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第3話「パターゴルフもビジネスゴルフ」|パターショットでビジネスゴルフ


■第3話のあらすじ
パターマット特訓を合格した50歳のサラリーマン半澤。週末、部下の森下に連れられて訪れたのは、本物のコースではなく「パターゴルフ場」だった。そこには森下の計らいで、若手女子社員の浜村をはじめとする部下たちが集まっていた。
自信満々にストロークした半澤だが、天然芝の「傾斜」に翻弄される。動揺する半澤に、森下は「傾斜の転がりは物理学の計算」と助言。エンジニアの血が騒いだ半澤は、微積分とベクトル解析の思考で傾斜をハックしていく。同時に、打つ順番やマーク、ラインを踏まないマナー、そして「OK」という大人の交渉術を学び、次なる「アイアンのパター化」という狂気のフェーズへ足を踏み入れる。

「部長、ようこそ。ここが我々の第一次・実戦テスト環境です」
土曜日の朝、澄み切った秋晴れの下。森下に案内されたのは、市郊外にある自然豊かなパターゴルフ場だった。目の前には、美しく整備された天然芝のグリーンが広がっている。
驚いたことに、そこにはうちの部の若手やベテラン総勢10名以上が、すでにポロシャツ姿で集まっていた。
「あ、半澤部長! おはようございます!」
元気よく手を振ってきたのは、入社3年目の浜村だった。いつも職場で一歩引いている彼女が、今日はキャップを被って妙に楽しそうだ。
「森下先輩から『週末、部長の壮行会を兼ねた青空レクリエーションをやります』って誘われたんですよ。部長、一緒に回りましょう!」
森下の仕込みか。本物のコースに出る前に、ルールやマナー、そして職場のコミュニケーションをここで一気に回収しようという腹づもりらしい。本当に気の利く部下だ。
「みんな、休みなのに集まってくれてありがとう。今日は無礼講だ。日頃のデスクワークの運動不足を解消しよう」
私は努めて冷静に大人の微笑みを返したが、胸の内では自宅での100回連続カップインの成果を早く試したくてウズウズしていた。
「じゃあ部長、1番ホール、最初(オナー)をどうぞ。前のホールで成績が一番良かった人が最初に打つのがゴルフの基本ですが、スタートホールはジャンケンかくじ引きです。今日は部長が主役ですから、先陣を切ってください」
森下がパターを差し出す。約5メートル。平坦に見えるが、わずかに右に傾いているようだ。
私の仕組みは完璧だ。頭を固定し、手首をロックし、等速で振る。ただそれだけだ。
コツン。
完璧な等速の往復運動。ボールは狙い通りの直線へと滑り出した。
(もらった……!)
そう確信した次の瞬間だった。ボールはカップの手前2メートル付近から、まるで磁石に引き寄せられるように、するすると右側へ曲がり始めた。そのままカップの横を素通りし、2メートルも右に外れて止まった。
「あ、惜しい! ちょっと右に流れちゃいましたね。でもタッチはぴったりです!」
浜村がフォローしてくれるが、私の脳内はパニックを起こしていた。なぜだ? 私は完璧に真っ直ぐ打った。ストロークのエラー値はゼロだったはずだ。
「部長、顔が青いですよ」
すかさず森下が耳元で囁いた。
「自宅のパターマットは二次元の直線世界ですが、ここは三次元の現実世界です。芝の生え方、そして何より『傾斜』という環境の変動要素が存在します。どんなに真っ直ぐ打っても、地球に重力がある限り、傾いた面ではボールは曲がります」
「……傾斜」
私は愕然とした。やはりゴルフは、あの陸上選手のような体幹や、プロのような繊細な手感覚の持ち主にしかコントロールできない領域なのか――。一瞬、50歳の挫折感が頭をよぎった。
だが、転がっていったボールの軌跡を脳内でリプレイした瞬間、私のエンジニアとしての思考回路が猛然と動き始めた。
(いや、待てよ……?)
曲がったということは、そこに明確な「外力」が働いたということだ。ボールの質量は一定。芝の摩擦もほぼ均一。そこに加わるのは、傾斜角による重力の成分。……ということは、これはただの『傾斜面における物体の転がり運動』ではないか!
「森下くん、この傾斜、1メートル進むごとに何センチ下がっている?」
「見たところ、1メートルに対して約1.5センチの下がり……つまり、穏やかな右曲がりのラインですね」
「なるほど、1度未満の傾斜か。ならば修正はシンプルだ」
運動神経が抜群の人間は、これを「感性」で合わせるのだろう。しかし、私にはそんな天才的なセンスはない。だが、その代わり、データと数式を理屈で理解する頭脳がある。
