海の向こうに続く命
先日、映画『宝島』を観た。
上映後、監督のトークショーがあった。
作品に込めた想いを語るその声を聞きながら、
なぜか涙が止まらなかった。
物語そのものというよりも、
もっと奥にある“祈り”のようなものに触れた気がした。
そのとき、思い出していたのは――
鹿児島にある、父の実家のお墓だった。
海の前の墓地
鹿児島の父の実家の前には、先祖代々のお墓が並んでいる。
色とりどりの花が供えられ、
陽を浴びて、静かに佇んでいる。
そのお墓の前には海が広がり、
その向こうには桜島が見える。
どっしりとそこに在り続ける山。
静かに光る海。
あの景色は、何十年も、何百年も、
変わらずそこにあったのだろう。
刻まれた「戦死」
墓標には、
トメゾウ、モリゾウ、シゲゾウ――
どこか懐かしい名前が並び、
その横には「戦死」と刻まれている。
祖父の兄弟のほとんどが、戦争で亡くなった。
その中で、祖父だけが生き残った。
だから父が生まれ、
そして私が生まれた。
もし一つでも違っていたら、
私はあの海を見ることもなかった。
奇跡の上で
普段の私は、
仕事に追われ、
予定に追われ、
命の重みなど考えることもなく一日を終える。
奇跡だなんて思う暇もなく、
当たり前の顔をして生活している。
けれどあの日、
映画館で涙が止まらなかったのは、
思い出したからだ。
以前、映画『永遠の0』を観たときも、
同じように涙が溢れた。
スクリーンの物語と、
鹿児島の海と、
墓石の文字が、
私の中で一本につながる。
あの涙は、悲しみだけではなかった。
海は今日も広がり、
桜島は黙ってそこにある。
そして私は――
奇跡の上で、今日も生きている。
