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夢と鰻とオムライス 第5話

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 裸のまま風呂掃除をする羽目になったときは、さすがにうんざりしたが、それを除けば、こうちゃんとの生活は実に快適だった。3LDKの部屋の一つをまるまる貸してくれたのも、プライバシーが保てて、ありがたかった。不思議だったのがこの部屋だけが、他の部屋と違ってゴミに埋もれることなくきれいだったことだ。

「なんでこの部屋だけきれいなの?」
 訊いてみたが、こうちゃんは「うーん」と曖昧な声を上げながら、
「瞬太が来るから、ここだけ片付けておいたんだよ」
 ごまかすようにそう言った。なんか怪しいと思ったが、それ以上は訊かないでおいた。
 部屋を見渡すと、普段使われていないらしく、ベッドも椅子も本棚もない。簡易的な折り畳みテーブルと座布団くらいしかなかったが、夏休みの宿題をするくらいなら、これで充分だ。床に布団を敷いて寝るのにも、すぐに慣れた。

 こうちゃんは宵っ張りらしく、朝が遅い。
 いつも昼近くに起きてきて、キッチンでもそもそやっている。普段、昼飯を作るのが面倒で、残りご飯と納豆くらいしか食べないらしい。
 それを見かねて、冷蔵庫に残っていたご飯でチャーハンを作って出したら、思った以上に喜んでくれた。
「うんまい。やっぱり人の作ってくれた飯っていうのは旨いもんだなぁ……」
 あんまりしみじみ言うので哀れになり、その日から、昼飯は俺が腕を振るうことになった。

 スマホのレシピ動画を見たりしながら、自分でも作れそうなものを選んでいく。残った食材を検索ワードに入れ、ちょうどいいレシピを見つけては、毎日、昼食作りを楽しんだ。
 一度、食パンとハムエッグを焼いて、トマト、玉ねぎ、きゅうりを適当にスライスしてサラダにしたら、
「こんなの喫茶店じゃん! 今、コーヒー切らしてるのに!」
 こうちゃんは興奮し、暑いのに、慌ててコンビニにアイスコーヒーを買いに行ってしまった。

 そこまで喜んでくれれば、こちらも作りがいがあるというものだ。
 その翌日は、残っていたきゅうりとハムを刻み、冷やし中華を作ってみた。前日のうちに、タレ付きの冷やし中華麺を買って準備万端。錦糸卵に少し手こずったが、初めて作ったにしては、なかなかの出来栄えだった。

 こうちゃんは食卓に並んだ冷やし中華に感嘆の声を上げ、いただきます、と麺を啜った。
「瞬太が来てから、俺の食生活、めっちゃ充実してる!」
 目を潤ませながら、声を震わせた。
 こんなことで泣くなんて、こうちゃんは随分と感激屋だなぁと、と驚いていると、
「あー、ツンときた」
 と言って目頭を押さえた。どうやら、薬味のからしを付けすぎたらしい。
 そんなこうちゃんを眺めながら思う。
   実に平和だ。

 兄の目に怯えることなく、過ごす毎日は自由に満ちあふれていた。
 食事以外はそれぞれ部屋で好きなことをし、夜はこうちゃんと二人で適当に夕飯を作った。それを食べながら、ネットで配信されている動画や映画を観る。
 贅沢なこと、この上ない。
 誰かと話しながら、動画や映画を観るのは久しぶりだった。
 勉強に励む兄を気遣い、リビングのテレビのスイッチを久しく触っていない。今、自宅のテレビは飾りのようになっている。

 考えてみれば、本当に気詰まりな生活だった。
 こうして兄に気兼ねすることなく毎日を送っていると、元の生活に戻れるか不安になってくる。正直、夏休みが明けても、ここで暮らしたいくらいだった。

 だが、なんでも慣れた頃が一番危ない。
 その日、俺はオムライスと格闘していた。
 といっても、別に殴り合っていたわけじゃない。ただ単に、焦っていたのだ。
 朝、起きて冷蔵庫の中身を確認したら、半端に残ったピーマンと、玉ねぎがあった。にんじんも尾っぽのところがラップに包まれ、そろそろ使わないとしなびてしまいそうだ。チルド室には賞味期限が過ぎた未開封のベーコン。これでチャーハンを作るには、具材が洋風寄りな気がした。

   洋風。
 そのとき、天啓のように、俺の頭の中にオムライスの姿が浮かんできた。
 冷蔵庫にはケチャップ、卵もある。
「よし!」
 パチンと手を打つ。
 冷蔵庫の在庫と献立がカチッとはまると、晴れ晴れとして気持ちいい。
 俺は意気揚々と野菜とベーコンを刻み、冷凍ご飯をレンジにかけた。鼻歌交じりで具材を炒め始める。が、ご機嫌でいられたのはそこまでだった。

 温めた冷凍ご飯を炒め合わせ、ケチャップを投入したあたりから、急に雲行きが怪しくなった。
 ご飯がケチャップの水分を吸い、べちゃべちゃと粘りが出始めたのだ。
 少しでも水分を飛ばそうと火を強めると、焦げついて、団子のようになる。チャーハンを作るのと大して変わらないと思っていたのに、とんでもない誤算だった。

 これ以上はどうにもならないと諦めて、皿にもったりとケチャップライスを載せる。一瞬、捨ててしまいたいと思ったが、どうにかこらえた。
 せめてオムレツはきれいに焼こうとしたが、ケチャップライスの失敗が尾を引き、うまく焼けない。ぐずぐずしているうちに、あっという間に卵が固くなっていった。
 べちょべちょのケチャップライスの上に玉子をスライドさせると、堅焼きのせいで、卵が真ん中から地割れのように裂けていく。それをごまかすためにケチャップをかけたら、まるで、オムライスが切り傷を負ったような無残な見た目になってしまった。

