現実逃避への吊り橋『20世紀エポテック少女』 🗓DAY5
🗓DAY5:現実逃避への吊り橋
— “Mutenka” は感情を運ぶが、NYでは説明が通貨になる。
「“無添加”って、どこまでの話と思う?」
ミナミ食品とforiioのLP、観測時のコメントは一見すると謙虚で温かい。
「商品理解」「生活者への届き方」「地域・背景の物語」。
どれも、デザインの役割として正しい言葉だ。
ただ、ここでひとつの“翻訳”が起きているように感じた。
「商品理解」
→ 応募者/生活者が、“無添加”という語を、疑いなく「やさしい物語」として受け取れること。
——どこまでを指すのか/どの領域の言葉なのかを、深掘りしないまま。
ブランディングは、往々にしてそうやって成立する。
けれど、「地方から一歩ずつ…」「災害や環境の変化を越え…」という語りが、
いつの間にか説明の不足や線引きの曖昧さまで包み込む“免罪符”として機能し始めると、
橋は「理解」ではなく「現実逃避」へ伸びてしまう。
特に、「高付加価値のプラントベース食材」として再ブランディングしてNY市場へ“外側”へ出るとき、
問われるのは物語の厚みだけではない。法とエビデンスに基づく明確さだ。
エポテック少女がこの5日間で記録したのは、
“無添加”という言葉が、食品表示(ルール)と創作(物語)のあいだで揺れたままテーマ化されていた——という断面である。
海を越えた瞬間、物語は「成分表」になる。
約200件(?)応募の中からの受賞作が悪いのではない。
ただ、今回選ばれたのは「物語として届く無添加」だった。
物語の設計だけでは、NYのチェックリストは通らない。
日本食品輸出企業が抱える「透明性の壁」をUIと物語で再設計したが
私は「説明として耐える無添加」を置いた。
エポテック少女は黙って笑う。——
『必要になるのは、いつも後から』
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これは抗議ではなく、観測ログです。
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#PackagingDesign
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#UIUXforFood
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