境界/刑事本庄(1話)-刑事・本庄克己-
刑事・本庄克己
雑居ビルが並ぶ繁華街の一角のパチンコ屋。
店内にジャラジャラとけたたましい音が鳴り響く中、煙草を咥えた壮年の男が、並ぶパチンコ台の一つに向かっていた。
くたびれた深い苔色のトレンチコートに太い黒縁の眼鏡。
本庄克己。警視庁捜査一課の刑事だ。
その足元にはドル箱が積み上がっている──が、彼の目当ては別にある。台を流れる銀の玉の音を聞きながら、本庄はその視線を隣の台に座る男へと向けた。
柄の悪い金髪のチンピラ。最近この辺り──常磐境町を騒がせている半グレの一人だ。
観察を始めて今で一時間半を過ぎた頃だろうか。男の足元に数段積み上がっていた残弾の箱は減っていくばかりだ。その顔には明らかな苛立ちが見え、時折舌打ちも聞こえる。
「ああクソッ! 金返せよオラァ!」
ついに最後の箱を空にした男は、乱暴に台を叩き始めた。いや、殴るといったほうが正確か。
「お客さん、ちょっと!」──慌てた店員が止めに入ると更に逆上し、男は再び拳を振り上げる。今度は店員に向かって。
だが、それが振り下ろされるより先──席を立った本庄が、その手首をがっちりと掴んだ。
「おい兄ちゃん。そこまでにしとけ」
「ああ? 何だおっさん!?」
男は激高し、空いた手で殴りかかってくる──が、本庄はそれを軽くいなすと、男の手首を捻り上げた。
「い゛ッ、でぇ……!!」
「おーおー。傷害未遂に公務執行妨害かあ?」
本庄は男を揶揄しながら手錠を掛け、取り出した警察手帳を呆然とする店員に示した。
そこでやっと状況が飲み込めたらしい男の顔が、見る見る引き攣っていく。
「な、なんだよ……俺は何もやってねぇぞ!」
「あん? 現行犯なんだよアホ。罪状、もう一回言ってやろうか?」
本庄が見据えると、男は臆したように目を右往左往させた挙句に黙ってしまった。
本庄としては呆れて眉を顰めただけの心算なのだが、彼はお世辞にも人相がいいとは言えない。男からすれば、その強面に間近で凄まれたと感じるのも無理はなかった。
「おら、行くぞ。さっさと立て」
本庄は短くなった煙草を台の灰皿に押し付け、大人しくなった男の腕を引きながら店を出た。
向かう先は、隣の建物との境──狭く暗い路地裏。
「お、おい……警察行くんじゃねぇのかよ?」
「連行したとこで金で片づけられて終わりだろうが」
そう答えながら男を壁に押しつけると、本庄は男のポケットを探った。
カサリと指に当たったそれはPTP包装の束。雑に輪ゴムで纏められたそれらの中身は青味がかった錠剤だ。
「こいつは何だ?」
「……腹の薬だよ」
「へえ。最近じゃ薬も公園で処方されるらしいな?」
本庄はスマホを男の眼前に突きつける。画面をタップすれば動画の再生が始まった。
それは数時間前の映像だ。
粗い画質ながら、男がフードの人物から“薬”を受け取った証拠としては十分なものだった。男の顔、受け取る瞬間、“薬”の特徴の一致──言い訳の余地はない。
「これ、最近この辺に出回ってるドラッグだよな。お前のグループがばら撒いてる。このフードの奴から何度か受け取ってるはずだ。誰だ? 名前は? 顔は?」
「し、知らねえよ!」
「ああ? 知らねえで済むわけねえだろ。動画に映ってんのがお前だってこたァ証明できんだぜ。分析に投げりゃ確実だろうな」
「それは……」
「これがありゃ、バックの奴らもお前を切るだろうよ。終わりだなァ、お前の人生」
半グレなんてやってる時点で碌な人生じゃないが、と思う本庄だったが、こういう馬鹿は非行を崇高な何かだと勘違いしているものだ。
「くっ……」
男は観念したように項垂れた。
「お、俺はマジで何も知らねえ……そいつからヤクを受け取って、欲しいって奴らに売るだけだ!」
「フードの奴だな。名前を教えろ。顔の特徴もな」
「名前は聞いてねぇ。顔もよく見てねぇ……けど女だ。真っ赤な口紅で、唇の下にホクロがあった」
「どこで知り合った?」
「飲み屋でさ、儲け話があるって紹介されたんだよ」
「誰に」
「誰って、そりゃあ──……」
急に言い淀む男。話すのを躊躇っているというより、それは──。
「……分かんねぇ……顔が、出てこねぇ……。……誰なんだ、あいつ……?」
本庄は途切れ途切れのそれをただ聞いていたが、やがて男が黙ると口を開いた。
「『分かんねぇ』じゃ、分かんねぇな。何でもいい、言ってみろ」
「いや、マジで変なんだって……思い出そうとすると、なんか、こう、黒い何かでぐちゃぐちゃに──……」
(記憶の上からインクをぶちまけたみてぇに、か────“フェイド”の特徴だ)
本庄は手にしたクスリを睨みつけた。
ぼんやりと光を反射する灰と薄青の層の重なりから成る錠剤。それはまるで記憶の層を模しているようにも見える。
その正体は、記憶を塗り潰す禁忌のドラッグ──フェイド。
まさか売人自身がフェイドの被害者だとは。だが収穫はあった。
証拠品をビニールに包みポケットに仕舞う。これを鑑識に回せば何か分かるかもしれない。
「まずまず、ってとこか。──さて、署までご同行願うぜ」
「はぁっ!? 全部話しただろ! 解放してくれるんじゃないのかよ!」
「誰がンなこと言った?」
にやりと笑った本庄は、暴れようとする男を抑えつけつつ、片手のスマホで応援要請を入れる。
到着までは十数分。
スマホをポケットに戻しながら、本庄は思い出したように零した。
「……クソ。パチンコ、勝ってたのによ」
