向きな選択なのだと今は思える。
母が母らしくいられる場所を、共に見つめていくために。
私もまた、母と共に、家族と共に、歩みを止めることなく進んでいこうと思う。
