もう何も怖くない! はじめての胃カメラ体験から、メメントモリ(死を想え)の技術を手に入れた話。
うわさには聞いていた。
ぱっと意識が消えて、記憶がすべて飛んでるからすごく変な感じがすると。
胃カメラ、麻酔付きの胃カメラの話。
先に体験した友人は「あれ、大丈夫なんやろうか」と語り、わたしは「大丈夫なんやろうか、の大丈夫は何なの?」と思ったけれど、わたしの感想も「あれ、大丈夫なんやろうか」だった。
◇ ◇ ◇
胃カメラ自体が初めてだった。
胃カメラは怖い。
しかし、人知れず病気が進行している事態はもっと怖い。
人間ドックのプランに「麻酔付きの胃カメラ」が含まれている病院を見つけ、意を決してやって来た。
問診時の説明では、麻酔で意識がふわっとした状態で検査をするので、痛みをほとんど感じないということだった。
ということは、意識もあるし、痛みもややあるということじゃないか。
きっと個人差があるのだろう。
わたしのふだんの酒量が麻酔を跳ね返してしまうイメージしかなかった。
検査の終盤、ついに「最後の胃カメラです」と呼ばれる。
◇ ◇ ◇
カーテンで区切られた狭いスペース、小さなベッドの上で横向きの姿勢をとり、腕に点滴のような針を刺された。
下準備のようだ。
しばらく待ち、キャスター付きのベッドごと別の場所に運ばれる。
タンカみたいだ。本番感がすごい。
広めの処置スペースで、口の中に大きな器具が固定される。
いよいよ、あれがはじまるのだ。
「はい、血液に薬を入れていきまーす」
が、わたしの意識はばっちりある。
やはりそうか。
……はじまる。
そして、わたしは瞬間移動していた。
ここは、最初にいたカーテンの場所。すべてが終わっていたのだ。
「え、これ、なに?」
呆然とした。
「これ、大丈夫なんやろうか」
あまりに不思議な感覚。
ふとそのときに思ったのは、不謹慎かもしれないが安楽死のことだった。
技術的なハードルは思ったよりもずっと低そうだ。あれはほとんど倫理や法律の問題なのだろうな……。
◇ ◇ ◇
時間が経って、ようやく理解が追い付いてきた。
あの不思議な感覚は、死に、あまりにも簡単に近づきすぎたことが一因かもしれない。
毎日の睡眠と起床。それと何が違うのか?
きっと圧倒的な無だ。
睡眠は、無ではない。眠りの世界の中で想念が動いている。
対して、あの圧倒的な無は死を思わせる。
胃カメラの麻酔は、もっとも身近な臨死体験なのかもしれない。
メメントモリ。死を想え。
死を想うことで、今を大切に生きられる。大切なものに気づける。
理屈としてはそうだろうけど、死を想うことはできないよ。それがどういうものかわからないから。
そう思っていた。
しかし、わたしは死の感覚を手に入れてしまった。
あの胃カメラを思い浮かべればいい。
……………………
周りに家族がいる。大切な人たちがいる。
最後に彼らと何を話したいだろうか。
泣いてほしくない。悲しんでほしくない。
ぼくは消える。ぼくという意識はなくなるけれど、きっと細かな粒子となってみんなのそばにいる。
最後は、ひとりひとりと話がしたい。
ぼくとの一番楽しかった思い出について話したい。
最高にわくわくするテーマだ。
ぼくは何を与えることができただろうか?
みんなは何を受け取ってくれただろうか?
たがいに思い出を出しあって答え合わせをしたい。
そのやりとりを聞いて周りのみんなが笑っている。
すすり泣く声も少しはあっていい。そのほうがリアリティーがある。
最後の相手は、父と母だろうか。
ああ、何を言われるのかまったく想像がつかない。彼らはぼくに何を見ただろうか。
どんなピースだっていい。それでぼくの人生は完成する。
会話が一周する。
なごり惜しいがおしまいだ。
一回だからいいのだろう。それ以上は執着を生む。
さあ、あと数分でぼくは闇の中。
音楽はいらない。拍手もいらない。生まれてきてありがとうと言ってほしい。
最後は、みんなのありがとうを浴びながら消えたい。
ありがとう
ありがとう
ありがとう
ありがとう
ありがとう
……………
……………
……………
ありがとう、ぼくは光になれそうだ。
もっと大切な人と関わりたい。与えたい。語りたい。
――そんなことを思いました。

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