K氏への反論――「ボンクラな男としっかり者の女」論を超えて
他者への侮蔑で終わっている彼らのコメント。自分は大学教授であるという地位の優位性で見下す口調で彼はいう。
「ボンクラな男性が社会で働き、しっかり者の女性が家にいる。これが日本経済停滞の本質だ。」
そんな一文に、あなたは膝を打っただろうか。それとも、心のどこかがざわついただろうか。
経済評論家として知られるK氏がこうした発言を公にし、それが一部では「痛快」「的を射ている」ともてはやされているという。しかし、私はその言説に潜む前提こそが、日本社会と経済を長期にわたって縛り続けてきた“見えにくい壁”ではないかと感じる。
■ 性差と能力を短絡的に結びつける危うさ
まず指摘すべきは、「ボンクラな男」「しっかり者の女」という括り方が、あまりにも安直な二分法に基づいている点である。
確かに、現代の共働き世帯では、女性が家計も家事も担う「オーバーロード」状態が常態化しているとの実態がある。その結果、男性の家庭内での非協力が浮き彫りになり、「何もできない夫」像が一種の社会風刺として共有されることも多い。
だが、それを「性別による能力差」という論拠にすり替えてしまえば、それはもはや優生思想の入り口である。努力や育成、環境要因を無視し、性別で役割を固定化する発想は、「能力主義」の皮をかぶった排除の論理になり得る。
人の能力は生まれながらに決まるのではない。ましてや性別で規定できるものではない。多くの社会科学的・教育学的研究(※1)でも、男女間の能力差は「環境の違い」によって拡大・縮小することが示されている。
■ 「ボンクラ」に見える構造的背景
K氏の主張を受けて、「だから男はだめなんだ」と喝破することは簡単だ。しかし、それは本当に構造の解明になっているだろうか。
男性が仕事においても育児においても“無能”に見えるのは、長らく社会からそう振る舞うよう訓練され、評価もされてこなかったからだ。ジェンダーロールに基づき、「男は稼ぎ、女は支える」としてきた構造の中で、男性がケアや家事の能力を育むインセンティブは限りなく低く、社会的な評価も乏しかった。
つまり、「ボンクラ化」は社会的に生み出された帰結なのであり、個人の資質ではない。ここを見誤ると、構造の解体ではなく、他者への侮蔑で終わってしまう。
■ 本質は、構造的不平等と制度設計の失敗
日本経済の停滞は、「誰がどれだけボンクラか」ではなく、むしろ「誰がどれだけ抑圧され、力を発揮できていないか」という問いで捉え直すべきである。
たとえば、保育園の不足、男女賃金格差、長時間労働の常態化、雇用における正規と非正規の分断、そして家庭内での無償ケア労働の過小評価――。こうした制度的・構造的要因こそが、個人の成長を阻み、社会全体の生産性を押し下げている。
ジェンダー平等を推進することは、単なる倫理的正義ではなく経済的合理性の側面もある。IMFやOECDも、女性の労働参加と権利拡大がGDP成長を促進すると繰り返し報告している(※2)。
■ 「しっかり者の女」が報われる社会に
K氏が意図したかどうかにかかわらず、あの発言には「俺は頭がいいからそういう構造も見えている」という選民思想のような響きすら感じる。他者を「能力」で仕分けする語りは、耳触りがよくとも、その裏にあるのは「自分より劣った者」への冷笑である。
そうではなく、誰もが尊厳と能力を発揮できる社会に変えていこう――。そのためには、「しっかり者の女性」が家庭だけでなく、社会の中枢で正当に評価されることが不可欠だ。そしてそれは、男性が「家庭に参加する」ことで初めて実現する。
■ 結びに――レッテルの向こうにある人間を見よ
「ボンクラな男」と「しっかり者の女」――その表現は、ある種の物語としてはわかりやすい。しかし、それは人間の複雑さや背景を切り捨てる。
私たちに求められているのは、誰かを見下す快感ではなく、互いを引き上げる視座だ。
構造の責任を個人に転嫁するのではなく、制度を見直す勇気を。レッテルではなく対話を。直接参政党に物申せ。
そうでなければ、この国の停滞は終わらない。そして彼も、きっとそう言いたかったのだろう。ただ、ダブルインカムで年収1000万円を超える生活の中で、少し天狗になってしまっている様子が目に浮かぶだけのことだ。
⸻
※1:Hyde, J. S. (2005). The gender similarities hypothesis. American Psychologist, 60(6), 581–592.
※2:OECD (2012), Closing the Gender Gap: Act Now; IMF (2013), Women, Work, and the Economy: Macroeconomic Gains from Gender Equity.
いいなと思ったら応援しよう!
貯まることないと思いますが念のため、人のために使います。