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大暑に対処できず

 大変なことに気づいてしまった。

 本日、7月24日。何げなく壁のカレンダーに目をやったわたしは、そこに刻まれた二文字を見て、「はっ」と息をんだ。

 ……きのう23日の欄に「大暑」と書いてある。

 やってしまった。

 わたしはこれまで、二十四節気が訪れるたびに、季節の移ろいを題材にしたコラムを書いてきた。それなのに、一年でもっとも暑い頃を告げる夏のハイライトというべき大暑を、きれいさっぱり忘れていた。

 あろうことか昨日は、季節感もへったくれもない別のエッセイを、何事もなかったかのような澄まし顔で投稿していたのである。

 こちらが澄まし顔なら、大暑も大暑で、ひと言も名乗らずに通り過ぎていった。互いに知らないふりをしてすれ違ったようなものだ。

 実際に知らなかったのは、わたしだけなのだけど。

 とはいえ、ここで素直に「すっかり忘れていました」と頭を下げるほど、わたしの往生際はよくない。人間、ピンチに立たされたときこそ、頭脳をフル回転させ、華麗なロジックを組み立てるべきではないか。

 そこで、きのうの大暑を見過ごしたのが、いかに正当かつ不可抗力であったかを、ここに開陳したい。

 まずは、昨日のスケジュールである。

 午後は講習の仕事があり、夕方からは突如、急ぎの案件が舞い込んできた。まさに不測の事態。わたしは目の前の業務への「対処」に追われていたのである。

 次から次へと対処を迫られるさなか、カレンダーを「"大所"高所」から眺める余裕などあるはずがない。その視点を失った人間に、大暑まで見つけろというほうが、土台無理な話である。

 さらに、これが最大の理由なのだが——今年の北海道は、ぜんぜん大暑ではない。

 昨年の猛暑はどこへやら。今年の夏は今のところ実に平和で、いわゆる「いつもの北海道の夏」である。今季、わが家でエアコンを入れたのは、わずか1回。たった1回である。

 電気代におびえながら汗をぬぐい、「耐暑」生活を強いられることもない。体も心も耐暑の二文字を意識せず、快適に過ごせてしまっているのだから、脳内の季節センサーが作動しないのも当然ではないか。

 そもそも、大暑という名前にも問題があるように思う。

 大いに暑いと書いて「大暑」。それほど堂々と名乗るからには、「大した暑さ」であってもらわなくては困る。ところが、いま、わが家の窓を吹き抜けているのは涼風である。

 大して暑くない。

 大暑の「大」には、誇大表示の疑いがある。

 そんな日に「きょうは大暑です。暑さに負けず乗り切りましょう」などと書けば、こちらまで虚偽記載に加担することになる。物書きの端くれの端くれとしての良心が、嘘のコラムを書くことを拒んだと言っても過言ではない(ただ忘れていただけです)。

 以上を大所高所から総合的に勘案すると、わたしが大暑のコラムを書き損ねたのは、うっかりミスのせいではない。わたしをまったく脅かしてくれない、大して暑くない夏のせいである。

 すべては、北海道の快適すぎる気候が招いた事故なのだ。責任の所在は、これで明らかになった。

 ここまで書いて、言い訳にも一応、裏付けが必要だと思った。念のため気象庁のサイトを開き、きのうの気温を確かめる。

 そして、再び「はっ」となった。

 23日、全国では662地点が真夏日となり、そのうち282地点が猛暑日、7地点が酷暑日。静岡県の佐久間では、最高気温41.1度を記録していた。

 大暑は、ちゃんと大暑だった。

 言い訳の裏付けを取るつもりが、言い訳のほうが41度を超える熱で跡形もなく焼け落ちた。

 今年の夏が暑くないのではない。わたしが住む地域が、たまたま涼しいだけだった。北海道は広い。道内にも、暑さに苦しんでいる地域はある。

 全国の暑い地域にお住まいのみなさま、申し訳ありませんでした。どうかしっかり水分をとり、エアコンを適切に使って、くれぐれも無理なさいませんように。

 一日遅れではあるものの、これだけ暑苦しい言い訳を並べたのだから、大暑のコラムとしては格好がついたことにしておこう。そうしよう。

 これにて、大暑への対処は完了である。

 最後に涼しげな画像をどうぞ。

阿佐海岸鉄道 ふうりん号 20120818
阿佐海岸鉄道 ふうりん号 20120818


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