おじさん観察日誌
自分で言うのもなんだが、私はどう見ても図書室が似合う文系の顔をしている。
本を読むのが好きそうで、数字や数式とは無縁の人生を送っていそうな、そんな大人しくて、吉岡里帆みたいなタイプだと思う。
だが、そんな私が建築業界のブラック企業で日々こなしていたのは、建物の材料を1円単位で弾き出す「積算」であり、地域の最大風速からビルに使用する硝子が暴風に耐えられるかを証明する「耐風圧計算」が仕事の理系職だった。
私はゴリゴリの理系美女だ。
一歩間違えれば会社の利益が吹き飛ぶか、あるいは建物が物理的に吹き飛ぶかという、極限の世界を、生き抜いていた。
見積りの提出前には何日も深夜残業、数字のゲシュタルト崩壊と戦いながらCADの画面に向かい続けていた。
そのブラックな労働環境の全貌については、いつか「ブラック企業編」として血と涙のノートにまとめてじっくり書くつもりだが、まずはその過酷な戦場で、私のすり減った精神を(いろんな意味で)支えてくれた存在について語らねばならない。
それが、私の周りに生息していた、たくさんのおじさんたちである。
建築の世界というのは、驚くほどおじさんの密度が高い。そして、そこで出会ったおじさんたちは、どいつもこいつも気が狂っているとしか思えないほどクセが強く、規格外で、修正不能な性質を持っていた。
コンクリートジャングルの片隅で、私が記録し続けた愛すべき生態系。その日誌のページを、キリよく10個にまとめてみた。
1人目『怯えるおじさん』
そのおじさんは、自分自身の外見の変化、というものに毎日怯えていた。
朝出社するなり、私に後頭部を向けて「なぁ、今日髪型どう? 後ろから見てハゲてない?」と聞いてくる。私が「大丈夫です、今日もギリ」と適当にオッケーを出すとホッとするのだが、夏になると今度は「なぁ……おれ、臭い? 大丈夫?」と子犬のような目で聞いてくるのだ。
大丈夫ですよ、と答えると胸をなでおろし、大量の汗拭きシートで身体を拭く。周囲への配慮(と嫌われる恐怖)が限界突破しているおじさんの「安心安全の相談窓口」になるのが、毎日の私の大事なルーティンだった。
がっつりハゲてるし、かなり臭かった。
2人目『わんぱくおじさん』
現場への資材運搬を担当していたそのおじさんは、とにかく豪快の一言に尽きた。
ある真夏の日、現場にやってきた彼のトラックの運転席を見て、私は衝撃を受けた。上半身はパリッとした綺麗なワイシャツ。なのに、下半身は完全にトランクス一丁だったのだ。
「人間、見えないところはどうでもいいんだよ」という、身をもって示した引き算の美学を教えてくれた。
陰毛を落とすな。
3人目『メンヘラおじさん』
激務のストレスからか、感情のアップダウンが激しすぎるおじさんもいた。
「エニシたん、仕事が早い!好き!」とベタ褒めしてきた数分後、別の案件で小さなミスを見つけると「おい!何やってんだ!」と、この世の終わりみたいな顔で怒鳴ってくる。
飲みに行くと、ジュース飲みながら号泣。
最初はビビっていたが、おじさんもこのブラックな環境で心が千切れそうなだけなのだ。
褒めるのもけなすのも、全部彼の心が発する「悲鳴」のようなものだった。
更年期かな?ドンマイ!
4人目『愚痴の無限ループおじさん』
金曜日の夜、彼は生ビールを片手に、実に見事な「老害っぷり」を披露してくれる。
「いやさぁ、今の若い奴らは〜……」から始まり、気がつけば話の軸が「うちの嫁の愚痴」へと美しくスライド。ひとしきり不満をぶちまけたかと思いきや、気づけばまた「……だからさ、今の若い奴らは〜」と最初の起点へと戻っていく。完璧な永久ループの完成だった。
ザ・ワールド!!
