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家の経年劣化に思う ─ 人にどう見られるかは二の次

家を建てて17年。
あちこちが傷んだり、くすんだり、壊れたりしています。

考えてみれば、こんな姿を見るのは初めて。


新品がいつの間にか中古に


私は今の家を新築で建てました。
それまでもいろんな中古住宅(賃貸)に住みましたが、新築は初めて。
すべてが真新しいのです。

水回りの設備はピカピカ。
無垢材が足の裏に吸い付くような感触。
新築特有の木の香りとたまに鳴る柱の音。
外壁は塗りたて。
庭の青々とした芝生……。

「ここに住むのだ」

と思うと心がときめいたものです。

あれから17年がたち、あちこちに経年劣化の跡が目立ち始めました。

例えば、バスルームにあるシャワーヘッドの高さの調節器具。
つい先日、調節ができなくなり、今は仕方なく一番低い位置に。

床はところどころに染みがつき、外壁はくすみ、芝生はほとんど枯れるなど、劣化が随所に見られるのです。
新品だったはずなのに、こんなになるなんて。

他人の目


私、人生で新品からこんなに長く付き合ったモノがあまりないのです。

いや、ちょっとした小物はいろいろとありますが、
すべて私自身が使うだけのものなので気になりません。

でも、家は別。
はっきり言うと、他人の目が気になるわけです。

「こんな家に住んでるの?」

と思われたくない。

だから、あちこち直したいという思いもありますが、直しだすとキリがないし、お金はかかるし、第一面倒くさい。
それで、よほど生活に困る部分以外は目をつぶる。
でも、気にかかる……

でも、ちょっと待てよ、と思うのです。
私の人生、家以外も他人の目に振り回されてきたものではなかったか、と。

仕事の選択でも


振り返れば、家だけではありません。
一例を挙げると……

学習塾講師をしていた頃のこと。
当時、塾の先生は、私の周囲ではやや下に見られていました。

そんななかで学習塾に勤め始めた私でしたが、ある人から、

「社会人になってまで、塾で子供に学校の勉強を教えるとは情けない」

と言われたことが心にひっかかりました。

それが原因ではないにしても、その後の転職の要因のひとつになったのは確かです。

こんな具合に、人からどう見られるかが判断基準のひとつになっていました。

気にしても仕方がない


でも、今になって思います。

他人の評価で自分の人生を決めることほどもったいないことはない

と。

理由は以下です。

第一に、

他人は自分ほど、自分のことを真剣に考えていない
→塾講師が「情けない」などただの偏見

第二に、

他人の意見が間違っていることはよくある
→塾講師は立派な職業である

第三に、

他人の評価ばかり気にして右往左往できるほど人生は長くない
→塾講師で一流になりたければ覚悟を決めて取り組む必要あり

家もそれなりに


私の家のことを一番気にしているのは私(それと妻)。
その次に気にかけてくるのは、

不動産業者
塗装業者
造園業者

でしょう。

今、地域によっては中古住宅は高値で売れるようですから。

近所の人や親戚が目にすることはあっても、
その評価で私たちの暮らしが決まるわけではありません。

私が満足できればそれでいいのだ。
経年劣化に対しては、必要なところをボチボチ直しながら過ごしたいと思います。

荘子に相談したなら、

「新品も中古も、人間が勝手につけた名前。今日も家は雨風をしのいでくれている。それ以上、何を求めるのだい。」

と笑うでしょうね。

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