読書会の意義について
きのう地元のカフェに行ったときに、チラシをみかけ読書会に行ってみることにした。今日の昼過ぎからの予定だ。この読書会や、東京の自由丁のような、つながりのない個々人が本という自分の好きなものでつながれる場所、空間がやけに魅惑的なのである。素敵なのだ。これはなぜなのだろうか。それを考えたうえで今日の読書会に参加し、今から作り上げる仮説が正しいのか否か確かめてこようと思う。
安心感を感じること。それが魅力なのではないだろうか。趣味という常に変化している、最も個人的な枠組みの中で人とつながれる。居住地域であったり、学校であったり、物理的な囲いではなく、非常に柔らかい囲い。その中に入ることもできるし、入らないこともできる。だけどずっとそこにある。私に居場所を与えてくれる。これが安心感の所以なのではないだろうか。読書というものは一人ですることである。つまり孤独なのである。しかし同じく孤独に読書をしている人がいる。そこに人は自分の存在が認められているような感覚を抱くのではないだろうか。そこに安心感がある。この感覚的なものを経験的に認めることができることとして、読書会また自由丁のような空間に魅力を感じるのではないだろうか。
単純な人と人のつながりではないのだと思う。自由丁の本棚に読書会と同じ魅力を感じる。もはや本棚のほうが魅力的である気もする。この理由も上記の仮説から考えることができる。読書会というのは、非物質的なもので瞬間的なものである。それに対しで本棚は物質的で常にそこにある。時間も超える。物体としてあり続けることそれが私たちに安心感を与える。
