【短編小説】20代OL浜村さんの観察日記:「パターショット理論」で接待ゴルフに対応する2人
「半澤部長、本当にお疲れ様でした! 調達部長から今朝一番で、正式な新規案件のメールが届きましたよ。完全勝利ですね!」
月曜日の朝。始業直後の開発部のオフィスに、森下さんの弾んだ声が響きました。
デスクでコーヒーを飲む半澤部長が、いつものように老眼鏡を少しずらして、嬉しそうに、でも少し照れくさそうに微笑んでいます。
「……よかった。本当によかった……!」
隣の席でその様子を見ながら、私は胸がいっぱいになり、心の中で激しく拍手を送っていました。
今回の新規案件、実は英語での高度な仕様交渉が必要になるため、以前から「もし獲得できたら、浜村さんに海外顧客のメイン担当を任せるよ」と部長が約束してくれていたのです。ずっと憧れていた海外とのビジネス。その扉が、今、部長たちの手によって本当に開かれたんだ――。嬉しさと興奮で、キーボードを叩く指先が少し震えるほどでした。
この一ヶ月、私が見てきたのは、単なる「ゴルフの練習」ではありません。
それは、五十代の部長がプライドを捨て、理屈っぽい後輩の軍門に下り、共に「ゴルフという名の不条理なシステム」をハックし続けた、熱いプロジェクトの記録。
何より、いつもは冷静沈着な部長が、泥臭く、全力で何かに立ち向かう姿から、私は一瞬たりとも目が離せなくなっていたのです。
始まりは一ヶ月前。半澤部長のデスクに、森下さんが一枚のコンペ案内を置いたあの日でした。
「私はゴルフをやらない。やったことがない」
そう断言していた部長の顔は、まさにデッドロック(詰み)状態。でも、森下さんの「次の商談はグリーン上で、というのが暗黙のルールです」という非情なロジックに、部長はついに折れました。
そこからの二人の会話は、普通の「ゴルフ指導」とはかけ離れていました。
「スイングという多体系力学は破棄する」
「すべてのクラブをパターの延長線上として運用する」
「体幹を剛体化し、等速振り子運動に徹する」
オフィスで繰り広げられるその秘密会議は、まるで新製品の開発会議。二人の先輩が真剣にディスカッションする姿は、不謹慎ながら最高にかっこよくて、私は毎日こっそり見惚れていました。
「部長、ウェア選びなら手伝いますよ!」
私がそう声をかけた時、部長は本当に救われたような顔をして、私を真っ直ぐ見て「ありがとう、浜村さん」と言ってくれました。その優しい声に、心臓がトクンと跳ねたのは秘密です。
でも、森下さんが「性能ではなく『見栄』のスペックを満たすため、一流メーカーの型落ち品を調達します」と、中古ショップへ部長を連行していくのを見て、「ああ、この二人の『デバッグ』はもう誰にも止められないんだわ」と微笑ましく悟ったのです。
中間テストとして企画された、部内パターゴルフ大会。
私はそこで、部長の「変身」を目の当たりにしました。
「頭も目線も動かさない。私は正確な一自由度の振り子だ……」
そう呟きながらパターを構える部長の姿は、失礼ながら、まるで精巧なロボットのよう。でも、その打ち出されたボールは、吸い込まれるように次々とカップへ消えていくんです。
「浜村さん、ラインを踏んでいます! 不可侵条約ですよ!」
森下さんの厳しい指導に、私も思わず背筋が伸びました。でも、部長が「ナイスバーディ!」と、真っ直ぐに私に向かってハイタッチを求めてくれた時。差し出された大きな手に自分の手を重ねた瞬間、オフィスでは見られない少年のような笑顔が間近に迫って、なんだか急に顔が熱くなってしまいました。この人のこういうギャップに、私はずっと惹かれているのかもしれません。
本番が近づくにつれ、二人の熱量は増していきました。
