美術史第105章『明治美術 前編-日本美術19-』
長州や薩摩、幕府などが分裂しつつあった最中、坂本龍馬や中岡慎太郎の仲介で薩摩の西郷隆盛と長州の桂小五郎が「薩長同盟」を締結、幕府は長州に攻め込むが高杉晋作が組織した武士だけでない人々を使う近代的な軍隊に敗北し、幕府の影響力は大きく低下、薩長、さらに土佐藩や肥前藩が幕府の解体(倒幕)を目指す勢力となった。


1866年以降は全国で暴動が起き続け、幕府は近代化を目指したものの最終的に将軍慶喜が「大政奉還」で将軍を辞職、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、岩倉具視ら反幕勢力は「王政復古の大号令」を出すクーデターを起こして近代的な制度を持つ「新政府」を発足し「鳥羽・伏見の戦い」から徳川勢力との間に「戊辰戦争」を起こしてそのまま滅ぼした。

日本の時代は「明治時代」になり、幕府の残党の東北や北海道の勢力も箱館戦争で討伐、国の名目上トップとなった明治天皇が京都から江戸改め東京に移り藩や将軍などは廃止され「廃藩置県」で政府が各地を直接支配する中央集権制が確立した。

そして、「五箇条の御誓文」で議会や開国親和の方針を示して官吏制度が整えられ天皇の立憲君主制が確立、薩摩・長州・土佐・肥前の武士が新政府において政治を行う藩閥体制となった。

日本は幕末から続いてきた近代化を続け、今までの身分制は撤廃、古代の律令制を復活させて政治制度が整えられ、徴兵制度により軍備が強化、小笠原、尖閣、竹島の領有を主張して国境を確定、御雇外国人による指導を受けた工業の改革、鉄道設置、北海道開拓、司法整備、地租改正、太陽暦採用、学校制度開設が行われた。

また、民衆の間ではいわゆる「文明開花」の流れが起き、ガス灯や煉瓦、トイレットペーパー、新聞が普及、福沢諭吉や中江兆民などの啓蒙思想家が現れ、神道を同化していた仏教から分けて国家制度として促進した。

明治中頃には支配層だった武士が特権が剥奪された事で仕事をなくし、さらに政治方針の揉め事もあり各地で「西南戦争」などの「士族反乱」が発生したが全て鎮圧、同じ頃に板垣退助らによる「自由民権運動」が起こると「国会」が開設され、「大日本帝国憲法」が誕生、幕末に結ばれた不平等条約の改正も開始し、「日清戦争」で弱っていた巨大国家 清から領土を奪った。



このように明治時代は今までに類を見ない、世界史上でも特に激動の時代であり、西洋化が進む明治前半において日本独自の美術は古く、優れていないものであるとみなされ、さらに国家神道のために仏教を迫害する廃仏毀釈や、廃藩置県によって地位を失った各地の大名の没落により存続の危機に陥った。

そして、多くの美術品が古道具市場に出ていき、それが林忠正などの美術商の売買により欧米に流出、これに対応して「日本赤十字社」の創設者でもある佐野常民によって「龍池会(現 日本美術協会)」が結成され、日本美術の保護と育成、博覧会などを開催する運動が行われた。


明治9年には建築や都市計画に西洋美術を応用するための「工部美術学校」が開校して洋画教師フォンタネージなどの御雇外国人の美術教育が開始し、日本ではここが最初の本格的な西洋美術、いわゆる「洋画」の導入となり、すでに洋画の開拓者として活躍していた高橋由一もここで習った。

また、明治には幕府とともにその元で活躍した狩野派が消え、江戸後期に現れた人気絵師の河鍋暁斎、同じく以前から人気で凡ゆるジャンルの浮世絵を手がけた月岡芳年、江戸から近代的な東京へ移りかわる街を鮮やかではないが美しく描く「光線画」で知られる小林清親などの浮世絵師が引き続き活躍した。












新政府は台湾出兵・西南戦争・日露戦争など多くの宣伝として浮世絵を使用、日本の近代化を描く「開花絵」というジャンルも生まれたが、明治後期になると徐々に新聞や雑誌、写真の普及で衰退、ただし、後に「新版画」が誕生し昭和初期までは栄えることとなる。