傾斜によって右に30センチ曲がるのなら、最初からカップの左30センチの地点を『仮想のカップ(目標点)』に設定し、そこに向かって「自宅のマット通りに真っ直ぐ」打てばいいだけだ。環境の変動要素を、狙いを定める段階で相殺(キャンセル)する。
「これは……運動神経より、我々理系サラリーマンの方が圧倒的に対策を立てやすいな」
「気づきましたね、半澤部長。グリーン上は、物理の実験室です。さあ、次は他の人の番ですが、ゴルフは『カップから一番遠い人』から順に打ちます。今は浜村さんが一番遠いですね」
浜村が自分のボールの後ろにそっと小さなコイン型のマーカーを置いた。
「部長、ボールが他の人の邪魔になるときは、こうしてマークしてボールを拾うんです。あと、絶対にやっちゃいけないのが、他人のライン(ボールからカップまでの軌道)を踏むこと。これ、ゴルフ界では最大のマナー違反ですからね」
「なるほど、他人の導線を踏みにじるのは、ビジネスでも御法度だからな。よくわかる」
私の言葉に、浜村が「ふふっ、確かに!」と嬉しそうに笑った。
その後は、みんなでワイワイと言い合いながらのラウンドになった。運動自慢の若手が力んで大オーバーしたり、ベテラン社員が「芝が読めん!」と頭を抱えたりする中、私は自分の順番が来るたびに、脳内で仮想カップを計算した。
上り坂なら「出力を1.5倍に上方修正」、下り坂なら「出力を0.7倍に調整」。傾斜を矢印のベクトルとして視覚化し、あとはロボットのように等速で振る。
劇的に上手いわけではない。劇的なロングパットが決まるわけでもない。ただ、私のボールだけは、まるで意志を持っているかのように、トボトボと、しかし確実にカップの1メートル以内に寄り続けた。
「部長、また2打で入った! 堅実すぎる!」
「全然ブレないですね。何か定規でも入ってるんですか?」
若手たちが驚き、ベテランたちが「半澤、お前なかなかやるな」と感心してくれる。私は「いや、自宅のマットでこれしか練習してないからね」と頭をかきながら、みんなとハイタッチを交わした。不器用なおじさんの執念の理屈を、若いメンバーたちが面白がって、一緒になって盛り上がってくれるのが、たまらなく嬉しかった。
「あ、部長、その距離なら『OK』です!」
最終ホール、カップまで残り30センチのところで森下が声をかけた。
「OK? まだ入れていないが」
「ビジネスゴルフの暗黙の了解です。カップに十分近い場合、次の1打で確実に入るものとして、打たずにスコアに1打足して終わりにしていいんです。進行を早くするための、大人の気遣いですね」
「なるほど。100%合意が取れている承認プロセスを、わざわざ会議にかける必要はない、という割り切りか。気に入った」
気がつけば、私は大崩れすることなく、全員の平均より少し良いスコアで、笑顔に包まれながら全18ホールを終えていた。
「いやぁ、半澤部長のゴルフ、無駄がなくて本当にスマートでした!」
お昼時、クラブハウスのテラスでジンギスカンを突きながら、浜村が目を輝かせて言う。
「私、ゴルフって泥臭いおじさんの趣味だと思ってましたけど、部長のを見てたら、なんだか理科の実験みたいで楽しそう。今度、またみんなでパターゴルフやりましょう!」
50歳にして、職場の若い世代とこれほど自然に盛り上がれる瞬間が来るとは。自虐交じりの日常に、小さな光が差し込んだ気がした。
浜村が飲み物を買いに席を外した瞬間、森下が冷えたウーロン茶を私のグラスに注いだ。
「お見事でした、半澤部長。普段あまり話さない若手とも完全に打ち解けられましたね。これで第一段階(パターの完全制御)の検証は完了です。ですが部長……本番のコースでは、いくらなんでもパターだけ打っていたら、後ろの組から文句が出ます」
「……やはり、そうか。距離が違いすぎるな」
「ええ。ですから、いよいよ明日から第二段階へ移行します」
森下はフッと意味深な笑みを浮かべ、足元のバッグから一本の細長い鉄の棒を取り出した。先端に無骨な鉄の塊がついたクラブ――アイアンだ。
「安心してください。部長には、激しいスイングの『ス』の字も教えません。我々がやるのは――【7番アイアンのパター化】です。この鉄の棒を、パターと全く同じ等速振り子運動で振って、ボールを50ヤード先へワープさせます」
「いよいよ、すべてのクラブをパターとして運用するんだな」
パターゴルフをみんなで楽しんだ高揚感が、次なる未知の領域への圧倒的なワクワク感へと変わっていく。私の50歳からの無謀な挑戦は、いよいよ加速を始めていた。

(第4話へ続く)

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