その優しさは、誰のためだったんだろう。
開運シェルパの考察ノート帳|運命デザインラボ
はじめに
コンビニのレジ横で、募金箱に小銭を入れた。
思ったより気持ちよかった。
そのあと、店を出て、少し歩いたところで、ふと自分の中に 知らない感覚 が芽生えていることに気づく。
信号を待つ横で、スマホをいじっている若い人を見て、 「あの子、募金なんて、したことあるのかな」 と、心のどこかで、うっすら思っている。
いや。 思っているというより、うっすら見下している。
え。私、こんな顔をする人だったっけ。
コインは、たった百円でした。 時間は、たった三秒でした。
なのに、その三秒の善行は、そのあと数分間、私の中に 「他人を採点する権利のようなもの」 を発生させていました。
これは、誰の中でも、日常的にそっと起きている出来事です。むしろ、私たちの脳が、自分をまるく守ろうとして働かせている、とても健気な仕組みのひとつが顔を出した瞬間なのです。
今日はその癖について、少しだけ、ノートを広げて考えてみたい。
その先に、「未来のためにできること」という言葉の、本当の輪郭が、少し見えてくる気がするから。
1. 「いいこと」をしたあとに、なぜ、少し雑になるのか
こんな経験は、ありませんか。
エコバッグ をきちんと持って行った日のコンビニで、なぜかレジ横のプラスチック包装のお菓子を、いつもより気軽にカゴに入れている。
ダイエット飲料 を頼んだから、と、ポテトを一つ多めに取っている。
朝、瞑想 をした日の夕方に限って、なぜか雑な食事を選んでいる。
寄付 をしたあと、募金しない人を、そっと、少し低く見ている。
一つひとつは、笑ってしまうような、小さな出来事です。
ただ、これらには 同じ一本の糸 が通っています。
心理学は、この糸に、少し古風な名前をつけました。
モラル・ライセンシング。
日本語に訳すなら、「善行の免許証」効果 でしょうか。
「私はいいことをした」という感覚が、なぜか、そのあとの数分・数時間の私に、「少しくらいなら、緩んでも許される」という許可証 を発行してしまう。私たちの脳は、そういう小さな会計処理を、自分でも気づかないうちに、こっそりやっているのだそうです。
2. 心のなかには、密かに、家計簿がある
心理学者たちは、この現象を分解して、二つの仕組みで説明してくれています。
① モラルの信任状
一つ目は、「信任状」 としての善行。
「私は、ちゃんと寄付できる人間だ」 「私は、エコを意識できる人間だ」 「私は、瞑想ができる人間だ」
こういう 「私は◯◯できる人間である」という証明書 が、心の中の胸ポケットに、そっと入る。
そして、そのあと少しくらい雑な選択をしても、 「私は根本的にはいい人だから、これくらいの逸脱は、私の評価を揺るがさない」 と、脳が勝手に注釈をつけてくれる。
② モラルの残高
もう一つは、「残高」 としての善行。
心のなかの家計簿に、善行という プラスの記帳 を一つ入れる。 そうすると、脳は、 「今日は貯金が増えたから、少しくらい引き出しても、まだプラスだ」 と計算し始める。
つまり、「善」を、通貨のように扱ってしまう のです。
これは、意志が弱い人の話ではありません。 真面目な人の話でも、ずるい人の話でもない。
人間の脳が、もともと備えている自動処理 です。
自分を「そこそこいい人間」の位置に保っておくために、 善行と、少しの逸脱を、こっそり相殺してくれる、 ある意味では、優しくてけなげな機能なのだと思います。
ただ、この機能が、そっと、私たちの「未来のためにできること」を、少しずつ目減りさせていく。
3. 「未来のため」が、いつのまにか「自分の免罪符」になっている
ここが、今日いちばん考えたかったことです。
「未来のためにできること」という言葉を、私たちはよく使います。
地球のために、マイボトルを持つ。
誰かのために、寄付をする。
自分の未来のために、早起きをする。
家族の未来のために、資格の勉強をする。
どれも、美しい。うつくしい行為です。
ただ、それらの行為をしたあと、私たちの脳のなかでは、そっと、こんな会計処理が始まっている可能性があります。
「今日はもう、未来のために十分やった。だから、今夜くらい、少し雑でもいいよね」
