ミントが全滅した日
わが家の庭の片隅にわたしを癒すためにひっそりと植えられた植物。それはミント。
清々しい香りが好きで、原液のスプレーを常に五本はストックする。猫のいない寝室の中をミントの香りで満たしたり、虫に刺されたらシュッとしてかゆみ止めとして使ったり。そのほかにも春夏秋に公園に行く時に虫よけとして足首にシュッ。爽快な眠りのために枕にシュッ。と、まぁミントはわたしの生活に欠かせない存在だ。相棒と言っても過言ではない。なのでもういっそ市販のスプレーだけではなく、植えてみよう!もっとミントを身近に!!と、鼻息荒く猫の額ほどの花壇にミントの苗を植えたのだった。
少しずつ増やして、ミントは息子が二歳になるころには二株に増えていた。育児の合間に眺めて香りを楽しむ日々。わたしのちょっとした、癒しの時間……。
そう、あの事件が起こるまでは。
育児では様々なことが起こり、そのたびに学ばせてもらうことが多い。初めてやることだし、たとえ初めてじゃなくても、子どもによって起こる事件は違うからそのたびに学ぶ。そしてわたしが今回まなんだのは
「言わなきゃわからないことって、実はあまりにも多い」
ということ。
・こんなこと、言わなくてもわかるっしょ。
・それが普通だろ!!
・そんなこともわかんないの?
なーんて、職場などで言う人めっちゃ多い気がしますね。
知らねーよ、お前のとこの会社の普通なんか。あと言わなくてもわかると思っちゃいけないよ。どこの会社でも「報・連・相」って言ってるでしょ。あれ、みんなコミュニケーションの話だから。言わなきゃいけないんだよ。
って思っていませんか。わたしは思ってます。思っていいんですよ。というかそれ、なんらかのハラスメントですよ。
本当、いやな言葉ばっかりですいません。
自分の考えている「普通」の枠って意外と狭いものだ。
それ、ほとんど自分の中だけだよ。その「普通」全然伝わってないよ。
そんなことを、育児の現場で全身がヒリヒリするほど感じた。
事件は会社や現場だけで起こるんじゃない。育児現場である「家庭」でだって起こるんだぜ……!
わたしの住んでいる家は築30年越えの古びた一軒家で、散らかってはいるけど庭もそこそこある(超ド田舎)。そのため真冬以外の季節には草がボッサボッサと我が物顔で侵略を始めるのが、毎年のルーティンだ。
春のある日。
いやいやが爆発して家の中でバックスピンをかます息子を器用に抱えて一緒に庭に出た。そして花壇で静かに風に揺れるミントを見て、そういえば息子とミントとの出会いの場を設けたことはなかったな、と思ったのと、新しい体験をさせなければ!という謎の知育魂が急に燃え盛り
「ほら、これがミントだよ。嗅いでごらん。いい香りがするよ」
と言ってすっきりとした香りのほのかに漂う、ざらざらとした葉を何枚かちぎって息子の鼻の近くに持って行き、嗅がせていた。
息子は見事なバックスピンをかましていた先ほどの感情を春風にのせてどこか遠くへすっきりと流した様子で
「ほんとだねぇ~」
と言って葉をしげしげと見つめていた。
キラキラとした瞳がミントにそそがれている。そしてわたしの手からその葉っぱをムチムチの指でそっと受け取ってカニのように開脚(?)してしゃがみこみ、自分でクンクン嗅いでいた。急に訪れる、平和。さっきまでのいやいやの嵐、いや台風?ハリケーンでもいい。そんな荒れ模様だったのが嘘のようだ。ミントの香りが気に入った息子は、ずっとクンクンしている。今日は疲れた。ちょっと軽く草でも引っこ抜いて春の陽気を楽しもう、あわよくばテントウ虫とかいないかな、息子の新しい体験を……と、もにゃもにゃ考えているうちに次第にわたしは夢中で草を抜きだしていた。
そのうち、息子も夢中でミントの葉をむしり始めた。少しくらいならいいか、と見逃していた。
その間、ほんの数分。多分五分くらい。
五分ですよ。
でも、それがいけなかった。甘えだった。
この時、目を離さなければ……。
しばらくして、後ろから息子が
「ねぇねぇママ、みてみて~!」と肩をたたいてきたので
「どうしたの?」と後ろを振り向くと
そこには
両方の鼻の穴にがっつりミントの葉を詰め込みまくった息子が
輝く笑顔でこちらを見ていた。その顔を見て冒頭のあの言葉たちが頭をよぎった。
「鼻にモノを詰めちゃだめだよ!言わなくてもわかるっしょ?!」
「鼻にモノを詰めない!それが普通だろ!」
「鼻にモノを詰めちゃダメ!そんなこともわかんないの?!」
……。
しかし、そうじゃない。
息子は生まれてまだ、二年(当時)。
知らないよね……。
鼻にモノを詰めたらダメってさ……教えたことないもの。言わなきゃわかんないよね。大事だよ、「報・連・相」。
鼻にモノを詰めるとね、それが原因で鼻の粘膜に傷がついたり、吸い込んで窒息のおそれ、呼吸困難……、いや、これは報・連・相じゃないな。ヒヤリハットだよ。わたしが気をつけるべきだった、猛省案件だ、これは。
「息子、鼻に葉っぱを…というか、ティッシュ以外のこの世にあるすべての物を鼻に詰めてはいけませんよ……」
「しょうなのーー?わかったー!」(そうなの?わかった!の意)
その後、全ての葉をむしり取られたミントはその短い命を終えた。ミントの代わりに何かを植えようといくら場所を作っても、強靭な雑草とドクダミが暴力的に侵略してくる。そして花壇に植えてあるオンコの木の足元を埋め尽くして、さも仲間であるかのような顔をしているのだった。
今わたしはミントのスプレーを六本ストックしている。一本増やしたからと言ってそれがなんだ、という感じではある。しかし育児中は何が起こるかわからないのだ。そしてそれが育児の醍醐味なのだから、仕方がない。
「しらねーよ、お前の普通なんか」
育児は、こんな言葉で溢れてる。
普通ってみんな違う。
みんな違うのに
そんな人たちと一緒に共存してるなんて、すごい。
あなたも私も、みんなみんな、すごい。
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