『リンク』第1章〜一生懸命が切り拓いた道〜/Episode1
1-1 30歳で社長になる
ボクは小学校1年生の頃には、
『30歳で社長になる』
と決めていた。
これは、
子供らしい夢とか、
なんとなく言っていた願望じゃない。
自分の中で、
わりと本気で決めていた。
だから、
今でもハッキリ覚えている。
⸻
ただ、
その頃のボクは、
いわゆる“社長っぽい子”では全然なかった。
むしろ、
大人しくて、
人見知りで、
甘えん坊。
どちらかというと、
前へ前へ出るタイプじゃない。
でも、
昔から少しだけ、
“みんなと同じ”が苦手だった。
周りが当たり前だと思っていることを、
「なんで?」
と思うことが多かったし、
みんなと同じ流れに乗るより、
少し違うことに興味を持つタイプだった。
⸻
うちは、
ごく普通のサラリーマン家庭だった。
だから、
小学生のボクが突然、
「30歳で社長になる。」
なんて言い出したら、
普通なら「何言ってるんだ」ってなってもおかしくない。
でも、
うちの家族は、
あんまりそういう反応をしなかった。
「また変なこと言ってるなぁ。」
くらいの空気だった。
特に兄は、
笑いながらこう言っていた。
「じゃあ、お前が社長になったら、
俺を副社長にして!」
⸻
今思えば、
あの頃からボクは、
“普通の人生”よりも、
“自分で選ぶ人生”に
憧れていたのかもしれない。
もちろん、
その頃のボクはまだ、
社長が何をする人なのかなんて、
ちゃんと分かっていなかった。
でもなぜか、
「30歳で社長になる。」
それだけは、
ずっと本気で信じていた。
1-2 夢を笑わない家族
今思えば、
うちの家族って、
“夢を笑わない人たち”だったんだと思う。
⸻
普通なら、
「社長?」
「そんな簡単なもんじゃない。」
とか、
「まずはちゃんと就職しなさい。」
とか、
そういう言葉が返ってきても
おかしくなかったと思う。
でも、
うちの家では、
そういう空気になった記憶があまりない。
もちろん、
心配はしていたはずだ。
でも、
頭ごなしに否定されたことがない。
「やりたいなら、やってみなさい。」
そんな空気が、
ずっと家の中に流れていた。
⸻
特に母は、
“褒めて育てる”
をすごく大事にしていた人だった。
あとから聞いた話だけど、
母自身は、
おばあちゃんに怒られながら育ったらしい。
だからこそ、
「自分の子供や孫は、
いっぱい褒めて育てたい。」
そう思っていたみたいだ。
⸻
たしかに、
ボクは子供の頃から、
否定されるより、
「やってみなさい。」
と言われることの方が多かった。
もちろん、
悪いことをしたら怒られる。
でも、
“やりたいこと”を止められた記憶があまりない。
⸻
スキーを始めた時も。
就職しないと言った時も。
キッチンカーを始める時も。
両親はいつも、
心配しながら、
でも最後には信じてくれていた。
⸻
「心配はするけど、
あんたのやることは信用してる。」
その言葉を、
ボクは人生の中で何度ももらった。
⸻
今思う。
人って、
“信じてもらえた記憶”があるから、
挑戦できるのかもしれない。
失敗するかもしれない。
笑われるかもしれない。
それでも前へ進めるのは、
どこかで、
「大丈夫。」
って信じてくれる人がいるからなんだと思う。
⸻
そしてたぶん、
ボクはずっと、
家族に守られながら生きてきた。
1-3 自由に生きる人への憧れ
子供の頃のボクは、
“自由に生きている大人”に憧れていた。
⸻
もちろん、
その頃はまだ、
自由の意味なんてちゃんと分かっていない。
でも、
なんとなく思っていた。
好きなことをして、
楽しそうに生きている大人って、
カッコいいな。
と。
⸻
当時のボクにとって、
“社長”という言葉は、
お金持ちという意味じゃなかった。
自分で人生を選んでいる人。
