「察してほしい」は永遠に伝わらない。病院でハッとした、言語化が命を救う話
「察してほしい」は、永遠に伝わらない
最近、母と会話をしていてハッとしたことがあります。
実は母、少し前に職場の階段で転んでしまって……。
骨折まではいかないものの、
骨が粉砕(?)しているらしく、今は治療やリハビリに通っています。
ずっと「どこか良い病院はないかな」と探していた母。
先日、久しぶりに大きな病院へ行った帰りのことでした。
「あそこの病院、こっちが『ここが痛い』って言わないと見てくれないのよね。
言った場所しか見てくれないから、他に良い先生いないかしら」
……それを聞いて、私はハッとしました。
母はどちらかというと、
自分の意見をハッキリ言わず、「察してほしい」と思うタイプ。
そして父も同じようなタイプなので、
母はいつも父の顔色を見て、先回りして動くのが日常でした。
だからこそ、無意識に
「相手も同じように私のことを察してくれるだろう(だって私はやってるんだから)」
と思ってしまうんですよね。
そんな両親の元で育った私も、昔は、
「自分がどうしたいかより、相手が望むことを察して動かなきゃ!」
と思い込んでいました。
(で、結局、相手の望みを100%察するなんてできなくて、
私はダメなんだ……と自己否定まっしぐらだったのですが笑)
そこから自己対話を身につけた私だからこそ、
母の言葉に猛烈に納得してしまったんです。
「察して」っていうのは、永遠に察してもらえない。
自分から「こうしたい」「ここが痛い」って言わなきゃ、伝わらないんです。
だからこそ、
自分の内側を言葉にする「言語化」が大事だし、
「自己対話」が必要なんですよね。
今、鼻息荒くこの文章を書いています(笑)。
母の理想としては、
「言わなくても、自分が痛いところをピタリと当ててほしい」
「『お母さん、ここも痛くないですか?』って向こうから聞いてほしい」
そして、それができる医者が「良い医者」。
……ハードモードすぎる!!!😂😂😂
母の本当の願いは、「足を治したい」ということ。
だけど、どこがどう痛いのかが分かるのは、世界で自分だけ。
「ここがこう痛い。それをかばって歩くから、こっちの筋肉も痛くなってきた」
そういう表現や言語化ができることって、
医療の現場でも、ものすごく大事なことなんだなって思いました。
「見なくても痛い場所が全てわかる超能力者」みたいなお医者さんはいないかもしれない。
けれど、「ここが痛いんです」と伝えたら、
それに合った治療をしてくれる「専門家」ならたくさんいます。
それなのに、
「伝わらない」「伝えられない」「察してよ」
のせいで、適切な治療を受ける機会に辿り着けないのは、ものすごくもったいないですよね。
人間関係も、パートナーシップも、そして病院ですら、やっぱり「言語化」がすべてなんです。
あっという間に7月も半分過ぎましたね🍉
実は、今回の母の話もあって、
「やっぱり自己対話と言語化ってめちゃくちゃ大事だな!」
と改めて確信しました。
そこで、今年の夏休みは特別な企画を考えています✨
イメージは、子どもの頃の「ラジオ体操」。
毎朝カードが配られるように、
毎日一問、届いた質問に答えるだけで、
自然と自己対話の習慣が身につくやつ✨
「自分の本音がうまく言葉にできないな」
「つい周りに『察して』って思っちゃうな」
という方に、めちゃくちゃ楽しんでもらえる企画にしようとワクワク準備しています!
近いうちに詳細をお知らせするので、ぜひ楽しみにしていてくださいね☺️
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最後まで読んでいただきありがとうございます☺️これからもたくさんお伝えしていきますのでよろしくお願いします💕