連結は放たれた。~DTT第2戦~
こんなはずじゃなかった。
もう少しいけるのではないかと思っていた。
私の今シーズン2戦目にして
最終戦となるDTT第2戦が
千歳の青葉陸上競技場で行われた。
5000mD組にエントリー。
スタートすると
予想していたよりも速い展開で
集団のトレインが進む。
トラックを1、2周走ったぐらいの序盤戦で、
これは速いなと感じていたら
先が思いやられる。
もうちょっと遅いペースの人に
つかせてもらおうと後ろを振り返ったら
青いタータントラック上には
誰もいなかった。しんがりだ。
大丈夫、2000(5周)ぐらいまでいけば
ペースが落ち着くはず。
焦るんじゃない。経験だけはあるのだから。
この集団の中で年男を4回も経験した選手など
誰もいない。
先頭が1000mを3分10秒で通過。
うそやろ。3分の間違いじゃないのか。
先頭が3分10なら、しんがりを務める
ねずみ男は3分15ぐらいだ。
なんとかあと3周頑張れば
ペースは必ず落ち着く。
1200mをすぎて、前方のトレインが
2つに分かれそうだ。
最初のデッドポイントを
乗り越えられた者と
乗り越えられなかった者の間で
非情にも連結が離される。
盛岡駅の「こまち」と「はやぶさ」のように・・・
とかうまいこと言ってる暇があったら
自分が連結を放たれないように集中しろ。
おまえは秋田へも函館へも行けないぞ。
1600m通過。あと1周頑張りたいが
もう、身体は寒さときつさで
踏ん張りがきかない。
「いわて沼宮内」で急減速。
自分が2000持たなかった。
ここからは完全に、みちのくひとり旅。
ペースはどんどん落ちていき周回遅れに。
ゴールタイムは17分22秒。
前回の復帰戦の
フェスティバルに続き17分台だ。
自らの走りを客観的にみる手段というのは
あまりないのだが、巨晴君に応援に来ていた
水山さんに撮ってもらった
動画を観て愕然とした。
少なくとも、私の身体の内側では
ペースは遅くとも、腰高で軽やかなフォームで
走っているつもりであった。
当然、自分の思い描くイメージで
身体を動かす命令を脳は発しているので
客観的に映像で見たときに
頭の中で描いていたフォームと
映像で映し出されたフォームの乖離を
すぐには埋めることができなかった。
えっ誰が走ってるんだ?
とすら思った。(おれだオレだ俺だ)
腰が落ち、足はあがっておらず
腕振りは推進力を産んでいない
へたったフォームに老いを
感じずにはいられなかった。
真実に向き合うこととは
こんなにも恐ろしいことなのか。
でもそこに向き合い、対峙しなければ
なんの成長もうまれない。
修正点を見つけ出し、
改善点はこうじゃないかと
行動に移そうとする気持ちは
例え小さくとも志になる。
腰が落ちているのは
体幹が抜けている証拠だろう。
体幹を入れて走る為に
しっかりドローインを継続しようという
志を得た。
左肘が背中に回って
体幹を前へ押し出す力が減衰している
左腕の腕ふりは、肩甲骨を外旋して
外へ力強く払って走ってみようという
志を得た。
ただ闇雲に走るのではない。
小さな志を繫げながら継続し
いつしか自分のイメージに
合致する喜びを味わう為に走る。
一朝一夕に近づくものではない。
一進一退を繰り返し
一喜一憂しながら前すすむ。
人間の成長とはコンピュータのように
日進月歩とはいかない。
微々たる進歩の積み重ねだ。
そして大事に大事に積み重ねたものが
簡単なアクシデントで
あっという間に崩れることもある。
だから積み重ねたものには価値があるし
積み重ねた自分が誇らしい。
なりたい自分になろうとすることは
周囲に惑わされない自分を
確立することでもある。
嫉妬しない。(ようになりたい)
依存しない。(できるだろうか)
逃避しない。(これは苦手だ)
そうは思っていても人は
妬み、頼り、後回しにしてしまう。
そんな弱さと葛藤しながら
少しでも自分らしく生き抜くことは
とても難しいが価値がある。
「もう組を下げた方がいいんじゃないの」
「冷たい雨が身体に応えましたか」
トラックを後にする際に
飛んできたロートルへの
憐れみとも励ましともとれる言葉を
胸に深く刻んで雨の道央道をひた走った。
