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山添は空振り、奥田は論外――3/25参院予算委で時間を溶かした二人

3月25日の参院予算委は、首相訪米報告の集中審議234分に、一般質疑60分が続く構成だった。これだけ時間があるなら、本来やるべきことははっきりしている。政府から具体的な答えを引き出し、予算と政策の現実を詰めることだ。

ところが実際に目立ったのは、答えの出ない場所を何度も叩く質疑と、予算委を自分の主張や活動の披露の場に変えてしまう質疑だった。今回、時間を溶かした象徴は二人いる。山添拓と奥田芙美代だ。だが重さは同じではない。山添は空振り、奥田芙美代は論外だった。


予算委は「私はこう思う」を語る場所ではない

予算委員会は、議員が自分の思想を気持ちよく話す舞台ではない。政府から答弁を取り、制度と予算の現実を一歩でも前に進める場所だ。その基準で見ると、今回の問題はかなり分かりやすい。

山添質疑は一応「問い」の形をしていたが、答えが出ないと分かっている外交案件を何度も掘り返し、結局は新しい答えをほとんど引き出せなかった。奥田質疑に至っては、冒頭からもう質疑の体をしていない。自分の活動歴を語り、物語調で社会批評を広げ、最後は大臣への捨て台詞で締める。予算委の時間を使ってやることではない。

山添拓は「それ、答えませんよね」を延々とやった

山添議員の問題は、問いの方向よりも質疑の設計にある。首相はすでに「我が国の法律の範囲内でできることとできないことがある」と伝え、「これ以上のことは外交上のやり取りなのでお答えは差し控える」と線を引いていた。ここから先の具体論は出ない。

見ている側にも分かる流れだった。にもかかわらず、その場所を何度も叩いた。問いの立て方だけ見れば核心を突いているように見える。だが、予算委で評価されるのは「問題提起が整っているか」ではない。「何を取ったか」だ。その点で山添質疑は厳しい。理屈はあるが、出口がない。答えが出ないと見えている外交論で、空振りを続けたというのが実態に近い。

これは北朝鮮談話をめぐる場面でも同じだった。政府側は「どう評価するか」について「コメントは差し控える」と最初から答弁を絞っている。外交案件では予想通りの着地であり、そこを何度押しても、新しい材料はほとんど出てこない。

山添質疑は、問題意識があること自体を否定されるものではない。だが、答弁が出ないと分かったうえで同じ壁を叩き続けたという意味で、予算委の時間の使い方としてはかなり悪い。

奥田芙美代は、空振りどころか最初から別の競技をしていた

奥田芙美代議員は、もっと悪い。こちらは空振り以前に、そもそも予算委でやるべきことから外れていた。

質疑の冒頭で奥田議員は、自らが長年ブラック校則撤廃の活動を続けていることを語り、そのうえで「日本国民はなぜ…黙って我慢して従う人がこんなにも多いのか」「掘り下げたら学校に原因がありました」と、社会全体の従属性の原因を学校にまで一気に広げた。

問いというより、すでに自分の世界観の説明である。さらに「北海道から沖縄まで不気味なほど全く同じ内容の理不尽な校則」「子供たちをまるで犯罪者扱いのように廊下に並ばせて」と、感情を揺らす物語調の語りで押していく。

だが、文科相から返ってきたのは「校則は校長が定めるもの」「一律に是非を判断することは困難」という一般論だった。激しい言葉の割に、審議は何も前に進んでいない。

ここまではまだ、「強い言葉で雑な質疑をした議員」で済む。だが、奥田質疑が本当に危ういのは、そのあとだ。

「この3年間でなんと1万5000人ほど連絡が来てるんです」――それ、裏はどこにあるのか

奥田議員は途中で、「この3年間でなんと1万5000人ほど連絡が来てるんです」と語る。しかも、その多くが理不尽な校則に悩む子供たちからだと続ける。もちろん、これが嘘だと断定はしない。

だが、予算委でこういう数字を出すなら、本来は根拠、集計方法、重複の有無、どの媒体経由なのかくらいは最低限必要だ。ところが実際には、その数字はただ置かれただけだった。裏づけも示されない。検証もできない。だから聞く側には、「すごく見せたい大きな数字を、確認不能のまま置いている」ように映る。

