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東京アドレス双六

東京に住めればどこでもいい。そう思って最初の町を北区神谷に決めた。ところが住んでみてわかったのは、東京におけるアドレスのチョイスはその後の人生を左右するということである。

人生初の広告コピーの師、竹内基臣さんは言った。「そんな下町に住んでコピーが上手くなるわけないだろう。俺なんか借金して原宿に住んだぞ」。果たしてコピーと住所に相関はあるのだろうか。

しかし確かに、地域における明らかな空気の違いはある。商店街を構成する店舗の性格。住民の職業分布。生活様式。マナーやルール。そしてプライド。曳舟と岡本は同じ23区とは思えない。

わたしはなんとしても東京西部へ住所をスライドさせねば、と思った。十条から千川に移ったのは25歳。東長崎から上北沢へは35歳で。匍匐前進しながら城北地区から西南方面にドリフトしていった。

念願の世田谷アドレスを手に入れたのは45歳だ。これでわたしの東京双六はあがりだと思った。世田谷区赤堤。世田谷の中では杉並の香りが濃い地域ではあるものの、車のナンバーは品川(当時)だ。

ところがこの双六が恐ろしいのは自分の意思と無関係にゲームが続くことである。わたしはひょんなことからさらに住まいを南下させることになった。江東区の臨海エリアに転居したのである。

埋立地に造られた街は人工的でプラスティックである。酔っ払いもカッパライもいない。しかしあれほど憧れた都会中の都会なのに、下町の猥雑さがないことがなんともつまらない。

このまま双六が続けば次は墨田、江戸川、葛飾、荒川、足立あたりだろう。いつか熊野前商店街でたけしの招き猫を拝みながらカップ酒に酔い、安いもつ焼きを頬張る日が来るかもしれない。

そしてそれは上京当時の清貧生活に極めて近い、決して悪くない未来だと思った。


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