冬にあって、春にないもの。
あると当たり前になり、無いと欲しくなる。
みんなが桜の話をしだしたので、
私も桜が見たくなり、「私の桜前線」を見出しにしました。ポジティブ感染と言いますか、それとも「共感」の一種なのか。noteを書くようになり、自分の感情がなんなのか細部まで知りたくなる今日この頃。
ChatGPTに、「これって同調圧力?」と聞いたら「お前はアホなのか」と笑われました。(エイプリルフール)
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「ないものねだり」って、季節でも起こるって知ってました?
「はやく暖かくならないかな〜」と思っていたはずなのに、少しずつ春っぽくなってくると、なぜか寂しい気持ちになる。
あれは、なんなんだろうと思い考えてみる。
たぶん、冬の期間に起こる「炬燵あったか〜い」っていう、あの幸せホルモンムンムンがなくなるからだと思う。ぬくもりに包まれてる感じ。守られてる感じ。
でもよく考えると、人間ってほんとに変な生き物だ。
だって、あんなに寒いのが嫌で、「ヤダヤダヤダヤダ」って言いながら外に出るのも億劫で、動きもノロくなって、指先はカチコチに冷たくて思うように動かせず「寒すぎるだろ」って、文句ばかりの毎日だったのに。
それが終わってみると、
「あれ、暖かくなるスピード早すぎない?」
「なんかちょっと寂しいな」
「あの炬燵のぬくもり、もうすぐ終わるのか」
「”寒いから出かけるのもう少し待ってて”、ができない」
ってなる。
この違和感、なんなんだろう?
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たぶんだけど、私たちは「春」を求めていたわけじゃなくて、「寒さからの解放」を求めていただけなんだと思う。
「自宅ではしっかり着込んで寝るのに、ホテルではパンツ一丁で寝る」みたいな。例えが雑かな。
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つまり、「暖かくなってほしい」というより、「寒いのが嫌だった」だけ。
そんなん知ってるわ、って声が聞こえてきそうだけど、もう少しだけ付き合ってください。
春が来て、寒さはちゃんと消えたけど、それと一緒に消えたものがある。
それが、あの「炬燵あったか〜い」という感覚。
あのぬくもりって、ただ温度が高いってだけじゃなくて、どこか“守られてる感じ”があった。冬の間だけ現れる、私のパートナー。
外は寒いのに、自分はぬくぬくしているという、ちょっとした優越感。
世界は冷たいのに、自分の周りだけやさしい、みたいなあの感じ。
あれが、好きだった。
でも春の暖かさって、それとは少し違って、
春は外がそのまま暖かい。春はつまらない。花粉も飛ぶし。
日差しも、風も、空気も、木々も、お腹も、全部がたるんでいて、それはそれで気持ちいいはずなのに、なぜか少し物足りない。
たぶんこれは、「開かれた暖かさ」だからなんだと思う。
冬の温かさは「閉じてる」
たまに優しい男みたいな。
こたつ、布団、暖房の効いた部屋。どこかに”飛び込む”ことで得られる温もり。
春は”抜け出す”って感じ。
外に出れば、そのまま暖かい。どこにも飛び込まなくてもいい。
この違いが、思っている以上に大きい。
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どうやら私は、「守られる温かさ」のほうが好きらしい。
寄り添う感じ。
包まれる感じ。
囲まれている感じ。
どこにも行かなくていい感じ。
そういうものに安心するタイプなんだと思う。
だから春の、あのモンキー・D・ルフィのような自由すぎる暖かさが、少し落ち着かない。
人間って、「不快なものからは逃げたい」と思いながら、「好きなものは手放したくない」とも思う生き物だ。
寒さは嫌だったけど、あのぬくもりは好きだった。
だから今、「寒くない」という快適さを手に入れた代わりに、「守られている温もり」を失って、なんとなく寂しくなっている。
だから「春って最高!!」と思おうとせず、公園の鉄棒で新たな「冷んやり」を探そうと思う。
春を無理に好きになろうとするんじゃなくて、春の中で、自分の好きな感覚を探せばいい。
ひんやりしていて、少しだけ冬を思い出すあの感じ。
春の中に、あえて”冷たさ”を見つけにいく。
(鉄棒は探さんけど)
そうやって、「守られる何か」を自分でつくっていく。これで春は春のままでも居心地のいい場所(鉄棒)になる。
季節が変わるたびに、前の季節と同じ幸せは消えてしまう。
でも、その代わりに、違う形の心地よさ(どんな鉄棒が好きなのか)がちゃんとやってくる。
人は探しにいくから欲しくなるんだろうな。
そんなことに気づかせてくれたnoteに、少しだけ感謝を。

では、また次の記事で。
今日も読んでいただきありがとうございます。
素敵な一日を。
#noteでよかったこと