「ごめん、こうちゃん。今日のは失敗だ」
 ため息交じりにテーブルに置く。
「いいよいいよ」
 そう言って、こうちゃんはスプーンを握る。
 俺も仕方なしに失敗作を口に運ぶと、これは失敗じゃなく、大失敗だとすぐに悟った。
 これは恥ずかしい。顔から火が出そうだった。

「俺、ちょっと得意になってたのかもしれない」
「何が?」
 スプーンを動かしながら、こうちゃんは訊いた。
「オムライスなんて、簡単に作れるって思ったんだ。俺、チャーハンはよく作ってたから、似たようなもんだと思って、作り方も調べなかった。で、この有様。俺って、やっぱ駄目だね」
 こうちゃんは、にやっと笑う。
「じゃあ、明日からいつもの納豆ご飯に戻そうか?」
 納豆ご飯にするなら、味噌汁くらいは添えたいところだ。
 でもこうちゃんの言っていることはそういう意味ではないのだろう。
「いや、昼飯作りは続けるよ。でも、明日は久しぶりに、味噌汁と納豆もいいかもね」
 俺が言うと、こうちゃんは皿から顔を上げた。

「別に駄目じゃないぞ」
「え?」
「瞬太の年齢なら、得意になって失敗することくらいあるさ。いちいち駄目だなんて決めつけてたら、怖じ気づいて、好きなこともできなくなる。反省だけして、あとは気にしないこった」
 全くその通りだと思う。
 頭では納得しながらも、情けない愚痴が口をつく。  
「うーん、でもさ、俺、皆から『お前は出来が悪い』みたいなこと言われてきたから、失敗するとすぐ自信がなくなるんだよなぁ」
 たぶん、そういうところが一番駄目なのかもしれない。

「失敗して自信が出るヤツなんて滅多にいないよ。落ち込んだ後に、ゆっくりモチベーションを上げていくんだ。音楽聴いたり、焼肉食ったりしてさ。それに、瞬太のこと『出来が悪い』なんて言ってるのは、母ちゃんを除く、例の家族くらいだろ?」
 例の  、とは、父と兄のことを指しているらしい。
「いや、死んだじいちゃんにも言われたことあるよ。兄ちゃんとの扱いの差がすごかったし」
 すると、こうちゃんは大きなため息をついた。
「……親父のやつ、孫にもそんなことしてたのかよ」
 そう言って、麦茶を飲み干した。
 孫にも、ということは、こうちゃんも少なからず嫌な思いをしてきたのだろう。死んだ人のことを悪く言いたくはない。でも死んだからって、都合よく、いい思い出だけが残るわけじゃない。

「確かに《歯科医になる》という側面だけ見れば、それに向けて努力している慶太は偉いと思うよ。じいちゃんや父ちゃんが慶太を褒めるのは当然だ。自分たちが大事にしているものを未来に繋いでくれる子を贔屓するのは、ごく自然な感情だと思う。でも、できることなら、兄弟は平等に扱ってほしいよなぁ……」
 俺はうんうん頷いた。

「子供のほうもさ、親が子供に期待するのと同じように、親にいろいろ期待しちゃうんだよ。親も自分と同じひとりの人間で、完璧じゃないのに、つい、それを忘れる」
「うん」
 確かに、そうかもしれない。
「あ、でも、だからって親のことを大目に見ろって言ってるんじゃないぞ。瞬太が理不尽だって思うなら、怒っていいんだからな」
「……こうちゃんも、おじいちゃんのこと、むかついたりした?」
「したさ!」

 声が一層、大きくなった。
「今でも、歯を磨いたり、風呂に入ってるときとかに急に思い出して、むかむかしてるよ」
「へえ」
 俺と大して変わらなくて、なんだかほっとする。
「で、むかついた後にふと思うんだ。死んだ親に、何を期待してんだろうって」
 空気がしんとなる。

「でも、俺、そういう気持ちに抵抗しないようにしてんの」
「抵抗?」
「そう。いい大人なのにこんなこと考えて餓鬼みたいだー、とか思わないようにしてる。考えちゃうんだから仕方ない。まぁ、若い頃に溜め込んでた分を、今になって吐き出してるって感じかな。『あのくそ親父、ふざけんな!』って一人で悪態つくうちに、笑えてくるんだよ。まぁ、虚しくもあるけど、それもまた良しってことにしてるんだ」 
 こうちゃんの話を聞いていると、肩の力が抜けるようだ。水の上にあおむけになって、ゆらゆら浮かんでいるような気分になってくる。

「まぁ、そんなこと考えられるようになってきたのって、ここ一、二年の話だよ。若い頃はさ、期待して、腹立てて、感情に飲み込まれては、そんな自分を責めたりしてた。本当に、期待ってやつは厄介だよ。期待なんかしなきゃ、がっかりすることもないのになぁ」

 がっかり  、と言われ、俺は目の前にあるオムライスをしんみりと見つめた。
 期待通りの出来じゃない、失敗作のオムライス……。
 もしかしたら、祖父や父は俺のことを、このべちゃべちゃのオムライスみたいに思っていたのかもしれない。
 そう思ったら、出来損ないのオムライスが途端に哀れになった。俺は皿を持ち上げ口まで運ぶと、スプーンでオムライスを掻き込む。

 これはこれで、悪くない。
 そう強がって、残りを一気に口に放り込んだ。次は絶対にうまく作ってやろう。腹の底から闘志が湧き出す。
「こうちゃん、俺、オムライスの作り方を調べて、また今度リベンジするよ」
 そう宣言するとこうちゃんは、にっと笑って残ったオムライスを平らげた。



第6話につづく

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