政治家が自分の活動の重みを演出したい時、いちばん手軽なのが「大量の声が来ている」「全国から届いている」という言い方だ。便利で、感情も乗る。だが、便利だからこそ危うい。裏の取れない“大きな数字”は、事実というより演出に近づく。予算委で必要なのは、証言劇ではない。裏づけのある質疑だ。奥田質疑は、この点でかなり雑だった。

そして最後は「ダブル不倫疑惑中の大臣」だ

奥田質疑が論外なのは、終わり方が決定的だからでもある。最後に奥田議員は、ある保護者から連絡が来たとして、「ダブル不倫疑惑中の大臣の名前があり、本当に恥ずかしかった」、さらに文科大臣としてふさわしいのか、という趣旨の話を持ち出して締めている。

これも、嘘だと断定はしない。だが、ここで大事なのは真偽以前だ。完全にその場で裏取り不能な伝聞なのである。しかもブラック校則の制度論を詰める流れの最後に、急に大臣個人への感情的な批判を差し込んで終わる。政策審議ではない。伝聞を使った捨て台詞だ。

この手の話法は便利だ。「ある保護者がこう言っていた」「現場ではこんな声がある」「本当に恥ずかしかったと言っていた」と置けば、反論しづらく、感情だけは強く残る。だが、それは政治的に強いのではない。検証不能なまま、雰囲気だけを最大化しているだけだ。作り話と断定はしない。だが、作り話っぽく見えても仕方がないやり方である。

つまり奥田質疑は「盛られた運動報告」に見えてしまう

ここで奥田質疑を整理すると、こうなる。自分の活動歴を語る。社会全体の問題を学校のせいにして大きく広げる。感情を揺らす個別事例を並べる。裏づけ不明の大きな数字を置く。最後は伝聞ベースの大臣批判で締める。この流れは、質疑というより盛られた運動報告に近い。

国会中継を使って、自分の活動、怒り、世界観を一気に流しているだけに見える。予算委で必要なのは、議員の物語の完成度ではない。政府から何を答えさせるかだ。そこが空っぽなら、どれだけ言葉が激しくても、中身は増えない。

経済論まで雑で、その場で訂正される

しかも奥田議員は、教育論だけで終わらない。経済の場面では「アメリカには積極的に11兆円も差し出す約束」「その11兆円があれば全国民に10万円の現金給付ができる」と言い切った。

だが、この発言はその場で政府側から「差し出したという事実は今回ございません」「正確な事実に基づく質疑をいただきたい」と訂正されている。ここが象徴的だ。感情に乗せて、大きい数字を投げ、生活苦を語り、強い言葉で政権を叩く。だが、事実関係が雑だから、自分で自分の質疑の信用を崩してしまう。これでは政権追及ではない。

勢いだけで殴りかかって、自分で足を滑らせているようなものだ。山添が「答えの出ない場所で空振り」なら、奥田は「そもそも試合にすらなっていない」。だから論外なのである。

比べると序列ははっきりしている

今回の参院予算委を雑に「野党がひどい」と言うのは少し違う。もっと正確に言うべきだ。

山添拓は、理屈の形をした空振りだった。問いはある。問題意識もある。だが、答えの出ない外交論を何度も叩いて、新しい答えをほとんど取れなかった。だから空振りである。

奥田芙美代議員は、もっと悪い。自分の活動の紹介から入り、感情を揺らす物語を作り、裏づけ不明の大きな数字を置き、最後は伝聞で大臣批判に流れた。これは質疑の失敗というより、予算委という場の使い方そのものを間違えている。だから論外である。

結局、時間を溶かしたのは誰か

予算委員会は、本来「私はこう思う」を披露する場所ではない。政府から答えを引き出し、制度と予算の現実を詰める場所だ。

その基準で見れば、今回の二人の差は明確だ。山添は、答えの出ない場所で理屈を振り回して空振りした。奥田芙美代は、予算委をほぼ自分語りの舞台にしてしまった。

だから見出しはこれでいい。
山添は空振り、奥田芙美代は論外。
そして今回、よりひどかったのは間違いなく奥田芙美代参院議員だった。

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