5人目『誘い待ちおじさん』
飲み会がお開きの空気に近づくと、本当はものすごく二次会のカラオケに行きたいのに、無駄に高いプライドが邪魔をして自分からは絶対に行きたいと言えないおじさんたち。
ズボンのベルトループにつけたキーホルダーを「ジャラジャラ……ジャラジャラ……」と不自然に鳴らしながら、「……で、次はどうするの? 俺はどっちでもいいけど」と、若手の口から誘われるのをじっと待つ。早く誰か彼をカラオケという名の安全地帯へ誘導してあげてくれ、
と心の中で祈っていた。
現場の騒音よりうるさいジャラジャラ。
6人目『文通おじさん』
深夜、私がCADの画面に向かって白目を剥きかけていると、デスクの端にそっと缶ココアが置かれる。そこには手書きの付箋。『お疲れ様。大変そうだね。無理しないでね。』
丸っこい文字。直接言えばいいのに、なぜか彼は頑なに付箋での「文通」を好んだ。
殺伐としたオフィスの中に、そこだけなぜか昭和の女子高生のような甘酸っぱいアナログ通信が飛び交っていた。
私が書いたお返事の付箋は、全て大事にコレクションされていた。
桐箱のようなものに入っていた。
この上ないほど気味が悪かった。
7人目『ホワイトデーおじさん』
私がバレンタインに配ったのは、デパ地下で調達した明らかな「義理チョコ」である。コスト計算をさせたらプロのはずのおじさんたちだが、この日ばかりは「積算」の概念が完全に崩壊する。
「いや、いつも仕事頑張ってくれてるからさ!」と、顔を真っ赤にしながらこちらの投資額の10倍は下らない豪華なブランドスイーツ(GODIVA+α)を差し出してくる。
その不器用すぎる過剰投資が、私の心を一番優しく救ってくれていた。
おじさん大好き!現金もください!
8人目『迷子のおじさん』
謎の義務感で開催される社員旅行。
あるおじさんがソワソワしながらやってきた。
「あのさ……旅行の自由行動さ、最終日まで一緒に周ってくれない?」
普段は上司として仏頂面をしているくせに、プライベートの空間に放り出されると急に「迷子の子犬」のようになってしまう。おじさんと一緒に観光地を歩きながら、私はなんだか妙な保護者気分を味わっていた。
パパ活のお手当て、あるよね?
9人目『記念日おじさん』
自分の誕生日すら激務で忘れそうになるこの職場で、なぜか私の誕生日や入社日、あらゆる記念日を完璧に記憶しているおじさんがいた。当日になると、すれ違いざまに「お、誕生日おめでとう。これ」と、お菓子なんかを押し付けてくる。
納期と数字のデッドラインしか書かれていないあの殺風景な事務所のカレンダーの中で、彼の頭の中にだけは、私のための優しい記念日のスタンプが押されていたのだ。
きっと生理予定日も知っている。
最後の贈り物
そして、私がこのブラック企業を退職することになった、最後の送別会。
参加したいおじさんが多すぎて、3回に分けて送別会を開いてくれた。
人生で一番、沢山のプレゼントを貰った。
一人の物静かなおじさんが、少し照れくさそうに大きな箱をくれた。開けてみると、そこに入っていたのは、私には到底手の届かないような、やたらと高級なヘアアイロンだった。
「これから新しい道に行くんだからさ、どんどん綺麗になって、がんばりなよ!」
おじさんが、若い女の子向けの美容家電をどんな思いで調べて、どんな顔をしてお店のレジに持って行ってくれたのか。それを想像しただけで、私の胸はあたたかいものでいっぱいになった。
彼らはいつだって、私への労いの「積算」を大きく見積もりすぎてくれるのだ。
いま振り返れば、彼らはなぜか、黙々とPCに向かう私に、よく話しかけてくれた。
髪の量を気にしに、ココアの付箋を貼りに、情緒の波をぶつけに、自分のニオイの確認をしに、そして、私にほんの少しの「癒やし」を求めて。
10人目『おじさんみたいなおばさん』
……そう、この日誌の最後を飾る10人目。
この職場で一番タフに、おじさんたちと肩を並べてしぶとく生息していた「おじさんみたいなおばさん」の正体は、他でもない、毎日泥をすするように図面を読んでいた「私」自身である。
過酷な日々の中、おじさんたちに「大丈夫、まだハゲてないですよ」「臭くないですよ」と付き合い、時に一緒に愚痴り、いつしかマインドまで完全におじさん化して現場を回していたのは、この私なのだ。
息をするように男を騙すメスゴリラ。
まとめ
毎日が地獄のように忙しかった。
けれど、ギリギリのところで現実の世界に繋ぎ止めてくれていたのは、この愛すべきおじさんたちの「どうしようもない人間味」だった。
今日もどこかのオフィスや現場で、髪の毛の耐久度を気にし、トランクス一丁でハンドルを握り、事務員へのプレゼントを選びながら誰かを喜ばせているおじさんたち。
彼らこそが、このギスギスした社会を物理的に支えている一番タフな柱なのかもしれない。
そんな彼らに心からの敬意を込めて、今日の日誌を閉じたいと思う。
