【生き物の上陸作戦・動物篇】序
進化を研究している生物学者の浜地貴志です。生殖の進化や多細胞生物の出現という問題に取り組んでいるのですが、他の進化の問題も興味があります。特に、地上に生物が出てくるという5億年ほど前の大事件がそのひとつです。
以前、植物の陸上進出について書きました。
わたしはときどき、窓のそとを眺めながら、この風景はひとの営みが高まるまえはいったいどのようなものだったのだろうとかんがえることがある。
わたしが生活している関東であれ、先日まですごした京都であれ、もともとはなんのかんのと藪がひろがったり、林がひろがったりしていただろう。
そしてそのなかに生態系があって、動物の食物連鎖があったり、菌類・微生物の分解が行われたりしていたと思う。
さて、その生態系は「いつから」あったのだろうか?
いま見ているその土地に、ということではない。
あなたがおよそ空のもと、ながめている陸上の風景としてあたりまえに思っている「緑の」視界があたりまえになったのはいつか? ということだ。
コケ植物が水辺にへばりつき、地衣類が乾いた岩肌で雨を待ち土壌を準備した、そしてついに維管束という「天に向かって流れる川」を内蔵したシダ植物が登場した話を書きました。
維管束植物が緑の大地を席巻したあと、大気中の二酸化炭素をどんどん固定し、リグニンという当時分解不能の素材で巨木を積み上げ、石炭紀の森林が出現した。酸素濃度は急上昇し、地球の風景は一変したわけです。
植物は陸に上がった。では動物はどうだったのでしょうか?
「魚から両生類が出現して、さらにそこからやがて爬虫類が現れた」というのは、学校で習います。四肢動物の登場、肺呼吸、乾燥への適応のようなことが教科書に書いてあります。
ここでひとつ忘れがちな問いがあります。
彼らは陸に上がって、何を食べたのか?
水の中では、大きな魚は小さな魚を食べていました。小さな魚は、プランクトンを食べ、もっと小さい魚を食べていました。食物連鎖は水中で回っていました。
ところが陸上に上がったとたん、その連鎖は断ち切られる。
水辺から離れた陸地に、食べられるものがあっただろうか?
植物はある。緑の大地が広がっている。
しかし、植物を食べるというのは、実はそう簡単ではありません。植物は繊維質で、消化しにくく、毒も持っています。現在の植物は少なくともそうです。草食動物が登場するには、消化管の改造、腸内細菌との共生、口腔処理の専門化・等々、ありとあらゆる「設備投資」が必要になります。
初期の陸上脊椎動物が、いきなり植物を食べて暮らすというのは、かなり無理があるというものです。実際、両生類の多くは肉食です。
では、彼らは何を食べたのか?
そう、「虫」ですね。
正確に言えば、節足動物(昆虫、クモ、ムカデ、ダンゴムシの仲間たち)です。カエルがハエに舌を伸ばすという戯画は印象的です。
節足動物は、脊椎動物よりも先に陸上に進出していました。植物が作り出した有機物(落ち葉、花粉、腐植)を食べ、分解し、増殖していただろうと考えられます。そして乾燥に強い外骨格を持ち、小さな体で大地を覆っていたでしょう。
両生類の成体が陸上に上がったとき、そこには、すでに「食べられる形のエネルギー」である昆虫が歩き回っていたと考えられます。
植物をダイレクトに食べるのは難しい。だが、植物を食べて育った虫を食べるのなら、それは肉食です。肉食なら、魚時代からの消化システムをそのまま使えます。
虫は、植物というローカロリーで消化困難な資源を、「捕食可能な高栄養パケット」へと変換して、陸上空間に撒き散らし、脊椎動物にとって陸上を魅力的なものにした、ということです。
ひとつ、たとえ話をしてみましょう。
新しい土地に移住するとき、何が必要だろうか?
住居、水、そして食料ですね。
開拓者が荒野に足を踏み入れるとき、そこに作物が実っていることは稀です。
だが、もしすでに誰かが農耕を始めていて、市場が立ち、パン屋ができていたら?
そこへ後から来た者は、自分で畑を耕す必要もなく、パンを買って食べればいい。
脊椎動物の陸上進出は、まさにそういう構図だった。
節足動物たちは、植物資源を使って、脊椎動物にとってのパンになっていた。脊椎動物は、その店の客として、陸に上がったというストーリーを考えてみてほしいのですね。
もちろん、これは「動機」の話ではありませんよ。両生類の祖先が「陸には虫がいるから上がろう」と考えたわけではありません。ここがよく問題になるところなのですが、上陸のような大きなイベントのためには多くの要素が関連します。たとえば干潟での移動能力かもしれないし、呼吸補助器官の発達が必要だったかもしれない。
だが、上陸した後に、その場所で生き続けられるかどうか——それは、捕食可能なエネルギー源が定常的に存在するかどうかにかかっています。
節足動物は、その「持続可能性」を支えたと考えられます。
こうした整理を進めると、脊椎動物の陸上化は、「四肢や肺の発明史」だけではなく、生態系の"燃料供給インフラ"がどう立ち上がったかという問題として捉え直すことができます。
植物が一次生産者として有機物を作る。節足動物がそれを食べて増殖し、空間に分散する。脊椎動物は、その節足動物を捕食することで、高コストの身体設備(四肢、肺、乾燥耐性)への投資を「回収」する。
魚類→両生類→爬虫類という「背骨のある動物たちの進軍」は、実は「誰が舞台を整えたか」という視点を加えることで、まったく違う光景が見えてくる。
植物が緑の大地を作り、節足動物がその資源のパッケージと再解釈され、そして脊椎動物が「重装備の捕食者」として登場する。
この順序は強力なストーリーだと言えます。
(続く)
