エッセイ 『あなたには誠がない』
あなたには誠がない
私は、過去のエッセイで、私が年々、友人関係であっても恋愛関係であっても、人と関係性の距離が近づくほど怖がられて、徐々に距離を取られてしまうことの理由について考えてきたが、その解像度が上がったので書こうと思う。
私は、このエッセイで、他人と親しい距離感で関わることは得意であるが、実際には、無意識であっても他人に心を開いていない場合が多いと書いた。
その理由として、「相手が自分よりも精神的に子ども」であり、マナー感覚や気遣いや思いやりの強度が自分と違いすぎて、許容はできても受容(心を開いて相手を受け入れる)はできないからだと思うと書いた。
つまり、相手の精神性をある程度の強度で認めていない場合、私は他人を本当の意味では受け入れることが出来ていないということである。
確かに、私は昔から「軽薄」な人が苦手である。これは小学生からそうであった。
クラスの人気者でみんなに囲まれているような人であっても、自分のことしか考えていないなと感じると、その人の笑顔すら空っぽで嘘くさくて気持ち悪いと思ってしまい苦手に思っていた。
つまり、ペッパーくんのように、人の形をしたものが目の前にあるのに人格が存在しないように感じてそれが「怖い」と感じるということである。
このことは、今までのエッセイでは、「精神的な成熟度合い(大人性)」の強度の問題として考えてきたが、他者への思い遣り・軽薄さの強度には小学生から明確な差異があるという点で、その人の根本的な気質の問題の可能性もあると思った。
ここでいう「人格」とは、おそらく「誠(誠実さ)」「真心」のことだと思う。私は「ハートがある」という言い方をすることが多い。
確かに、現段階では、ペッパーくんには他人を本当の意味で気遣う「真心」は存在しない。そのため、人格を感じないということもあるのだと思う。
つまりこれは、他者に対する愛情や思いやりのことである。
私はよく他人にサイコパスだと言われるが、それは、私が他人に「誠」を感じていない場合、私はその人を真っ当に人間として捉えることができないためだと思う。
そのため、私は相手に最低限のマナーと尊重は示すが、誠を示すことはできない。つまり、相手を真っ当に人間扱いすることができないということである。
なので、友人には、「お前は人のことをアリとしてしか見てないもんな」と言われたことがあるが、おそらくそれには語弊がある。
私は、相対的に見てかなり軽薄な人のことはアリやアメーバのようにしか見ていない(見えない)が、他者への思い遣り、ハートがある人には、誠意を持って接する方だという自覚がある。
そして、過去に、大人になってから出会った人で私が自分より精神的に大人だと思った人は3人しかいないと書いたが、それは、その3人ともが、他人の心意気を買って自己犠牲ができるという意味で私よりも粋でハートがある人だと尊敬したためである。
私から見てみると、世の中の多くの人は、むしろ逆で、一見上品に見える人も含め、保身優先、自分が他人から責められないためには、非を持たされないためには、面倒ごとに巻き込まれないためには、他人との関係を平気で切ったり、放置したり、嘘をついたり、人のせいにするように見える。つまり、利他的ではなく、利己的である強度が強いということである。
そして私は、以前の職場の上司から、「あなたは仕事はできないけど、自分のミスを絶対に人のせいにしないからそこはすごいと思っている」と言われたことがあるので、その上司から見ても、世の中には、責任逃れをする人が多いということだと思う(仕事はびっくりするくらい出来ません)。
また、自分の機嫌や都合次第で、他人を平気で傷つけたり貶めるような言動をする人も、私は、許容はできても、相手のことを認めることはできないと思う。
私も、全くこういうことはしないのかと言うと、そうではないと思うが、頻度と強度の問題であり、相対的に、あまりにも自分から見て「軽薄だな」と感じると、おそらく、無意識で相手を警戒したり、まともに向き合う気がなくなり、相手に心を開いて受容することはできないのだと思う。
そして、私は、常にこのようなことを考えながら他人と関わっているわけではないし、軽薄だな、利己的だなと思っても、それを相手に伝えるわけではないので、私が相手のことをどう評価しているのかを相手が明確に理解しているとは思っていなかった。
そして、私は、相手の精神性を買っていなくても、ユーモア感覚が合う、趣味があう、関わっていて楽しいなどの理由で、メリットがあれば、相手に好感を持つし、積極的に近い距離感で関わろうとすると思う。
しかし、おそらく、他人は、私が他人の精神性を認めて受け入れるかどうかを関係性の距離が近づくほど、理解し始めるのだと思う。
過去にも書いたが、以前私が恋愛に発展しそうになった相手が、私の小説を読ませて欲しいと言ってきたので、読んでもらったことがある。
その人は、初めは「面白い!」と言って読んでくれていたが、途中で完全に手が止まり、その頃から私と表面的にしか接してくれなくなった。
