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忙しさで心も頭もいっぱいになったら 思考を取り戻すための“休む勇気”


忙しさは思考を奪う。だからこそ「余白」を持ちたい


お盆の時期、お寺の仕事は一年で最も慌ただしくなります。
やりたくないわけではない。むしろ「やるからには真剣に向き合おう」と思って臨んでいる。だからこそ、やりがいも感じる。けれど、「心からやりたい!」と叫べるかといえば、そうではない。どこかに「義務感」という影がまとわりついていました。


お盆の法要を終えたとき、ようやく肩の力を抜けるかと思えば、すぐにお彼岸の準備が待っています。法要が終わり、1週間以内には、お彼岸の案内を発送しなければならず…。案内状の作成、檀信徒の方への連絡、日程調整……それは私の役割なので、片付けが一息つくと同時に、次の段取りを考え始めます。

けれど、その瞬間にふと気づいたんです。
「疲れすぎると、人は思考できなくなるんだ」と。

目の前のタスクをただ消化するだけになり、工夫する余地も、楽しむ余白もなくなる。

“こなすこと”が最優先になり、本来の目的や意味を考える余裕がなくなっていました。

これでは良くない、と頭ではわかっています。でも、忙しさの中にいると、どうしても抜け出せない。だから私は決めたんです。あと1週間だけ踏ん張って、その後は数日お休みを取ろう、と。


余白を作ることはミッションである


 思えば、30代、40代、50代と年齢を重ねるほどに、私たちは「忙しさ」と共に生きています。仕事、家庭、地域、親の介護、子どものこと。誰かのために時間を差し出し続けていると、自分のための時間はどんどん削られていく。

けれど、「自分の時間を取る」ことは決してわがままではない。むしろ、意識的に余白をつくることが、心と体の健全さを守り、未来の思考力を取り戻すために欠かせない、と思うのです。

忙しさは、心をすり減らすだけでなく、考える力そのものを奪ってしまう。
だからこそ、意識して休む。数分でもいい、数時間でもいい。ほんの少し、自分のための「間」をつくること。

それは、走り続けるためのサボりではなく、未来へ向けて自分を整えるための大切な投資だと今回改めて感じました。

お盆が終わればすぐお彼岸



お盆が終わり、またお彼岸がやってきます。行事は次々と巡ってくるけれど、その合間にほんの少しでも「余白」を差し込む。そうすることで、ようやく私は自分自身を取り戻せる気がするのです。

忙しさに流される毎日をただこなすのではなく、余白を持ちながら生きていく。その積み重ねが、きっと自分の人生を大きく変えていくのではないでしょうか?

でも。そうは言っても時間が取れなーい!やるべきこととやりたいことのバランスが難しー!

とやっぱり迷走中のはんぶんこ。です🤣

今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
いつも皆様から頂くスキやコメントが私のエネルギーになっています。

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