エッセイ 『私はボスではない』
過去にも話題に出したことがあるが、最近気づいたが、私は多くの日本人と価値観が異なっているようである。
多くの日本人は「集団的価値観」であり、
私は、「個人主義的価値観」であるように感じる。
簡単に言うと、前者は「上下関係」で人間関係が成り立っており、
後者は、すべての人間は「同等」であるという考え方である。
つまり、私は上下感覚というものをそこまで強く持っていないということである。
年上や上司に対して、相手を不快にさせないために、最低限その立場の違いを尊重して、敬語を混ぜたり、ナメた対応をしないようにするくらいであるが、
それでも、相手が不快に思わずに許容してくれるようであれば、仲良くなってくれば、同等の友達のように接することも多い。
それは単純に、その方が仲良くできて楽しいためである。
上記は個人間の話であるが、私が驚いているのが、職場でも、友人グループでも、常連が集う行きつけのバーでも、ネットのグループでもいいが、こういった「コミュニティ」における人々の上下感覚である。
映画『桐島部活やめるってよ』では、露骨な学校内ヒエラルキーの存在が描かれているが、そのような上下関係がどのようなコミュニティにおいてもガッツリ発生するということである。
つまり、コミュニティ内における一番の権力者(ボス)が定められ、そのボスに気に入られていたり、格が近い人が、基本的にボスと会話をして、残りの人はその様をただ見ている、という構図になることが多い、ということである。
私はこの構図になる意味がわからない。仕事の会議とかならまだわかる。ボスが基本的に会話を回して、そのコミュニティにおける有力者たちがボスと話をして、残りの人たちは意見を求められない限りそれを見ている、ということをするのは、仕事や会議を効率的に進行させるために必要だからである。
ただ、私が見てきた中では、プライベートのどのコミュニティにおいても、これと同じような構図が強度は様々あれど発生するのである。
ただ、個人間の上下関係ではなく、コミュニティにおいて上下関係がバッチリできるというこの構図は、私はがっつり海外のコミュニティに参加したことがないので、日本の集団的価値観、欧米の個人的価値観の違いであるのかどうかはわからない。
もしかすると、コミュニティとなると欧米も同じような構図になる可能性もあるが、日本の方がこの構図が強力にできやすいことは確かであると思う。
以前通っていた、行きつけの人が集う飲み屋さんでの話であるが、私がそのコミュニティに入った瞬間は、ボスがいて、数人の有力者がそのボスと会話をして、それ以外の人がその様を飲みながら見ているという構図であった。
そして、新入りの私はおそらく、そのヒエラルキーの中では下の方の扱いをされていたので、私がその会話に参加しようとしてもあまり相手をしてくれなかった。
私は、おしゃべりをするためにその場所に行っているので、普通に、ボスと有力者以外で、仲良くできる人を見つけてその人たちと会話をしていた。
すると、それを見たそれまで私を放置していたボスが、私がしている会話に割り込んで邪魔をするということを始めた。
私は、ボスが、私との会話に興味がないのだと思って、他の人と話していただけなので、その行動の意味が初めはわからなかったが、
この時、おそらくボスは、私にボスの配下について、ボスの方を向いて、話を黙って聞いて欲しいのだと思った。
つまり、このコミュニティにおける「上下関係をしっかりと守れ」、ということを、私と他の人の会話に割り込んで邪魔をすることで示していたのだと思う。
私は、職場の会議でもない場合コミュニティ内での上下感覚はないので、つまり、ただ自分が気の合う話したい人と話すだけなので、「なんだこいつ感じわる」とだけ思い、普通に他の人と話をして盛り上がるということをその場所に行くたびにしていると、
徐々に、ボスと側近たちがあまり話さなくなり、私と、私が仲良くしている人たちの方を黙って見ている、という構図になった。
この時、私は、ただ、自分が話したい人と個人的に話しているだけであり、その中のヒエラルキーという構図は全く頭にはない。
なので、ボスとその側近たちが私の方を黙って見始めた時、「うわ、、なんか見てる、、自分達で話しとけよ、こっち見んな笑」と思っていたが、
この時起こったのは、おそらく、「ボスの交代」である。私が、コミュニティにおいて既にいたボスの配下につかないという異常事態がまず起きて、ボスが私と他の人の会話を妨害して私を従わせようとしたが、それも私は無視して、しかも他の人たちとめっちゃ盛り上がっているので、ボスは、「自分に従わない存在=自分より格上」と判断して、私の配下についたのだと思った。
このボスの対応からわかるのは、コミュニティおいて、ボス以外が自由に話すことは許されないのだと思った。
私は、プライベートで楽しむためにその場に集まっているので、その場にいる全員が、個人個人で、自分が気が合う話したい人と話せばいいだけだと思うが、
