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エロを小さじ1 《第十話》

《第十話》 そろそろ幕を引きましょうか。

「ねぇ、今日来てた島春香って子、この島冬美のお姉さんだと思うんだけど」
 小早川洋子は、夫の純也に顧客カルテを見せた。
「気になる態度だったのよね。明らかに私や参加者を馬鹿にしてるというか。うさぎ小屋に紛れ込んだ蛇みたいに目立っていたわ」
 リビングルームのソファに深く座る洋子は、赤ワインを飲みながら、純也の顔を見る。
 昼間、肉じゃがを作ったキッチンは綺麗に片付けられており、講習会でエロティックの素を参加者たちに吹きかけた黒服を着た男たちの姿も消えていた。
 ローテーブルの上にはラップトップパソコンと、二人が『顧客カルテ』と呼ぶA4の紙の束。
 純也は眉間に皺を寄せて、島春香と冬美の顧客カルテを見た。
「妹の方は、カップルになったんだな」
「ええ、そしてエロティックの素を五本買ってるわ」
 純也が別の顧客カルテを素早くめくる。
「あぁ、この姉の方の島春香は、今日、池上貴明と出会っているはずだな。まずいな」
「まずい?」
「この池上貴明、こいつも気になる男だったんだ。最初に父親が講習会に参加してエロティックの素を一本買ったんだ。そのあと、息子のこいつがやってきて……。いろいろと質問してきてね。こいつも目立ってた。猿山に虎を放り込んだようにね」
 洋子が池上親子の顧客カルテを手に取って、目を通す。
 間接照明の柔らかい光が、ソファに座る夫婦の顔を照らしていた。
「人を信じない人たちね」
「あぁ、人を見たら、まず疑う奴らだ」
 純也の肩に洋子は頭をのせて、顧客カルテをひらひらと振った。
「でもねぇ、この妹の方、島冬美は、とても良い方に変わったのよ。恋人ができて、ほっぺたの肉が上がった感じ。エロティックの素を買いにきたときは、いきいきとして可愛いかったからよく覚えてるの」
 洋子の甘えるような声に、純也が頷く。
「この父親の方、池上信男も、女性とお茶を飲みに行ったはずなんだ。バツイチ同士を僕たちが結びつけたはずだよ」
 二人で微笑み合って、赤ワインを飲んだ。
「みんな、幸せになっているのよね」
「そうだよ。僕たちのおかげでね」
 部屋に流れるジャズ。その女性ボーカルの掠れた声に耳を傾けるようして、二人はしばらく黙っていた。
 二人だけの空間。二人で築く世界は、いつもスリリングで、この赤ワインのように鼓動を速めてくれる。
「なぁ、洋子、そろそろこの田舎暮らしは止めようか」
「そうね、私も、都会の空気がまた吸いたいなぁって思っていたところよ」
 純也が手を伸ばし、洋子の頭に触れる。髪の中に指を入れて、優しく掻き回した。 

『エロティックの素を購入してくださった皆さまへ。
その後、エロティックな人生を楽しんでいらっしゃいますでしょうか?
さて、本日は残念なお知らせをしなければなりません。
私は、人々に自信を与えたいと思い活動してまいりましたが、諸般の事情により、ここでの活動を中止することとなりました。 
エロティックの素を今後ご提供することができなくなってしまうことを、お詫び申し上げます。

私には妹がおりました。
妹はとても優しくて野の花のような子だったのですが、幼いときから自分を愛せず、自信のない子でした。
そして人と人の交流が上手くいかないまま、青春時代に恋人もできないまま……。悲しいことになりました。
私は、妹と同じような方々に、少しでも明るい未来を提供できればと考えました。
恋人がいてもいなくても、人生は輝きます。楽しく生きていくことができます。
でも、二人だと同じ世界の見え方が変わる時があります。自信がつくと、同じことへの対応の仕方が変わることもあります。
そんな機会をご提供できたらと思い、エロティックの素を皆さまに広めてまいりました。

今の皆さまは、私と出会ったあの日より、沢山のことを学んでいます。輝いています。魅力的です。
もうエロティックの素がなくても大丈夫。
私が太鼓判を押します。

では、これからの皆さまの限りない幸せを祈って。また、いつか、どこかで。小早川洋子』

 この文章はLINEで、講習会に参加した女たち、エロティックの素を購入した女たちに、送信された。
 そして、『妹』が『義妹』、『小早川洋子』が『小早川純也』に書き換えられた文章が、講習会に参加した男たち、エロティックの素を購入した男たちに、送信された。

 LINEに送られてきた文章を読んだ人々の受け取り方は、それぞれ違った。
 島冬美や長谷博史は「妹さんがいたのね」と小早川夫婦に同情し、エロティックの素がなくても大丈夫という言葉を素直に受け止めた。
 島春香はすぐに池上貴明に連絡をとった。
「妹がいたなんて嘘よね」
「詐欺師の言葉だ。信じられるわけがない」
「太鼓判を押すって書いてるわ」
「お前が押すなって話しだよな」
「逃げる気かしら? 警察に連絡する?」
「そうだな」

 池上貴明の父信男は、自宅でひとり焼酎を飲みながら、LINEに送られてきた『挨拶文』を三回読んだ。
 自分が少しだけ関わった講習会、エロティックの素、主催者たちのことを考えた。
 そして、つぶやく。
「ほぉ、下手くそなミステリー小説みたいな展開になったな。タイトルは……」
 焼酎に梅干しを入れてつぶす。
「エロを小さじ1、とか」
 
 
 

 


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