「未来のために」が、 「今日の私を許すための 証明書 」に、 すり替わっている瞬間です。
そして、もっと見過ごせない のは、この免罪符が 他人にも向く ということ。
「私はエコバッグを持ってきた。あの人は、持ってこなかった」
「私は寄付をした。あの人は、していない」
「私は早起きした。あの人は、寝坊した」
さっきの、コンビニの前の、あの視線。
「未来のためにできること」を実行した私が、「未来のためにできない他人」を、少し上から見ている。
そのとき、いちばん未来から遠ざかっているのは、たぶん、他人ではなく、私自身のほうです。
4. 「私は善い人だ」と、「私は目標に近づいた」は、似ているようで、まったく違う
では、どうすればいいのか。
心理学のいちばんしずかな処方箋は、ひとつの 問いの向き変え です。
善行をしたあと、多くの人の心の中では、こんな声が鳴っています。
「私は、いい人だ」
この声が悪いわけではありません。 ただ、この声は、「だから、少し休んでも許される」 という次の一文を、こっそり呼び込んでしまう。
そこで、こう言い換えてみる。
「私は、目標に、また一歩近づいた」
主語は同じ、行動も同じ。 そのいっぽうで、意味づけが変わる。
前者は、過去に向かう称号 です。 後者は、未来に向かう歩幅 です。
前者は、そこで一回、完結してしまう。 後者は、次の一歩を、そっと要請してくる。
これが、心理学が「リフレーミング」と呼ぶ、たった一つの捉え直し。善行を、道徳のポイントではなく、コミットメント(自分との約束)として受け取り直す ということです。
小銭を入れた自分に、 「あなたは、いい人だ」 と言ってあげたくなる気持ちは、大切にしていい。
そのうえで、その次に、もう一言、そっと足す。
「あなたは、自分が大切にしたい未来に、また一歩、指をかけた」
これだけで、あの、コンビニの前の、少し嫌な視線は、たぶん、生まれません。
なぜなら、目標に近づいた人には、他人を採点している時間が、そもそも、ないからです。
ここに、ひとつの小さな 氣づき が生まれます。善行は、称号ではなく、方向だったのだ、と。
5. 「未来のためにできること」の、少し違う定義
ここまで書いてきて、思うことがあります。
「未来のためにできること」というテーマで、私は、行動リストを増やすことよりも、そのつど、自分の心のなかで起きている小さな揺れ のほうを、ずっと見つめてきた気がします。
善いことをしたあとの、あの、少し誇らしいような、少し落ち着かないような、名前のつかない感覚。
その正体を確かめたくて、たぶん、私はこのノート帳を開いています。
そして、この記事を書きながら、少しだけ、定義が変わっていく感覚があります。
未来のためにできることとは、たぶん、 「何をするか」だけでなく、「したあとの、自分の心の扱い方」まで含めた作法 のこと。
善行をしたあと、その残像で、他人を採点しないこと。
善行をしたあと、その残高で、自分の緩みを買わないこと。
善行を、「私は良い」という称号ではなく、「私はここへ向かっている」という向きとして受け取ること。
これができたとき、初めて、私たちの一つひとつの小さな行為が、 未来へ、まっすぐ、届く のだと思うのです。
6. おわりに、余白のなかで
今日は、答えを一つに絞ることは、しません。
ただ、コンビニの前のあの三秒間、 少し上から誰かを見ていた、あの自分のことを、 そっと、覚えておきたい、と思っています。
責めなくていい。 恥じなくていい。
ただ、覚えておく。 それだけで、次に募金箱に手を伸ばすとき、 その百円は、たぶん、 さっきよりも少しだけ、遠くまで届く百円 になっている。
未来のためにできることは、 きっと、大きくて派手なことではなく、 そういう、ささやかな 氣づきの積み重ねなのだと思います。
コーヒーはもう冷めてしまいましたね。 それでも、ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
またこの「運命デザインラボ」のノート帳で、お会いしましょう。
開運シェルパ / 運命デザインラボ
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