ボスが、それまで私を放置していたのにも関わらず、私が他の人と話し始めると私の話の妨害をした=ボスはそこにいる人たちが個人個人で自由に会話をすることを許していない、ということであると思う。
3,4人の友達グループでも結構こういうボスタイプはいる。自分が常に話題の中心になり、どこに行くか、何をするかも自分が決めて他の人を従わせ、他の人が話を主導しようとすると、不機嫌な態度を取り妨害したり、ひどい時は「ですぎた真似をするな」という意味で、腕でぐいっと押さえつけて相手を後ろに追いやる人もいる。
ただ、私は上下感覚がないので、基本的にボスに対して従わずボスを自分と同等として扱うので、上記のように、自動的に私がコミュニティのボスになってしまうことが年々多い。
その結果、私が仲良く話している人以外は黙っている、という構図になってしまい、何か悪いことをしてしまったような気がしてしまい申し訳なくなることもある。
こうなってしまう理由は、皆が自発的にボスに従っているだけでなく、ボスが他の人が自分に従うことを強要していることであると思う。
そういう構図に慣れてしまっている人たちは、私がボスだと勘違いして、私に睨まれないように、出過ぎたマネをしないように、ひっそりとしている、私の話を聞いているということだと思う。
私の中では、私は決してボスではなく、皆が同等なので、皆が話したい人と話したいことを話せばいいと思うが、このボスシステムが染み付いている人たちは、ボスに従わない強者=より強いボスとして私を認識して、常に私の目を気にするようになるのだと思う。
この時、私は自分が話したい人と熱中して話しているだけである。私の中では、私は決してコミュニティのボスではないし、ヒエラルキーの存在自体がない。私の中では、その場における個人個人の関わりであり、あまりコミュニティを「集団という一個体」として見ていないということである。
そして、最近のエッセイでずっと考えている、「私と仲良くなってくれても、ある程度の距離までくると、私を怖がり去って行ってしまう人」というのは、もしかすると、この「上下感覚」が私より強いのではないかと思った。
上下感覚があるため、あらゆる要素を見て、相手は、自分が「対等ではない」と感じる相手と対等に接することができないが、私が相手に上から接することがないので、「接し方がわからなくなる」ということかもしれないと思った。
この、「能力や精神年齢を始め、あらゆる要素で全体的に見て実質的な「格差」がある場合、上から接さないと相手が怖がる(接し方がわからなくなる)」という説は、過去に何度も考えてきたが、
私は上下感覚があまりないので、関係性において、自分が他人より存在として「上だ」という感覚が理解できないので、ナチュラルに上から接することができず、そのせいで、私と親しくできない人が多い可能性があると思った。
そして、コミュニティにおいては、私がボス認定されてしまった場合、私が「ボス」として話を振らないと、私が積極的に仲良くしている人以外は、そのコミュニティにおいて何か発言や会話をすることができない場合もあるのかもしれないと思った。
私は、人の上に立つことに興味がなく、快楽も感じないので、この役割をすることはかなり苦痛であるが、誰も仲良くしてくれないと孤独になるので、ナチュラルに人にマウントをとる、ボス然とする、先輩然とする、他人をやんわりと支配し、コントロールする、先導する、
ということができるようにならないと、私と対等、または、私より格上であると感じない人は、私と親しくもできないし、また、私がコミュニティに迷惑をかけてしまう可能性もあると思った。
私は、上下関係、上下感覚というのは、下品だと感じるため好きな価値観ではないが、日本にいる以上そのシステムに準じないと、関われない人もいるのかもしれない。
そして、以前は他人から怖がられることはなかったのにも関わらず、年々怖がられる理由は、やはり過去にも分析したが、思索や、創作や、作品消化や、コミュニケーションを通して、
年々私の知性が上がっている=人々の中で私の「格」が上がっているため、私を格下、または同等として扱える人が減ってきたということが問題なのかもしれないと思った。
確かに、友人でさえ、私に対して以前よりよそよそしく、なんかビビっているように感じる。
これは、以前よりも私のことを同等として見れなくなったが、私が上から行かないし、相手から今更私に下手に出ることもできないため接し方がわからなくなっている、ということではないか。
そして、私は昔から、先輩や先生や上司などの「格上」とは、最低限マナーは守るが生意気にくる後輩として可愛がってもらえるため仲良くなりやすいが、後輩などとは仲良くなる機会が少ないのは、私が上から接さないため、相手が私との接し方がわからないためではないかと思った。
結論:上下感覚を身につけないとそろそろヤバい
