エロを小さじ1 《第四話》
《第四話》カップル誕生の瞬間「なにがセクシーなじゃがいもよ!」
春香は、ぶつぶつ言いながらA駅へと向かっていた。
あの液体を振りかけるだけで恋人が出来るなら、世界中の独身男女が買うでしょ。
そう思いながら、エロティックの素を吹きつけられた自分の髪や胸元の匂いをかいだ。
何の匂いもしない。匂いすらしない。
冬美に教えられた『モテる女になる! セクシーへの最短距離』という講習会に申し込んだとき、駐車場はありませんので公共の交通機関をご利用下さいと連絡があり、地方都市の隅っこに建つマンションの一室に行くために、久しぶりに電車を利用した。
講習会に参加した女たちは全員、春香と同様に電車を利用したようで、講習会終了後、ぞろぞろとマンションから駅へと歩いている。見た目だけで推測すると、二十代から四十代、学生も社会人もいそうだ。
そのさまざまな女たちが揃いも揃って、特別価格で一万円というエロティックの素を購入した。
春香は、どこかで成分分析をしてもらえるかもしれないと考えて、証拠品として購入した。
参加者の中には、サクラも紛れ込んでいたのかもしれない。セクシーになったというじゃがいもに目を細めて感嘆の声をあげたり、エロティックの素を購入するふりをしてカモの購買意欲を掻き立てたり、そんなサクラがいたとしても不思議ではないな、と春香は歩きながら考えた。
右隣にいた眼鏡の女、前にいた赤いセーターの女、左隣にいた口元にホクロのある女、後にいた金髪の女などなど、参加者十人の特徴を春香は頭に叩き込んでいた。
駅で改札を通るときも辺りを見回して、参加者たちが同じ電車に乗るのを確認した。
地方都市の片隅のA駅は寂れていて、ここが始発の駅となるのに人影も少ない。この駅から一本の電車に乗り、参加者たちはそれぞれの自宅の最寄り駅で降りるだろう。
それまでの間、春香は参加者たちを監視するつもりだ。
妹の冬美は、講習会の帰り道、この電車の中でヒロシくんに声をかけられたと言った。冬美の周りにいた他の参加者たちも、次々に声をかけられていた、と冬美は言った。
「だからね、お姉ちゃん、エロティックの素の効果は本物なの。本物の魔法の液体なの」
冬美は力強くそう言った。
春香は、はなからエロティックの素の効果などないと決めつけている。
世の中には、男性が好む匂い、香水などはあるだろう。でも、その液体が自身の性的魅力を高めるなんて話は信じられないし、ましてや魔法なんてものがこの世にあるとは思えない。
冬美やその他の参加者たちが、講習会のあったその日に男性に声をかけられたのは偶然、もしくは、あの講習会の主催者たちが男たちを金で雇っていた、と春香は考えている。
そう、男たちは電車の中にいる女に声をかけて、あの液体の効果は本物だと思わせる、そんな役割を担っているのではないだろうか?
その場合、ヒロシくんも、詐欺集団の一味だということになる。キミはセクシーだと何度も冬美にささやいて、何度も何度も一瓶二万円のあの液体を買わせる、そんな悪党。
冷静に考えて、いや、普通の大人だったら、そんな詐欺行為を頭に浮かべるだろう。
魔法なんてこの世に存在しないと思っている大人だったら、偶然なんて簡単に起きるものではないと考える大人だったら、電車の中で参加者の女たちに声をかけた男たちは、詐欺グループの一味だと言うだろう。
でも、妹の冬美は違った。ヒロシくんに恋してしまった。エロティックの素の効果を信じて、それを大量に買っている。
妹が騙されてお金を払わされているのだったら許せない。恋心を利用されてカモにされているのなら、絶対に許すことはできない。
春香は、講習会の参加者を見張るために、三両編成の電車の中をゆっくりと歩いた。
とりあえずは、今回も男性に声をかけられる参加者がいるかどうかをまず確認して、その後に対策を考えようと思っていた。
今回は、誰も声をかけられない、かもしれない。あの日だけの偶然、かもしれないから。
講習会の参加者たちは、お互い友達でも知り合いでもなかったようだ。講習会の最中もその後も、声を掛け合って仲良くなろうとする人もいなかった。
容姿は違えど、醸し出される雰囲気はどこか妹の冬美と同じで、視線の先の位置が低い。冬美と同様、人や言葉や物をすぐに信用してしまう人たち。繊細で純粋なこころが、この電車に乗っている。
電車は田舎街の海沿いを走る。
三両編成の車内。乗客も少ない。
一番後ろの車両の真ん中あたりで春香は座り、壁の広告や、のどかな海の表面で踊る光を見るふりをしながら、車両内の参加者を見張った。
