8月は祈りの季節
日本の8月は、死者への祈りが満ちる季節だ。
広島、長崎への原爆投下、そして8月15日の終戦。あの日、生き延びた人々は「生きている」という安どと、「死んだ者たちに申し訳ない」という悔恨の間で引き裂かれていた。この間にはお盆があり、死者を悼む日々が続いた。失われた命への思いが、祈りとなって空に漂った。
戦後生まれのわたしが最初に「戦争」に触れたのは、テレビで見た湾岸戦争だった。「戦争を知らない子供たち」という流行歌も、すでに過去のものになっていた世代だ。
わたしにとって戦争は画面の向こうの出来事だったが、家族の記憶をたどれば、戦争はそう遠い昔のことではなかった。
父は1943年(昭和18年)、戦争のただ中に生まれた。よく話をしてくれたのは、45年7月、北海道の各地が狙われた空襲の記憶。米軍のB-29が頭上を飛ぶ光景が、幼い頃の強烈な印象として刻まれていた。
そんなわたしが戦争と本格的に向き合うようになったのは、社会に出て記者になってから。戦地に赴いた人や空襲・艦砲射撃を体験した市井の人――当時を生き抜いた多くの人々から、生々しい体験や思いを聞いた。
この20年余りで、その数は60人を超えた。遺族会をはじめ、さまざまな縁を頼って話を聞いた。当時を知る人が年々少なくなるなかで、戦禍の記憶を語り継ぐ若い世代にも焦点を当ててきた。
満州や中国、南方戦線、本土防衛、そして強制労働やシベリア抑留――。さまざまな土地で生き抜いた人々から直接話を聞けたことは、かけがえのない経験だった。
心に残っているのは、南方戦線を生き延びた人々の記憶、そして沖縄戦の体験。高地やガマ(壕)で死線をさまよった人の言葉には、いまも震えが走る。
旅好きのわたしだが、日本のあちこちを巡って唯一訪れぬ地が沖縄。青い海と空に心ひかれつつも、「ただ訪れるだけではいけない」と、戦争と向き合う覚悟がなければならない気がしていた。「考えすぎ」と笑われることもあったが、気持ちは変わらなかった。
戦後80年を迎える今年。ある方の記事に背中を押され、ようやく沖縄を訪ねてみようかと考えている。
戦地だけでなく、銃後に生きた人々の話も数多く聞いた。『この世界の片隅に』に描かれるような当たり前の暮らしのなかにも、戦争の影は色濃く落ちていた。いまだ戦地から戻らぬ最愛の人を、奇跡を信じて待ち続ける人もいた。
生き残った人は「遠い記憶」「もう忘れてしまった」と口にするが、その実、死んでいった者たちを深く胸に抱き続けている。多くを語らずとも、ふとした言葉や、あるいは沈黙の合間から、その思いは確かに伝わってきた。
8月は、死者に祈る季節。
その祈りは、決して大げさなものではなく、ひとりひとりの心の奥にある静かな祈り。深い悲しみが手のひらに宿る。わたしもまた、伝えることしかできない者として、今年も小さく手を合わせる。
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