そして、最終的に私と恋愛として向き合うことに前向きではなくなってきたと伝えてきて、その理由として「あなたはまともでしょ、自分はクズだから」ということを言ってきた。
私はその時、なぜそのような理由で私と関わることができなくなるのか謎であった。
私がクズ(軽薄)で、相手が誠実な人であればまだわかる。実際に、私もあまりに軽薄な人には苦手意識があるためだ。
そして、私は、相手が自分よりも「まとも(真心・ハートがある)」という理由で、他人と向き合うことが苦しくなった経験がないので、どういう感覚なのか全く理解ができない。
学級委員長や風紀委員のように、常に他人に対するマナーや気遣いを見張って注意してくるのであればウザいので苦手に思う可能性もあるが、私は、自分とマナー感覚や気遣いの強度が違うからといって、他人にいちいち注意することはほとんどないし、実際に私の学生からの友人は私から見るとマナーの悪い人ばかりであるので、その部分はウザがられてはいないと思う。
ただ、色々な人を見ていると、おそらく、相対的に見て「軽薄な人」が「誠実な人」と親しくすることが苦手な理由は、自分の軽薄さを見られるのが「怖い」と思うからなのだと思う。
やはりそれは、軽薄さを見られることで、がっかりされたり、内心見下されて「否定」されているような気がして、それが不快だったり、緊張したり、苦しかったりするのだと思う。
確かに、マナー感覚や気遣い、つまり、軽薄さの強度が大きく違う人同士で親しい友人になったり、恋人になったりしている人を私はほとんど見たことがない。
私は刺激やユーモアが好きなので、本当は少しヤンチャでふざけた人がタイプであるが、過去に恋人としてちゃんと付き合ってくれたのは、真面目な人ばかりであり、今考えれば私の誠実さを気に入ってくれていたのだと思う。そして、その人たちには「ハート(誠実さ)」があり、その人たちも他人の軽薄さを苦手に思っていたように思う。
そして、上記の「あなたはまともでしょ」と伝えてきた人含め、私が、少しヤンチャでふざけているという点で気質が合い、恋愛関係になろうとした人たちは一人残らず、途中で私を怖がって去っていったように思う。
このことから、私が相手になにか失礼なことをしたり、飽きられたりしたという可能性だけでなく、「私の方が相手よりも軽薄ではないから」という理由で苦手に思われて去られてしまったパターンも多くあるように思う。
そしてそれは、「私が相手に心を開いて相手を受け入れていない」と相手に感じられるということからだけでなく、私が相手の精神性をまだ見限っておらずこれからちゃんと向き合っていきたいと思ってたとしても、
相手が私のマナー感覚や気遣いを、私の態度・言動や、上記の例のように私の創作物などから確認するほどに、「私が相手ほど軽薄ではない」という事実自体を苦手に思われている可能性もあるということである。
この場合、私がどれだけ両手を広げて、相手にウェルカムモードを示していたとしても、相手がまだ見せていないものも含めた「根本的な軽薄さの差異」自体を苦手に思われる場合、私にはもうなす術がないように思える。
なので、基本的には、私は自分と「誠 / 軽薄さ」の強度がある程度合う人としか親しくはなれない可能性があると思った。
そして、確かに、ここが大きく異なる人同士で、昔からの知り合い以外で仲良くなっている人を私も見たことがないので、仕方がないのかもしれないと思った。
軽い関係であればまだしも、親しい友人や恋人として付き合おうとする場合、根本的な「誠」「軽薄さ」の強度の差異はいずれバレてしまうからである。
そして私の、「ヤンチャではあるが人間関係には誠実」というハイブリッド感が人々を混乱させているのだと思う。
そのため、奔放さの気質が合う人が私と仲良くなろうとしても、相手が私の根本的なクソ真面目さに途中で気づき、それを怖がったり苦手に思って去っていくのかもしれないと思った。
そして、過去にも書いてきたが、私が近年、現実で人と関わるより、映画や小説などの好きな作品に触れている時の方が人と関わっている実感・充実感がある理由の一つは、それらの作品に強度の高い「ハート(誠)があるから」だと思った。
そして、私の知り合いを見ていると、軽薄な人はハートのある芸術作品(アート系のヒューマンドラマ)を苦手に思う人が多い印象である。軽薄な人は、おそらく、私と親しく関われないように、アート系映画のヒューマンドラマを見ると叱られている気分になるのかもしれないと思った。
そして、私のこの気質は、多くの人とは親しくなれないが、アート作品は強度高く楽しめるというメリットがあるという点で、一長一短だと思った。
結論:人格改造して軽薄になる or ハート(誠)がある人を探す
「誠実・軽薄」問題を扱った映画『PASSION』、オススメです。
濱口竜介監督(ドライブマイカー)の東京藝大卒業制作作品(なんと学生映画)、天才です。