同じ車両には、二人の参加者がいた。二人とも座席に座りスマートフォンを触っている。
電車は、最初のB駅に停まった。降りる人よりも乗車してくる人の数が多い。サラリーマン風の男性が多いのは、夕方という時間帯だからだろうかと思いながら人々を観察していると、ひとりの男に目が止まった。
パーカーを着た二十代の男が乗り込んできて、車両の中をキョロキョロと見回したのだ。これは沢山の人がする動作だ。空いてる席のどこに座ろうか判断するための行動。
でもパーカー男は、そのあと、探しものを見つけたように目を見開いた。その一瞬の表情が、春香の視線を引きつけた。
パーカー男が見つけたものに向かっていく。そこには、講習会で春香の隣にいた眼鏡の女が座っていた。
春香は、思わず腰を浮かして、パーカー男と眼鏡の女を見つめた。
男が女に何か言った。話しかけた。ちょっと照れたような顔で真剣に何かを話している。女が口元に手を当てて笑う。そして、男は女の隣に座った。
驚いた春香は、なおも彼らを観察した。二人はポツポツと会話を始めたようだ。
パーカー男は、どう見ても女慣れしているようには見えないし、軽薄な感じもない。どこにでもいる真面目な大学生のような雰囲気だ。
眼鏡の女の顔が次第に輝き始めた。口角が上がり目尻が下がる。スローモーションで薔薇が開花する様子を見ているような、そんな気持ちに春香はなった。
カップル一組目、誕生?
急いで同じ車両内にいる別の参加者に目をやった。講習会で春香のうしろにいた金髪の女が、いつのまにか、ROCKと描かれたTシャツを着た長髪の男と話している。金髪の女が、上目遣いで小首を傾げている。
春香は素早く席を立った。揺れる車両の中を慎重に歩く。講習会に参加していた他の女たちを探した。
いた。二両目では、講習会で前に立っていた赤いセーターの女がいつの間にか男と談笑していた。サラリーマン風の男はスマートフォンを手にしている。赤いセーターの女が、バッグの中からやはりスマートフォンを取り出し、男の方に差し出した。たぶん、連絡先を教え合っているのだろう。すでに、仲の良い雰囲気が漂っている。
次の車両へと急いで歩いた。次の車両では、太った男がキョロキョロとしながら向こうから歩いてくるのが目に入った。
男が一瞬驚いたような顔をして脚を止めた。
太った男の視線の先には、講習会で春香の左隣にいた口元にホクロのある女がいた。男はおずおずとホクロの女の前に行き、声をかけている。ホクロの女は、男の全身に視線を走らせてから、仕方ないわねとでも言うような顔で、隣の席を指さした。男がホクロの女の隣に座った。女の横顔に話しかけている。
春香は、先頭車両の真ん中で突っ立ったまま、周りを見渡した。
冬美が言ったとおりだ。カップルが次々と出来上がっている。本当に、参加者の女たちは、男に声をかけられている。
どう解釈したら良いのだろう。
この男たちは、みんな金で雇われたナンパ役の詐欺師たちなのだろうか?
春香の予想では、ナンパ役の詐欺師はいかにも遊んでいそうな女慣れした男だった。今のところ、見た目だけで判断すると、声をかけている男たちは、真面目そうで自信なさげな男たちだった。イメージと違うな、と春香は思った。もちろん見た目と中身は必ずしも一致しない。
それとも偶然? いや、偶然のはずはない。冬美の時だけじゃなく、今回も参加者が次々と声をかけられるなんて、偶然のはずがない。
春香は先頭車両の壁にもたれて、立ったまま辺りを見回した。あの女も、あの女も、あの女も、講習会にいた女たちの横には、もれなく男が座っている。
車窓に怖い顔した女が映っていた。春香はガラスに映る自分の顔を凝視した。
いつもは念入りに化粧をして仕事に行くのに、今日はノーメイク、すっぴんだ。7センチヒールの靴とタイトスカートがトレードマークなのに、今日はジーンズとカットソーを着ただけだ。
それでも、エロティックの素の魔法とやらで、男が声をかけてくるのならかけてこい! と思って、わざと色気のない目立たない格好で講習会に挑んだ。
終点の駅で、参加者の女たちに声をかけてみようか? 春香は考えた。連絡先を訊いて、何と言って声をかけられたか、後日、男たちとどうなったかを訊き出そうか?
春香は、車両の壁にもたれたまま、参加者の女たちの顔を見た。
どの顔も微笑んでいる。心臓の音が春香にも聞こえてきそうなほど、ドキドキと微笑んでいる。冬美もあんなふうにヒロシくんを見つめて笑っているんだろうな、と妹の笑顔を頭に浮かべた。
そのとき、後から男の声がした。
「あの、良かったら、お茶でもご一緒させていただけませんか」