好きなことを仕事にしている人。
誰かに決められた人生じゃなく、
自分で決めた人生を歩いている人。
そんなイメージだった。
だからボクは、
小さい頃からずっと、
どこかで思っていた。
「好きなことをして生きていきたい。」
と。
⸻
ただ、
ボクは別に、
勉強が嫌いだったわけじゃない。
高校も、
進学特進クラスだった。
でも、
いわゆる“安定した人生”には、
あまり興味を持てなかった。
みんなと同じ道を進むことに、
どこか違和感があった。
⸻
もちろん、
その頃はまだ、
何を仕事にしたいのかなんて分からない。
どんな人生になるのかも、
全然想像できていなかった。
でも、
ひとつだけハッキリしていた。
それは、
「自分で選んだ人生を生きたい。」
という気持ちだった。
⸻
今思えば、
あの頃のボクは、
“自由”に憧れていたというより、
“自分らしく生きること”に
憧れていたのかもしれない。
そしてその想いは、
この先の人生で、
何度もボクを動かしていくことになる。
1-4 バスケばかりの日々
高校時代のボクは、
とにかくバスケばかりしていた。
バスケ未経験のお腹の出た顧問の先生と、
バスケ大好きなヤンチャな問題児だらけ、
なのにそこそこ強くてメチャクチャ楽しい、
そんな最高のチームのキャプテンだった。
朝練をして、
授業を受けて、
昼休みも体育館へ走って行ってバスケ、
放課後は部活。
帰ってからも、
自主練をしたり、
試合のことを考えたりしていた。
昼休みをフルに使う為に、
4時間目には教科書を机に立てて、
早弁をしていたくらい。
生活の中心には、
いつもバスケがあった。
⸻
高校は進学特進クラスだった。
まわりは、
勉強を頑張って、
有名大学を目指している人も多かった。
でも、
ボクの頭の中は、
だいたいバスケだった。
担任の先生にも
「お前はバスケだけやっとればええわ。」
なんて言われるくらいだった。
補習も、
あまり出なくていいような空気だったと思う。
今考えると、
かなり自由な高校生活だった。
⸻
もちろん、
試合で勝てば嬉しいし、
負ければ悔しい。
でも、
あの頃のボクは、
結果以上に、
“夢中になっている時間”そのものが好きだった。
仲間と笑って、
本気でぶつかって、
汗だくになって。
ただひたすら、
目の前のことに集中する。
そんな毎日だった。
⸻
大会や練習試合の日になると、
父と母は、
いつも体育館へ来ていた。
父はビデオカメラを回して、
母はお弁当を持って、
当たり前みたいに応援してくれていた。
でも当時のボクは、
そんなことを深く考えたことなんてなかった。
だって、
それが“当たり前”だったから。
⸻
「一生懸命やってれば、
応援してくれる人が現れるよ。」
母はよく、
そんなことを言っていた。
でも高校生のボクは、
その言葉をちゃんと理解していなかった。
「まぁ、うちの親はそういう人だから。」
そのくらいにしか思っていなかった。
⸻
でも今なら分かる。
誰かが、
自分のために時間を使ってくれるって、
本当はすごいことなんだ。
遠くまで応援に来ることも。
お弁当を作ることも。
静かに見守ることも。
全部、
“愛”がなければできない。
⸻
そしてたぶん、
ボクはあの頃からずっと、
“一生懸命な人ってカッコいい”
と思っていた。
上手いとか、
有名とかじゃなく。
夢中になって、
全力で何かに向き合っている人が、
なんだかすごく輝いて見えた。
その感覚は、
大人になった今でも、
ずっと変わっていない。
🌿この作品は、実体験をベースにしたフィクションです。実際の経験をもとにしながら、一部構成・演出を加えています。
「これ実話?」と思った部分があれば、コメントで聞いてください。お答えできる範囲でお話します。
『リンク』第1章マガジンは
作品トップページから↓
