静けさとは、鏡のようなもの。
聴力検査をしてると、聴こえるはずのない音が聴こえてくることがある。
”静寂によって自分が見えすぎてしまう話”
静かな世界について考えてみた。
静かな世界のほうが、脳の感覚が研ぎ澄まされる。
うるさい場所では、自分がそこに紛れる。意識が分散されるから集中はできないけど、脳は安心する。矛盾してるようだけど、音があるから「ここは安全」と察知できる。強制的に静かな場所を求めるのは、”うるさい”が前提としてあるから。
だから静かな場所ほど、周りが気になる。どこに意識を集中させるか迷ってる状態。情報が少ないから、小さな変化まで拾うようになる。そのせいか脳は過敏になり、普段は見落とすようなものまで拾い始める。だからその瞬間、自分が色濃く映し出される。
本屋や図書館では、静かだから文字を集中して追える気がする。
余計なものは削ぎ落とされて、静かになればなるほど、周りが濃くなる。
ページをめくる指先の動き。
誰かの咳払い。
鼻をすする音。
椅子が軋む音。
身につけてる装飾品の動き。
視線。気配。呼吸。
いつもなら気にしないような音も、やけに大きく感じる。
静けさがあるから、その中にある小さな音を拾おうとしてる。
クリアになるということは、優しいだけではない。
逃げ場もなくす。暇が訪れ、SNSを開きたくなる。でも我慢すれば、その先に思考の整理が待っている。だから静かな世界で休む。
自分の動きにも、意識がいく。
指の位置、イマの姿勢、呼吸の温度、呼吸の間隔。
「イマの動き、変じゃなかったか?」とまで思う。
周りが気になるというより、
周りの中にいる”自分”が気になっているのかもしれない。
静かな場所って、落ち着くための場所のはずなのに、どこか落ち着かないのは、多分そのせいだ。だからこそ自分を深く観察できる。
少しだけ疲れるような気もするけど、短時間でも深く休める気がする。ごまかしが効かない分、自分の状態にも気づきやすいから疲れにも気づける。
落ち着いているふりも、無理している感じも、
全部そのまま浮かび上がってくる。
静けさって、鏡に近いのかもしれない。

今日も読んでいただきありがとうございます。
では、また次の記事で。
素敵な一日を。
