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私のセカンドライフ〜『人生を整える禅的考え方』と尊厳哲学に出会って(その2)〜

前回の記事(その1)では、『人生を整える禅的考え方』を読んで、
日々の暮らしや心の持ち方について感じたことを書きました。

今回はその続きとして、
特に心に深く残った「人との向き合い方」について、
もう少し掘り下げてみたいと思います。

人生を整える禅的考え方』升野俊明 著

この本を読んで、特に心に強く響いた言葉があります。

それは、
一人ひとりが絶対の存在である
という禅の考え方でした。

禅では、人は誰かと比べられる存在ではなく、
一人ひとりが、他の誰とも取り替えのきかない
**「絶対の存在」**だと考えます。

自分は自分で絶対。
人は人で絶対。

「絶対である」ということは、
人に対して「ああしてほしい」「こうあるべきだ」と
望んだり、変えようとしたりすること自体が、
本来はおかしい、ということなのだそうです。

その人をそのまま、あるがまま受け容れる。
それが人づきあいの原点であり、
この視点を持てば、人間関係は
ずっとシンプルで風通しのよいものになる——。

この一節を読んだとき、
「人は変えられない」とよく言うけれど、
ああ、そういう意味だったのか、と
胸の奥にストンと落ちました。



尊厳哲学との出会い

ちょうど同じ頃、
noteでとても心に残る記事に出会いました。

そこに書かれていた「尊厳哲学」という考え方は、
禅の教えと深く通じるものがあり、
思わず何度も読み返してしまいました。

興味のある方は、こちらの記事もぜひ読んでみてください。

👉 尊厳哲学について書かれた記事

尊厳哲学では、
すべての人には等しく尊厳があると考えます。

誰にでも、苦手な人、どうしても合わない人はいるものです。
けれど、その人にも自分と同じように
尊厳がある存在だと思えたとき、
不思議と、人を見る目が少し変わってくるのです。

相手は何も変わらないのに、
自分の受け取り方が変わるだけで、
「そこまで苦手ではないかもしれない」と
感じられるようになる。

この感覚は、私自身、とても腑に落ちるものでした。



「心では肯定。現実は分ける」

とはいえ、
尊厳があるからといって、
無理に好きになる必要はありません。

尊厳哲学を紹介している循環器内科医さんの言葉が、とても印象に残っています。

心では肯定。現実は分ける

人としての尊厳はきちんと認める。
心の中では「尊厳ある一人の人」と肯定する。
でも、現実の距離感は
**バウンダリー(境界線)**で調整する。

否定もしない。
無理に近づきもしない。
尊重しながら、適切な距離を保つ。

これは、禅の
「相手を変えようとしない」
「あるがままを受け容れる」
という考え方とも、深くつながっているように感じました。



禅の教えと尊厳哲学は、
どちらも「人をどう見るか」だけでなく、
**「自分自身をどう扱うか」**にも
静かに問いを投げかけてくれます。

次回(その3)では、
これらの考え方を通して感じた
**「自分を大切にすること」や
「年齢を重ねてからの心の整え方
」**について、
もう少し書いてみたいと思います。



最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

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