「昨夜は73回目で外してゼロからやり直したよ」と、クマを作りながらも満足そうに語る部長。自宅での「パターマット100回連続カップイン」というノルマは、その体にはあまりに過酷な耐久テストに思えて、「部長、あまり無理しないでくださいね……」と本気で心配になりました。でも、部長はそれを「納期前の追い込み」のように楽しんでいて、その飽くなき探究心とタフさに、改めて尊敬の念が深まりました。
そして、本番直前のナイター特訓。
「今日は技術ではなく、カートマネジメントを叩き込みます」
そう宣言して部長を連れ出した森下さんの目は、本気でした。接待ゴルフの本質はスコアではなく、相手をいかに気持ちよくプレーさせるか。そのために自分のボールを「カート道から一番近いフェアウェイ」に正確に刻むという戦略。
「物理的な移動コストを最小化するわけか。了解した」
そう応じる部長。……もう、ゴルフの話をしているのか、物流の効率化の話をしているのか分かりません。でも、二人の間には、上司と部下を超えた、技術者同士の深い信頼関係が築かれていってました。お互いをリスペクトし合う二人の関係が、少し羨ましくもありました。
昨日のコンペ当日。
私は受付係として、朝早くから名門コースのハウスに立ちました。
「浜村さん、システムはオールグリーン。エラーの発生する余地はないよ」
そう言って現れた部長ゴルフウェア姿は、一ヶ月前とは別人のように堂々としていて、思わず見惚れて息をのんでしまいました。心の中で「世界一カッコいいです」と呟いたのは、誰にも言えない秘密です。
森下さんの「人生で初めてパターを握って1ヶ月経っていません!」という機転の利いたアナウンス。和やかな笑い。
部長が放った計算通りのコントロール・ドロー。
池ポチャさえも「前進3打」のワープ仕様として逆利用し、笑顔で「安いボールなので探さなくて良いです!」と損切りを宣言する姿は、まさに完璧なリスクマネージャー。大人の余裕と知性が溢れていて、胸のときめきが止まりませんでした。
結果はスコア115。そして、クライアントからの絶大なる信頼と、念願の新規案件の獲得。
「グリーン上の商談」は、これ以上ない大成功で幕を閉じました。
「森下君。今回、ゴルフをやって一番良かったことは何だと思う?」
今、私の目の前で、部長が優しく森下さんに問いかけています。
「スコアですか? それとも契約ですか?」
「いや……。君や浜村さん、そしてクライアントの方々と、こうして心の底から仲良くなれたことじゃないかな」
不意に私の名前呼ばれて、心臓が大きく跳ねました。それと同時に、なんだか鼻の奥がツンと熱くなりました。
部長がこの一ヶ月でハックしたのは、ゴルフの物理法則だけではありません。
年齢や役職という「壁」を、緑の芝生の上で鮮やかに取り払い、人と人とを温かく繋ぐ「最強のインターフェース」を構築したのです。こんなに素敵な人の下で働ける幸せを、しみじみとかみしめていました。
「さて、森下君。仕事に戻ろうか。更なる進化に向けて追い込まなくてはならないからね」
「了解です! 次のラウンドで100切りするプラン、もう組んでありますから!」
不敵に笑う二人の頼もしい背中。
明日からまた、私の隣のデスクでは「腰から腰のビジネスゾーン」だの「サンドウェッジのエクスプロージョン」だのといった、奇妙で熱い会話が響き渡るのでしょう。
「……よし! 私もOSを最新版にアップデートしなきゃ!」
念願の海外顧客対応という大きなチャンスをもらえたんだから、私も負けていられません。英語の資料を準備して、それから――。
二人の歩く大人の世界に、私も少しだけ近づきたくて。
「ねえ森下さん、私にもゴルフ、イチから教えてください!」
お昼休みにそう声をかける準備をしながら、私はウキウキした気持ちで、新しいゴルフウェアのサイトを検索し、キーボードを叩き始めました。
完
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